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処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

NHK大河ドラマ『西郷どん』に関する最後のまとめ論評(特に脚本について)

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前回の記事では「面白いブログを書いて20万人の読者を獲得して国会議員を目指せ!」という青山繁晴議員の発言についていろいろと書きましたが、この青山さんの発言に奮起して、私ももっと多くの人に読まれるような「面白いブログ」を目指して心機一転、頑張るぞ!

なーんて、言いたい所ではあるのですけど、まあ、もう10年近くもこのような「自己満足的なブログ」を続けてきた身としましては、今更そんな方針転換を試みるつもりもありませんw
(※とゆーか、本気でそんな事を考えるとすれば、多分新しいブログを別のアカウントで立ち上げるだろう)

そんな訳ですから、今回も超自己満足的な「歴史、ドラマ、小説」カテゴリの記事を書きます。

このネタを扱うのは、一般的には非常に「ウケが悪い」という事を重々承知してはいるのですが、まあ今回が最後になると思いますので、もう一回だけお付き合い願いたいと思います。

そうです。
今年の大河ドラマ『西郷どん』について、です。

https://twitter.com/U40rou/status/1075386103811629056






今年このブログで何度か論評を書きましたし、また上記で見られるようにツイッターではかなり頻繁に指摘をしてきたのですけど、私は今回の『西郷どん』に対してはかなり「クソミソ」に批判を浴びせてきました。

<関連過去記事リンク>
今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ・総評(2018/05/28)
NHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ【5か月ぶりの追加論評】(2018/10/24)
西郷どん、翔ぶが如く、西南戦争、司馬遼太郎、山本七平などについて(2018/12/15)

で、上記のツイッターにもあるように、ツイッター上で『西郷どん』関連のツイートを見てみると、先週の番組終了以降、やたらと、
「感動しました!泣けました!俳優やスタッフの皆さん、ありがとうございました!」
といったツイート及び「いいね!」の評価ばかりが目立ちます。

それはやっぱり、しかたがないのでしょう。

『西郷どん』のドラマ制作に関わっている人間、関係者、特に俳優のファンや関係者の人数は膨大な数にのぼるでしょうから、そういった人達は皆、「番組(ドラマ)の質には関係無く」必死で『西郷どん』の事を持ち上げようとするでしょうから。

純粋にドラマの出来を論評して、
「ちょっと、この番組(ドラマ)の質は酷過ぎるんじゃないの?」
と指摘する人も確かに何人かは見かけるのですが、そういった人々の「真面目な意見」は、上記の「たいこ持ち」的なツイッター評価をしている関係者達の人数に比べれば、所詮微々たる人数に過ぎません。
(※まあ「関係者」達は金がかかっている(=ビジネスでやっている)訳だから、我々のような「純粋に感想を書いているだけの人間」と違って、めっちゃ真剣だからねえ。組織的な動きもあるだろうし)




このツイートで『西郷どん』と『翔ぶが如く』の比較について触れていますが、この両者の比較論評は過去記事で詳しく書きましたので、ここでは敢えて繰り返しません。

180528_b5r5e1ft44f_0002.jpg

試しに『西郷どん』の事を取り上げているブログなどをググッて探してみますと、いくつかの傾向が見受けられます。
(※マスメディアが関係しているメジャーなサイトの記事ではなくて、あくまで一般人が書いていると思われるサイトのみが対象)


(1) 上記で示した「たいこ持ち」的なツイートと大同小異で、『西郷どん』を持ち上げる為だけに書かれた「提灯記事」専門のサイト。
<その特徴を以下に羅列>
・PR広告のリンクが目立っている
・とにかく役者を褒めまくる
・延々とドラマの筋を語り、その途中途中に「~で素晴らしい!」「~で良かった!」と合いの手を入れる程度の事しか論評されていない
・締めの部分で、テンプレのように「鈴木亮平さん、スタッフの皆さん一年間ありがとうございました!」といったコメントがある
・『翔ぶが如く』には絶対に触れない
(※例えば、こことか、こことか、こことか)

(2) 概ね客観的に書かれているように見えるが、多分『翔ぶが如く』を見ていないので評価がほぼニュートラルというか、『西郷どん』の評価は「良くはないがそれほど酷くも無い」といった程度の評価で書かれているもの
(※例えば、こことか、こことか、こことか)

(3) 『翔ぶが如く』を見ている(知っている)ために、私と同様に「クソミソ」に批判をしているもの

しかし実の所、ブログとしては、そういったサイトは(私のブログ以外は)見当たらなかった。
(※もっと綿密に探せば見つかるのかも知れないが。また、探した時期が最終回近くだったので、早い段階で既に脱落して、早いうちに論評を止めてしまったサイトが多いのかもしれない)

ただし、普段私は全然見ていなかったのだが、「YAHOO!テレビ」の「みんなの感想 西郷どん」というサイトでは、「意外にも」そういった意見が多く見つかった。ここには「持ち上げ派」の組織的な活動が及んでいないらしく、『西郷どん』への批判的な意見が圧倒的に目立っている。

「YAHOO!テレビ・みんなの感想 西郷どん」

(以下、当該サイトより、投票数の多い書き込みの中からいくつか引用)
自分も 41人がこの感想に票を入れています。  投稿日時:2018/12/20 2:54
批判したくて批判していたのではありません。
西郷どん。は去年から本当に本当に楽しみにしていて、調子悪かったレコーダーも西郷どん録画の為に新調しました。
序盤は大いに楽しみ、先を期待していました。

あれ…?と思ったのは生麦事件の回辺りから。

戊辰戦争までは何とか視ましたが、あまりにも稚拙な為見限りました。
脚本家が歴史に興味がない為、史実場面になると、とたんにトーンダウン、スピードアップ。
禁門の後くらいからは、史実を曲げまくるのなんの。

京都の豚女中出すくらいなら、庄内藩をやれ!
貧しい出身だったふきが、一度でも薩摩の弟や家族を心配したり、薩摩に帰る西郷にお金託ける場面あったか!

自分も他の皆さんも、「田原坂、翔ぶが如く、八重の桜」等を超えるような維新150年を記念する西郷隆盛の物凄い大河ドラマを期待していたが、見事に裏切られたからです。

八重の桜で脇役だった吉川晃司の西郷の方が全然西郷隆盛してますよ!

本当にとんでもない大河ドラマを作ってくれたものですわ。
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軟弱 37人がこの感想に票を入れています。   投稿日時:2018/12/16 21:09
大久保とセゴドンの湿度の高い「友情」は、女の粗筋作家の妄想に過ぎない。
そして、四十過ぎの薩摩の武士が、友が戦で死んだからと妻の前で取り乱すのか。瑛太くんが頑張っているのは伝わったが、この粗筋作家と私とでは、人間の振る舞い方に対する美意識が違いすぎる。私は、登場人物がことごとくナイーブで軟弱と感じるのだ。
セゴドンは、ただの一人も格好いい人物が出てこない大河ドラマとして記憶に留める。そして西郷隆盛、大久保利通、徳川慶喜など、この時代に命を削った先人たちのために、その内容は全て否定する。
なぜ「翔ぶが如く」の時にできたことが、何一つできないのか?NHKと粗筋作家は、己の才能の欠如と、いくらの金と時間をドブに捨てたかを認識すべきである。
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やりきれない 51人がこの感想に票を入れています。   投稿日時:2018/12/17 10:21
最期のシーンだけは通説どおりの切腹と思いきや、正に暴走爆死だった。取ってつけたような大久保の暗殺も余りに粗雑。
慶喜や勝を使っての主人公アゲも不快。特に慶喜の「俺みたいに逃げりゃよかったんだ」のセリフはないだろう。そんな慶喜を担いだ斉彬や西郷は大馬鹿ということになり、慶喜の身替り標的にされ理不尽な戦争を強いられた会津はたまったものではないだろうが。
ホームコメディに歴史の断片を切梁すると陳腐にしかならないし、大河は勧善懲悪や主人公絶対で描くべきでない。「翔ぶが如く」以来の西郷主役で当初期待しただけに何ともやりきれない。
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終わった瞬間、唖然 68人がこの感想に票を入れています。投稿日時:2018/12/16 23:00
あまりの駄作にコトバも出なかった。やっと感想を投稿する気力が出てきたけど。
端折った部分は色んな方が言ってるので割愛するが、いくら、史実通り描く気ないからフィクションで盛り上げようっていっても、これは流石にひどすぎる!
西郷従道も最後まで鰻ネタ。鰻食って奥さんにいい子いい子されて泣いてるの。バカなのか?
半次郎か別府晋介のどちらが介錯するんだろうと見ていれば、西郷どんより先に半次郎は死んじゃうし。しかも自分で「オイは人斬り半次郎じゃ」とか言っちゃってるし笑。村田新八も西郷どんより早く自害したし笑。城山勢の幹部は、みんな西郷どんの最期を見届けてから死ぬんだけどね。西郷どんは誰に介錯されるでもなく撃たれて勝手に一人で死んでった。「ここいらで良かじゃろ」は介錯された時に言った言葉。一人で呟いたんじゃない。やはり最後まで一人で暴走した感の西郷どんだった。乙!
史実無視してこの程度の脚色か。
勝海舟も慶喜もフキも、画面に出てきただけで吹き出しちゃったよ笑

まあ、何と言っても「個人の感想」ですから人それぞれ見解の違いはあるでしょうが、私からしても、これらは至極真っ当な意見だと思えますね。

こういった真っ当な意見が、広く世間に公表されるという事は(どういう力が掛かっているのか知らないが)絶対にありませんけどね。


(4) 『翔ぶが如く』とは関係無しに、『西郷どん』を「クソミソ」に批判しているサイト

これはちょっと例外的な存在として扱ったほうが良いかも知れない。

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)「西郷どん感想あらすじ」 一覧
https://bushoojapan.com/category/theater/segodon
181222_j6sadgh5445w_0001.jpg

このサイトは一応商業サイトなので個人レベルのサイトではないが、オールドメディアが直接関わっている訳でもなさそうで、しかもそれ程メジャーな扱いをされている訳でもないので、一応ここに含める事にした。

実はこのサイトは3年前の『花燃ゆ』の時にも何度か取り上げた事がある。

脚本家の無能さを会長に責任転嫁とか片腹痛い。しかも真の狙いは安倍首相(2015/05/19)
150119_00001.jpg

そしてその時も、
薩長大河(当時は長州大河)と安倍政権の癒着
云々の事で、このサイトを何度か批判した事がある。
(※もちろんそんな「癒着」問題など一切無いのは無論の事である)

このサイトは、商業サイトでは珍しく『西郷どん』に批判的ではあるけれども(一応その批判の中には妥当と思われる批判も多少はあるが)、『翔ぶが如く』との比較を全く無視するという点では(1)「提灯記事」しか書かないサイトと変わりはなく、そして何よりも問題なのは、
安倍政権叩きとセットにして『西郷どん』及び『花燃ゆ』を叩く」
という条件を付けて批判論評を書いている点である。だからこそ、こういった「ビジネス」がオールドメディア界隈から見逃されて(許されて)いるのだろうと思う。

まあ、一応ちゃんと「こういった批判的なサイトもありますよ」みたいな形でアリバイガス抜き用としても利用できるからね。
(※とにかく『翔ぶが如く』の事を完全にスルーしてる時点で本質的な批判は避けており、ガス抜き的な存在である事はミエミエだ)

私が『西郷どん』批判の際にずっと言い続けてきたNHKの本質的なドラマ制作スタンス
薩長大河だから失敗に終わったんだ(失敗に終わっても構わないんだ)」
この「武将ジャパン」サイトも、単にそのスタンスを踏襲しているだけの事で、別に「NHK様」に対して反旗を翻している訳でも何でもない。
(※そんな恐ろしい事が、弱小サイトごときに出来る訳もない)




余談ながら、この「武将ジャパン」は商業サイトなのだから当然の事として、いろんなドラマ作品の広告を行なっている。中でも特に『八重の桜』を異様なまでに推奨している。その事は別に構わないのだが、それ以外にも「海外ドラマ」を褒め称える論評がやたらと多く、そういった「海外ドラマ」の広告も頻繁になされている。

そして「日本のドラマ番組はレベルが低すぎるみたいな論評も多い。

なるほど確かに、今回の『西郷どん』のようなゴミ大河ドラマをNHKが「伝統と誇りある大河ドラマでござーい!」などと平気で国民(視聴者)に向けて見せつけてくる、そんなNHKの厚顔無恥な姿勢からすれば、その指摘も否定はできないだろう。

私がまともな大河ドラマとして認めているのは「2000年までの作品のみ」と、過去に繰り返し書いているし、それ以降の劣化の度合いは私もおおいに認めている所ではある。

「海外ドラマ」について、「欧米の歴史ドラマ」は私もあまり詳しくはないし、見る機会もそれ程無い。だからあまり意識する事はないのだが、それよりもっと気になるのは「韓国歴史ドラマ」と「中国歴史ドラマ」の日本人への宣伝広告の多さである。
(※特にNHKは「総合」で、日曜の大河の後に(私は一度も見た事が無いので詳細は知らないが)韓国の歴史ドラマをずっとやっているはずである)

NHKやオールドメディアの連中は、余程日本国民に「韓国歴史ドラマ」や「中国歴史ドラマ」を見せたいのだろうとヒシヒシと感じている。

もっとハッキリ言ってしまえば、NHKは日本の歴史ドラマの作品レベルをわざと下げて韓国中国(特に韓国)の歴史ドラマのほうが「レベルが高い」という状況を作りあげる為に「忖度」しているのではないのか?
と、かなり以前から、私は心の奥底でNHKのドラマ制作の姿勢を「邪推」している。

まあとりあえず、こういった低レベルな日本のドラマ作りの現状については、どこと限らず、他国は喜んで(優越感を持って)眺めている事だろう。





最後に、今回の『西郷どん』について、もう一言だけ述べておきたい。

もちろん文句を言いたい点は、上記の「YAHOO!テレビ・みんなの感想」でも多くの人が指摘している、中園ミホという脚本家について、である。



https://twitter.com/tenkawa_shinji/status/1074985589026349057


「こんな酷い脚本、見た事ない」
そう断言できるぐらいに、酷い脚本だった。

「こんな脚本を商業ベースに乗せて放送して良いのか?しかもあの“NHKの大河ドラマ”で」
多分、脚本に興味や意識のある人間であれば、間違いなく全員、そう感じたはずである。

これは皮肉で言うのではなくて、「わざと(意図的に)やらないと、ここまで酷くできないだろう」と私は感じた。プロの脚本家だから、逆にここまで劣悪なレベルにまで引き下げる事ができたのかな、と。

NHKサイドから「今回は薩長のドラマだから、視聴者が不快感を感じるぐらい酷い本を書いて下さい」と頼まれて書いたのだろうか?と私はかなり本気でそのように疑っている。

それともひょっとして「中園ミホ」自身は全く脚本を書かずに、「脚本協力」の2名(小林ミカ、三谷昌登)だけで書いたとか、そういった裏事情でもあるのだろうか?
(※なんにせよ、『花燃ゆ』の時もそうだったが脚本家が複数関わっているケースでは本当にクソ同然の脚本しか出来上がらないが、これは批判される責任を分担する為にやっているのか?と疑ってもいいレベルだと思う)



基本的な作品への批判は 5月10月 の記事で書き尽くしたつもりだが、その10月の記事で私は以下のように書いた。
-------------------------------------------------------------------
(以下、一部抜粋して引用)
というか、この脚本家が「ホームドラマ」以外全く描く気が無く、男性キャラクターには全く感情移入していない事は(5か月前にも書いたが)ミエミエで、そんな脚本家自身が感情移入してないキャラクターに視聴者が感情を寄せられるはずもなく、そんな作品は「ドラマとして糞以下」というのは「プロのくせにそんな事も分からんのか?」というレベルの話でしょうよ。
(※繰り返すけど元々やる気ゼロなんだから糞以下なのは当たり前だが)
(以下略)
-------------------------------------------------------------------

まあ「プロ」の脚本家に対して私が言うのも何なんですが、この脚本家(中園ミホ)が今回一番酷かった点というのは、
「人間が描けていない(いなかった)」
という部分である。

まあハナから描く気が無かったのかも知れないし、NHK側の指示も、
「そんな昔の大河(=2000年までの大河)じゃあるまいし、どうせ視聴対象は「女子供だけ」なんだから、あまり難しい事まで考えずに、テキトーにホームドラマ風に仕上げて下さい、前後の整合性なんか気にしないで」
みたいな感じだったのだろうか。

「人間が描けていない」というのと同様に、脚本家がよくダメ出しされる批判フレーズとして「ご都合主義過ぎる」というのもある。どちらの批判も多少重なる要素の部分はあるが、もちろん今回の『西郷どん』も「ご都合主義」丸出しの酷い脚本だった。

ハッキリ言って、今回『西郷どん』に登場していたキャラクターは皆「血の通わないロボット」で、脚本家の「ご都合主義」に合わせる為には、その場その場で「主体性も無ければ信念も無く」口先だけの行動を平気で行い、はたから見れば「偽善者」としか言いようのない変節漢ぶりも目立ち、一応「民のため」とかあまりに抽象的で、大の大人が口走ったら偽善丸出しとしかみなされそうにないセリフを度々しゃべらされていたキャラクターが約1名いたが(実際その「民のため」も江戸開城直前、勝海舟に言われるまではすっかりと忘れていたらしいのだが)、実際の所は全キャラクター「何をしたかったのか、さっぱり分からない」というカオスな状態だった。


脚本というのは人間性がモロに浮かび上がってくるものである。

中園ミホの人間性からすると、「あのようなセリフ」「あのような行動」をキャラクターが行っても全く違和感がないらしいが、過去にジェームス三木、田向正健、小山内美江子らの上質な脚本に接してきた私などからすると、「そこでそんな事言うかー?」という拒絶反応を度々感じさせられる気持ちの悪い脚本だった。

過去に実在した、歴史上の「人間」に対して、何の愛情も、何の思い入れも無い脚本家だからこそ「そこまでやれるんだろうな」と、本当に嫌ーな気分に何度もさせられたものだった。



10月の記事でも書いたように、この脚本家の「史実無視」「歴史捏造」にはイチイチ反応するつもりもない。

ひょっとして「歴史ファン、大河ファン」の気持ちを意図的に逆なでしているというフシも微妙に見受けられるので、イチイチ真面目に反応するのもバカバカしい。

こんなのは「歴史に興味無い脚本家なんかに仕事させんなよ、NHK。なめとんのか!」と一言言うだけで済む話である。


歴史マンガの『風雲児たち』の話を私はこのブログで度々取り上げた事があるが、この歴史マンガだって細かな部分に突っ込めば、決して史実通りとは言えない部分も多少はあるが(それでも近年のNHK大河に比べれば何十倍も歴史描写はまともだが)別に学術マンガという訳でもないし、当の作者のみなもと太郎氏も「別に正確な歴史マンガを描こうとしている訳じゃない」みたいな事を述べている。
-------------------------------------------------------------------
(以下、『風雲児たち』幕末編24巻の巻末特別インタビューより引用)
181222_j6sadgh5445w_0002.jpg
みなもと太郎「そもそも歴史マンガを描いているつもりはないんだ。描き始めたときからそうで、今もそう。魅力的な人間が登場する、面白いマンガを描きたいがために歴史をテーマにしているだけであって、正確な歴史マンガを描きたいとか、そういう気持ちはいっさいない。描きたいのは人間模様なわけです。ただ、やっぱり歴史から借りている以上は、それをちゃんと料理しないと失礼にあたるとは思う。だから、嘘は描かないし、嘘の粉飾もやりたくないと思っている」
(以下略)
-------------------------------------------------------------------

私が歴史ドラマを鑑賞する際に、制作者側に求める制作スタンスも、概ねこれに近い感じだと思う。

ネット上で、よくベテランの大河ファンが大河ドラマを論評する際に語られる話として、基本的に私もそれに同意する立場なのだが、
「別に史実通り正確にやれ、などとは言っておらず、“ドラマ”である以上、そのほうが面白くなるとか、また人間味が増すとか、「あくまで、歴史や人物を尊重する限りにおいては」多少の脚色は許される」
と私は思っている。

今回の『西郷どん』の中園ミホは、歴史や人物を尊重する心が皆無なのだからハナから論外である。

特に「人間描写」の部分が、私などからすれば「放送禁止」レベルだろう?と感じられるぐらいなのだが、ここまで「下劣で軽薄な人間描写」を、よくぞ大河ドラマで放送したな、というレベルだと思う。
(※これは全て、中園ミホの人間性が生みだした結果である)

だから、中園ミホの酷さは一般的に「史実無視」「歴史捏造」の部分を取り上げて批判される事が多いように思われているが、私から見ればそうではなくて、むしろ「人間描写」のあまりの酷さこそが今回の中園ミホ脚本の一番酷かった部分であって、ここをもっと注意して、他の脚本家たちも今後の仕事に活かしていくべきだろうと思う。

(※後日追記:これを書いた少し後に、NHK「クローズアップ現代+」に中園ミホが出てたので関連記事を書きました。そのリンクを貼っておきます。 クロ現に中園ミホが、ニュースウォッチ9には“ゆとり教育”の寺脇研が登場(2019/1/11)




とにかく、3年前に「なぜ大河ドラマは滅びるのか 後編」 でも書いたように、所詮今の大河ドラマは「視聴対象は女子供のみでOK」という制作姿勢で番組が作られていて、しかも「大河ドラマは役者や芸人を売り出す為の単なるPV(プロモーションビデオ)としての意味合いしかなく、それは先週の番組終了後、ツイッター上で『西郷どん』が称賛されているパターンが全部「役者は頑張っていた」「誰ソレさん、お疲れ様でした。一年間ありがとうございました」などというミエミエの「役者称賛ツイート」だらけになっているのを見れば、どう見ても「視聴者の為の大河」ではなくて、「役者や芸人の為の大河」にすり替わってしまっていると言わざるを得ないだろう。

まあ確かにドラマ内容で褒められる部分が皆無なのだから、出来るのは役者を持ち上げる事ぐらいで他に方法がないんだろうけど、私からすると別に役者の力量も褒められる程でもないと思った。大声を張り上げて下品に喚くばっかりで、「学芸会か!」と感じる事もしょっちゅうあった。『翔ぶが如く』に出てた役者のほうが何倍も上手かったと思う。



つーか、最終回で西郷従道役の男が涙流してウナギ食ってるとか、こんな訳の分からないシーンを見せつけられて「胸がしめつけられる」とか言ってる不気味なツイートに、1,200人以上が「いいね!」とか。


これはまあ、大河ドラマが腐る訳だよなあ、と実感しますわ。
日本のドラマ制作のレベルは、もう末期的かも分からんね、これは。
【以下、テンプレート解説】このブログで使っている言葉の定義について
<“左翼”ではなくて“サヨク”>
今の日本で“左派”と呼ばれている連中は、本来の意味での“左翼”ではなくて、単なる「憲法9条的な戦後サヨク」といった意味合いの物でしかないので(しかし今の日本で彼らは“左翼”ではなくて“主流派”である)、私は“左翼”ではなくて“サヨク”という言葉を使っている。

<“保守”ではなくて“いわゆる保守”>
先の大戦の敗北によって従来の価値観をほぼリセットされた戦後の日本では、真に“保守”すべき日本の国柄は既にほとんど失われている。また今の日本で「独立自尊」「自主憲法の制定」を唱えるのは“保守派”ではなくて“改革派である。それ故に一番相応しい呼称は“反サヨク”と呼称すべきだがそれでは「通りが悪い」ので、私は“いわゆる保守”という言葉を使っている。

「戦前の価値観」を知っている日本人がまだ数多く存命していた昭和の終わりまでは“保守”も“左翼”もある程度は字義通り通用していたのかも知れないが、戦後の日本しか知らない日本人が大半を占める今の日本社会では「かつての字義はほとんど通用しなくなっている」という事である。

※過去に何度か誤読されたり、こういった説明をする必要に迫られた事があるので、テンプレートとしてここに明示しておく。

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2リンク3リンク4
(※NHK受信契約訴訟の最高裁判決(平成29年12月6日)に関する記事)
「NHK受信契約訴訟・最高裁判決」から私が考えた事(2017/12/9)

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには潤沢な資金(税金)があり、更には「映像や音声で直接感覚に訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合、それが至上命令となっておりやり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが3.11以降に垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク1リンク2

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク1リンク2

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民進党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(了)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

西郷どん、翔ぶが如く、西南戦争、司馬遼太郎、山本七平などについて

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長らくこのブログを見に来ている方は既にご存知だと思いますが、
私は「歴史オタク(マニア)」であり、また「幕末オタク」であり、
なおかつ「大河ドラマオタク」です(※但し基本2000年までの大河限定)。

ですから、今年放送された大河ドラマ『西郷どん』については、放送が始まる直前の昨年の12月、幕末の歴史の事をいろいろとここで解説しました

もちろん、その時から既に指摘しておりましたように、
「大河ドラマ『西郷どん』はゴミ作品になるであろう」
という事は、私にとっては(そのゴミ度合いが想像を絶したレベルであったにせよ)既定路線でしたので、一応その確認の為に5月と10月の二回に渡って『西郷どん』に関する論評記事を書きました。

今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ・総評(2018/05/28)
NHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ【5か月ぶりの追加論評】(2018/10/24)

この史上最低の大河作品である『西郷どん』については(まあ2015年の『花燃ゆ』最低大河の「薩長同盟」とは上手く言ったものだと思うが)上記の二回の記事で全て書き尽くしておりますので、そういった論評や感想を今回ここで改めて書くつもりはありません。

ただ、この『西郷どん』も明日で最終回になりますので、この一年間、このゴミ作品に付き合わされてきた私としましては一言言っておきたい気持ちも「無きにしも非ず」といった所です。

そんな訳で、今回少しだけ『西郷どん』関連の話、というか「西南戦争」関連の話をしたいと思います。

https://twitter.com/U40rou/status/1071732929414328320



明日で最終回を迎える『西郷どん』は、まあ皆さんが番組をご覧になっているかどうか分かりませんが(まあ大方の人は見てないと思いますけど)、西郷隆盛が主人公なのですから当然の事として、最終回とその直前の回で「西南戦争」の事を取り上げています。

181213_j6sa66h54ftw_0007.jpg

181213_j6sa66h54ftw_0008.jpg

5月と10月の論評でも指摘しましたように、今回の『西郷どん』は28年前に放送された『翔ぶが如く』のリメイク作品です。
(※但しその時も書いたが、リメイク作品のくせに元の作品とは全く真逆のコンセプト(=薩摩隼人である西郷隆盛の否定)で作られてはいるのだが)

そしてその『翔ぶが如く』という作品は3年前に『大河ドラマと日本人』という本(星亮一と一坂太郎の共著)の論評をした時にも指摘してますが、司馬遼太郎の原作では大河ドラマと違って物語は明治時代からスタートしており、特に西南戦争が物語の中心的なテーマとして扱われている作品です。

大河ドラマの『翔ぶが如く』では幕末の部分を「第一部」として、明治時代の部分を「第二部」として描いております。そして一応『西郷どん』もそれと同様のスタイルを踏襲しています。

ただし『西郷どん』では明治時代の部分に10話ぐらいしか割いていないのに対して『翔ぶが如く』では、上記で「原作は明治時代のみで、物語の中心は西南戦争です」と書きましたように、「第二部」(=明治時代)がメインの作品なのですから、そちらの部分に約20話を割いています。

幕末部分の比較でさえも『翔ぶが如く』と『西郷どん』ではドラマの出来が雲泥の差です。いわんや明治時代及び西南戦争関連の描写については、この両作品の「明治時代・西南戦争」への力の入れ具合からしても、まあ「言うまでもない」といった所でしょう。




上記で述べましたように、今回はドラマの論評をするつもりはありません。

ただ、私にとって因縁浅からぬ『西郷どん』という作品がようやく終わりを迎える事になって、西南戦争の話を(一応まがりなりにも)大河ドラマの中で扱ってはいますので、西南戦争にまつわる事柄について少しだけここで書いておきたいと思います。

と言っても西南戦争の事を詳しく解説する訳ではありません。西南戦争の事を詳しく知りたい方は是非、司馬遼太郎の小説『翔ぶが如く』を読む事をお奨めします。


今回私が取り上げたいのは、司馬遼太郎の対談本の中で司馬と山本七平が西南戦争について面白い対談をしておりますので、その対談の事を紹介したいと思いまして、今回このように取り上げたという訳です。

文藝春秋80周年記念出版 司馬遼太郎対話選集
(監修・解説・解題 関川夏央)
http://www.bunshun.co.jp/book/80shiba/
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この対話選集の3巻に「山本七平 日本人とリアリズム」という対談が載っています。その中から以下に紹介します。
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(※この対談は昭和51(1976)年に行われたもの。対談の中で山本はフィリピン戦の事に触れているが、山本はフィリピン戦に従軍していた)

(以下、一部抜粋して引用。フォント色は私の編集。ピクチャは大河『翔ぶが如く』より)
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山本七平 わたしは、西南戦争というのはいちばん興味があるんです。見ていきますと、あれは太平洋戦争なんですよ。何でこんな同じことをやったのかと思うぐらい似ちゃうんですよね。
司馬遼太郎 たしかに、似ていますね。つまり政府軍が、アメリカ軍なんですね。
山本 そうなんですよ。西郷軍のやりかたというのは、フィリピンの日本軍と全く同じです、最後は。
司馬 西郷軍は宮崎県あたりまで進んだあと敗退し、フィリピンの日本軍のように山中彷徨する。最後は故山(鹿児島)で滅亡する。
山本 犬養木堂(毅)の新聞記事なんか見ると、これは何の話かな、太平洋戦争の米軍側の従軍記者の記述とそっくりじゃないかとまで思えてくるんですよね。「使用銃弾、一日四十万発に達せり」なんて書いてあるでしょう。すげえなあ、米軍だなあ、ヘェー日本軍が明治十年にこんなことやったのかなあっていう気がするんですよ。
 一方、西郷側は河原で石を拾って火縄銃にこめて撃ったり、抜刀隊を組んで斬りこんでくる。どうして最期を迎えるときは日本人てこうなるんだろう、将来もまたやるのかなあと、つくづく変な気がしてくるんですよね。
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司馬 もうやらないと思いますけど(笑)。悲愴美に惑溺(わくでき)するという精神病理的な何かがあるのではないかと思えるほどに似ていますね。まず西郷が、明治六年の暮れに辞官して国に帰りますね。そうしたら、西郷によって芋の子のようにいっせいに取り立てられた連中、近衛少佐になったり、近衛中尉になったりしたのがほとんど引き揚げる。
 そのときは、帽子を全部池にほうりこんでかえる。帽子のてっぺんが赤いものですから、血の海のようになったというんですね。だからって、西郷自身も、天皇に挨拶したわけじゃないんです。天皇の番人であるはずの近衛将校が、全部挨拶なしですよ。ここは、まだ薩摩藩というのが戦国の匂いを持ってて、江戸封建制の中でただ一つ戦国の匂いを持ってた感じでしょう。つまり織豊時代までの匂いをまだ持ってたから、集団としての自立性が強いわけですね。
 薩摩藩における個の自立性と、藩の自立性というのは、分析したり喋ったりすると長くなりますけど、要するに自立性が強い。自分たちは便宜上、天皇をかついだけれども、西南戦争後にくる法制的な天皇崇拝の要素は彼らにはないわけです。
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山本 ないですね。
司馬 それに、九州は水田地帯ということもあって、戦国以来薩軍は馬に乗らないんです。戦国島津勢というのは歩兵仕立てでした。他の九州勢は、関東武者のように歩騎混合でしたけれど。
 そのかわり、江戸期の薩摩武士の教育法というのは、見ててもはっきりしますけれども、さっきの一時間六キロ行軍というのをやるわけですね。どこそこまでどのくらいの時間で行けっていう教育ばっかりです。だから、西南戦争の薩摩隼人が、あれだけの歩兵としての歩行力を発揮したのは、つまり歩兵による集団機動ができる能力まで達していたわけですね。こういうことまで、西郷の薩軍は旧日本陸軍的でした。
 ところが、攻める側の政府軍は考えられないほどに弱い。江戸期を経てきたお百姓の青年たちは、天地と共に生きていけばよかったはずなのに、兵隊に採られる。だから出来るだけ逃げよう、出来るだけ逃げようとどこかで考えている。
 日本の戦争は、戦国時代でもよく逃げますからね。源平戦争でも逃げますね。ちょっと不利だというと逃げるんです。そういうごく一般的な日本人である鎮台兵をひきいて、戦国以来最強の薩軍に向かうには、もう物量しかない
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山本 本当に物量ですよ。「横隊を組ましめて…」とあるんですけど、何列にもして、ただ撃て、やたら動くな。どんなに迫っても撃つ専門にしろ。
司馬 田原坂段階からは、白兵のときに、三人一組か四人一組で敵の一人と向かえ。それで敵を囲め。敵の背後まで回れ。これは日本陸軍歩兵の分隊教練と同じでしょう。それでぼくは、ああそれは田原坂で得たのかと…。あの強い薩摩武士とやるには、これでやるとうまくいく。だから日本の白兵というのは、一対一で日露戦争のときにロシア人とやるというのは、向こうの体格は大きいし、銃も長いし、結局はこれだろう。三人か四人一組で一人を倒すというのは、新選組もやってるんですね。赤穂義士もやってるんですね。過去の教育が甦ったんでしょうね。だから、自分を弱いものだとするのがリアリズムの最初だと思うんですよね。ここはリアリズムがあるんです。
 ここから山県が、この成功を軸にして日本陸軍をつくった。
山本 そうですね。だから、非常に不思議になるんです。これだけはっきりとリアリズムがあった日本軍が、どうしてなぜどこで転換して、逆に…。
司馬 これは政略戦略よりも戦術的あるいは技術的リアリズムだと思うんですよ。三人一組、四人一組が強いというのは。
山本 そういうところは非常に合理性があるんだけどなあ…。
司馬 技術的リアリズムというのは、大局を合理的に考えるというときにはあんまり役に立たないんじゃないかと思うんですよ。
山本 戦後の発展は、一種の技術的リアリズムですね、この三十年は。(以下略)

まあ鹿児島および九州の出身者以外にとって西南戦争は、今では結構馴染みの薄い話になってしまっているかも知れません。
(※ちなみに私も九州出身者ではないが)

多分以前、このブログでも書いたような気がするのですが、私にとって「幕末」というのは1868年(干支では戊辰、元号で言えば慶応4年=明治元年)までではなくて、1877年(明治10年=西南戦争の年)までが「幕末の動乱の時代である」と、私自身はそのように認識しています。
(※一般的には「日本は幕末維新によって素早く変革を成し遂げた」みたいに言われる事がよくあるが、実際の所、仮にそのスタートを1853年(ペリー来航)に置くとしても、維新までは15年、西南戦争終了までは約25年もかかっているのだから「素早く変革を成し遂げた」などとあっさり言われると、多少突っ込みを入れたくなる気持ちもある)

とにかく、「歴史オタク(マニア)」「幕末オタク」である私からすると、現在の日本人にとってはかなり馴染みが薄くなりつつある「西南戦争」が、TVドラマで取り上げられるというのは嬉しい気持ちも多少はあるはずなのですけれども、なにしろそれが『西郷どん』というゴミ作品の話ですから、嬉しい気持ちは全くありません。

『西郷どん』は『翔ぶが如く』と比べれば脚本家と役者の実力が大人と子供ほどの差がありますので(実際、視聴対象も前者は子供向け、後者は大人向けになっているが)『西郷どん』は見るべき価値など全くありません(私は子供ではないので)。

明治新政府の内のやり取りにしても、「学級崩壊の高校生が口喧嘩してる」程度のくだらない内容ですし、番組終了は全くもって喜ばしい限りです。

https://twitter.com/U40rou/status/1071697299468894208


余談ですが、来年の大河ドラマ『いだてん』について。

上記のツイートでも書いてますけど、私は全く関心がありません。
このブログで取り上げる事も多分ほとんど無いでしょう。
(※昨年の『直虎』、一昨年の『真田丸』がそうであったように)

ただ一つだけ指摘しておきたいのは、この『いだてん』という作品が珍しく近現代を扱った作品であるという事について、これはもちろん再来年の「東京五輪2020」に合わせたもの、という理由もあるのでしょうけど、私はもう一つ理由があるのではなかろうか?と思っています。

と言いますのは、昭和62(1987)年、及びその翌年に『独眼竜政宗』『武田信玄』が大ヒットした理由として、その直前の近代路線3部作『山河燃ゆ』『春の波涛』『いのち』(=来年の『いだてん』同様、朝ドラに毛が生えたような作品)の反動があったから大ヒットした、というのはもはや大河ファンの定説になっていると言っても良いでしょう。
(※ちなみに私は『春の波涛』だけはDVDで全話見た。『山河燃ゆ』は序盤だけ見た。『いのち』は一切見てない)

多分来年の『いだてん』及び再来年の『麒麟がくる』(明智光秀の作品)についても、そのパターンによる「二匹目のどじょう」を狙っているのではないでしょうか。
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一年間、大河枠で「朝ドラもどき」を放送する事によって、従来の大河ファン及び歴史ファンの気持ちを一年間じらしておいて「その反動に期待する」といったパターンを(今回は3年間ではなくてたった1年間だが)30年ぶりにNHKは狙っているのでしょう。

しかし多分その目論見は失敗するだろう、と私はみています。

今の大河ドラマの作品の質は、80年代、90年代の作品とは比べ物にならないくらい劣化していますし、更に言えば「じらされる」という程、大河ドラマに期待を寄せている視聴者も今はほとんどいないでしょうから、多分これを機会に、逆に「大河」を見限る層が増えるんじゃなかろうか?と思います。


そりゃそうでしょう。

どうせ待った所で放送されるのは『西郷どん』などという低レベルなゴミ作品ぐらいのものなのだから。

そんなもん誰が待つか、という話ですわ。

【以下、テンプレート解説】このブログで使っている言葉の定義について
<“左翼”ではなくて“サヨク”>
今の日本で“左派”と呼ばれている連中は、本来の意味での“左翼”ではなくて、単なる「憲法9条的な戦後サヨク」といった意味合いの物でしかないので(しかし今の日本で彼らは“左翼”ではなくて“主流派”である)、私は“左翼”ではなくて“サヨク”という言葉を使っている。

<“保守”ではなくて“いわゆる保守”>
先の大戦の敗北によって従来の価値観をほぼリセットされた戦後の日本では、真に“保守”すべき日本の国柄は既にほとんど失われている。また今の日本で「独立自尊」「自主憲法の制定」を唱えるのは“保守派”ではなくて“改革派である。それ故に一番相応しい呼称は“反サヨク”と呼称すべきだがそれでは「通りが悪い」ので、私は“いわゆる保守”という言葉を使っている。

「戦前の価値観」を知っている日本人がまだ数多く存命していた昭和の終わりまでは“保守”も“左翼”もある程度は字義通り通用していたのかも知れないが、戦後の日本しか知らない日本人が大半を占める今の日本社会では「かつての字義はほとんど通用しなくなっている」という事である。

※過去に何度か誤読されたり、こういった説明をする必要に迫られた事があるので、テンプレートとしてここに明示しておく。

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2リンク3リンク4
(※NHK受信契約訴訟の最高裁判決(平成29年12月6日)に関する記事)
「NHK受信契約訴訟・最高裁判決」から私が考えた事(2017/12/9)

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには潤沢な資金(税金)があり、更には「映像や音声で直接感覚に訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合、それが至上命令となっておりやり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが3.11以降に垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク1リンク2

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク1リンク2

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民進党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(了)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

NHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ【5か月ぶりの追加論評】

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ここ最近は特にブログで取り上げたいと思わせるような政治・社会的な事件も見当たらず、NHKの報道についてもこれと言って突っ込みたいと感じるような話題も見当たりませんので(いや、細かい部分をつっつくのであれば私はいくらでもNHKに文句を言う事はできますけど)、久しぶりに「NHK大河ドラマ」の事を書きたいと思います。

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まあ「総論」として言えば、5か月前に書いた記事でほとんど言い尽くしてしまっており、その時に私が指摘、あるいは「予言」した通り、今に至るまで「ゴミのような番組の垂れ流し状態」が継続されております。

今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ・総評(2018/05/28)

この記事の中で、私は以下のように書きました。
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(以下、一部抜粋して引用)
今後この『西郷どん』に関する話題は基本的に(多分終盤に少しだけ登場すると思われるアーネスト・サトウに関する事以外は)二度と触れないつもりですので、まさかそういった話題を求めてこのブログに来る人がそんなにいるとも思えませんが、私が『西郷どん』に対して抱いている認識を勘違いされては困りますので、ここで一応の論評を書く事によってケリをつけておこうと思いまして、今回わざわざ書く事にした訳です。(以下略)
-------------------------------------------------------------------

ちなみに一応『西郷どん』では数話ほど前にアーネスト・サトウ及びウィリアム・ウィリスも登場しましたので、まさかこの記事の記述を憶えていてサトウやウィリスに関する話を求めてこのブログを来訪される方がいるとも思えませんが、一応このように書いてしまったという建前もあり、というか実を言えばこちらのほうが本音なのかも知れませんけど、
このゴミ大河に対するうっ憤を多少は晴らしたい」
という気持ちもあり、今回5か月ぶりに大河の論評を書く事にしました。



確かにこのブログではこの5か月程、『西郷どん』の事には一切触れてはいませんでしたが、実はツイッターのほうでは毎週のように批判や突っ込みを書き込んでおりました。

https://twitter.com/U40rou/status/1043827764908851200



https://twitter.com/U40rou/status/1048899368269406208



https://twitter.com/U40rou/status/1051444684956946433


これらはほんの一部だけですので、実際にはもっと数多くツイートしまくっております。しかしこのような「うっ憤」をこのブログ上で書いてしまいますと、それこそ3年前のゴミ長州大河の二の舞というか、ブログの内容が大河批判だらけになってしまいますので、この5か月間はブログ上での『西郷どん』批判は封印してきた訳です。




ところで、世間一般における『西郷どん』の評価というのは一体どうなんでしょうか?

私はその事について特別に調査をした訳ではありませんが、おそらく一般的な見方としては、
「つまらない。駄作である。見たいとは思わない」
という意見が大方の所を占めるのではなかろうか?と感じています。

それは「視聴率」という指標で見てもある程度指摘できる事なのでしょうけれども、私は過去に「大河ドラマの視聴率」という言葉を取り上げる際には必ず注意書きをしてきましたように、私は「大河ドラマの視聴率」という要素をあまり重視しておりませんが、それでも少なくとも「一般視聴者」(=大河ファン及び歴史ファン以外)の視聴傾向として見れば、それなりに一つの傾向を示す数字ではあるのでしょう。

そして実際の所『西郷どん』の視聴率は低迷しているようです。

西郷どん視聴率低迷、スカッとする明るさ足りない? 2018年9月3日
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201809010000042.html

NHK大河ドラマ『西郷どん』3年ぶり1ケタ台陥落の危機到来! 2018年08月21日
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12122-173414/

私自身の考えとしては「大河ドラマの視聴率」という数字が、そのままイコール「実際のドラマの質を表すもの」という考えではありませんが、少なくともNHKの内部の人間、特に現場や下請け企業などの人間からすれば「視聴率」は非常に重要な数字なのだろうと思います。

そしてこの事については、既に私は5か月前の記事の最後の部分で、以下のように結論付けております。
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(以下、一部抜粋して引用)
NHKが2015年には長州吉田松陰を、そして今年2018年には薩摩西郷隆盛を取り上げたというのは、私は偶然ではないと思っています。
(中略)
しかしそれでも薩長大河だから失敗作に終わったんだ』「薩長に対するネガキャン」という最低限の目的をNHKは果たせるのだから、多分それで十分なのでしょう。2015年も2018年も、NHKは全く同じ戦略を採用しています。

成功作を狙って作るのは大変だけど、失敗作を狙って作るのはアホでも出来ますからねw(了)
-------------------------------------------------------------------

この事は、この5か月前の記事だけに限らず、この中でも書いておりますように、私は3年前にも同じ事を既に書いております。
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(以下、一部抜粋して引用)
もう一つは、こんな「誰が見ても究極の駄作」である「江」という大失敗を一度経験しておきながら、全く反省する事もなく、今回再び「花燃ゆ」という「江」の姉妹作のような代物を堂々と出してきたNHKの神経が、実に不思議です。
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まあ今回の「花燃ゆ」に関して言えば、私もここ一ヶ月の記事で書いてますように
『様々なイデオロギー的な事情から、そもそも番組を成功させるつもりも毛頭無いのだから、わざと失敗作を作っているのだろう
という裏事情もある訳でして、
「失敗作こそが成功作」なのでしょう。NHK的には。今回だけは。
しかも楽ですからね、わざと失敗作を作るのは。手を抜けば良いだけの事ですから。(以下略)
-------------------------------------------------------------------

要するに視聴率の事も含めて(ちなみに3年前の『花燃ゆ』も視聴率は大失敗だったが)、元より「成功させる」という意気込みは毛頭なかった訳で、今回のような結果になる事は、少なくとも私にとっては「当然の帰結」として、既に5か月前から分かっていた話です。

もちろん、現場に携わっている人間や下請け企業など、それらの関係者の人々は「なんとかして視聴率が上がるようにしよう!」と努めて、各種キャンペーンを展開するとか、あるいは「ネット上での擁護書き込み」を展開するとか、実際の番組内容とは全く関係の無い所で一生懸命努力はしているようですが(これがまた、そういう書き込みをよく見かけるんだよね。特に「役者は頑張ってる」とか)、まあそんなものは焼け石に水ですね。

そんな無駄な努力をいくらやった所で、大元のNHK本体が、
薩長大河だから失敗作に終わったんだ』
というイデオロギーを優先させて、最初から「失敗作になっても別に構わない」というスタンスなのだから、枝葉の連中が何をどうした所で、そんなもの上手く行くはずがないだろう?という、ただそれだけの話です。




「『西郷どん』は酷いゴミ作品である」という事について、私の個人的な意見としては「全くその通りだ」と何の抵抗も無く言い切る事ができますが、それは私自身が大の幕末マニアであり、また『翔ぶが如く』をちゃんと全話見ているという事も、その理由としてはあるのだと思います。

この『西郷どん』と『翔ぶが如く』との関係性については、既に5か月前の記事で詳しく解説しております。

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実際の所、この『西郷どん』という作品が『翔ぶが如く』のリメイク作品であるという事は、誰がどう見ても疑う余地はありません。

そして、今回の『西郷どん』への見方や評価に関して言えば、
『翔ぶが如く』をちゃんと見た事があるかどうか
という要素は、その見方や評価に大きく関わってくると思います。

おそらく、『翔ぶが如く』をちゃんと見た事が無い、あるいはそもそも幕末の歴史にあまり興味を持ってないとか、そういった視聴者からすれば、今回の『西郷どん』は「単にドラマとして全然面白くない」という、ただそれだけの事に過ぎないものだと思います。

しかし、私のような人間は、そうはいかないのです。そしておそらく多くの鹿児島県民も同様なのだと思います。この『西郷どん』に対して「憤懣やるかたない」という思いを抱いている点では。

なにしろ『西郷どん』で描かれる薩摩隼人は全然カッコ良くありません

西郷(吉之助)のような偽善者とか、信吾(従道)のようなヘタレとか、その他の薩摩隼人も、全くどうでもいいようなチャラい男としてしか、このドラマでは描かれておりません。

28年前の『翔ぶが如く』とは、全く真逆の描き方です。

https://twitter.com/U40rou/status/1053972255229673472


https://twitter.com/U40rou/status/1053974031009906689


https://twitter.com/U40rou/status/1043842495195504640


そりゃまあ、このブログで毎年8月に書いているように、NHKが「戦争を美化する」ような描写をするはずがないというのは当たり前の話なのかも知れないが、だったら最初から幕末の島津兵児の中心的な存在である「薩摩隼人・西郷隆盛を主人公にする」などという「ふざけた選択」をしなければ良いだろう?という話ですわ。
(※「主役は西郷隆盛です」と看板を掲げつつ、中身は全くのホームドラマという羊頭狗肉な詐欺番組で、これなら「主役は松陰の妹です」と、正直に狗肉を並べてた3年前のほうがまだマシだ)

今後NHKは、戦国時代の大河作品で島津義弘の勇猛ぶりとか、その他の島津兵児の奮戦ぶりなどは二度と描かない、という事ですよね?

今回の『西郷どん』では、まるでNHKの8月の放送スタンスのように、「あの島津家中の薩摩隼人」に「戦さは悲惨でおっかないから嫌」みたいなセリフばかりを言わせているのだから。

まあ、こんなバカげた幕末大河であるのだから、幕末ファンは言うまでもなく、一般視聴者だって呆れて見なくなりますわな。言うなれば、島津義弘を主人公にして「戦さは民のためにならないから嫌」みたいなホームドラマ風の話を一年間延々とやれば、そりゃ視聴者だって呆れますわ。

というか、この脚本家が「ホームドラマ」以外全く描く気が無く、男性キャラクターには全く感情移入していない事は(5か月前にも書いたが)ミエミエで、そんな脚本家自身が感情移入してないキャラクターに視聴者が感情を寄せられるはずもなく、そんな作品は「ドラマとして糞以下」というのは「プロのくせにそんな事も分からんのか?」というレベルの話でしょうよ。
(※繰り返すけど元々やる気ゼロなんだから糞以下なのは当たり前だが)




あと、細かな突っ込みを入れておくと、この『西郷どん』が『翔ぶが如く』のリメイク作品である事は上記で書いた通りですが、NHKを含めたメディア全体の雰囲気としては『西郷どん』が『翔ぶが如く』のリメイク作品であるという事を敢えて言及しなかったりとか、『翔ぶが如く』と比較されるのを避けているような雰囲気をひしひしと感じます。

そりゃまあリメイク作品のくせに、元の作品とは全く真逆の方向性のドラマを作っているのだから、「28年前の作品の事など、知らせないに越したことはない」とNHKやメディア関係者がそのように考えるのはある意味当然と言えるでしょう。

しかも5か月前の記事でも書きましたように、
-------------------------------------------------------------------
(以下、一部抜粋して引用)
やはり一番重要なのは、
司馬遼太郎の大河『花神』『翔ぶが如く』に対するアンチテーゼ。更にはその両作品を上書きして消し去りたい
という思惑から来ているのだと思うのです。

もちろん2015年=長州=吉田松陰=『花燃ゆ』も、2018年=薩摩=西郷隆盛=『西郷どん』も、どちらも「まともな大河ドラマではないスイーツ大河」ですから、その上書き足りえたとはとても言えないでしょう。
(以下略)
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『西郷どん』を放送する目的の一つが「『翔ぶが如く』のイメージに上書きをする」という事なのだから、もし視聴者が28年前の『翔ぶが如く』の事を知らない人間であれば、「そのまま知らない状態で、『西郷どん』のイメージだけ脳みそに残して下さいね」と目論むのは当然の話でしょう。



ただし私が不思議に思うのは、この『西郷どん』という作品の中では、結構露骨に『翔ぶが如く』の事を思い出させるようなシーンがある、という事です。まあこれは、『翔ぶが如く』の事を知らない人間にとっては全く意味の無い演出というか表現手法なのですから、当然の話として『翔ぶが如く』の事を知っている人向けに表現されている、という事になる訳ですけど。

それは例えば、「『翔ぶが如く』ではあのように薩摩藩にとって良心的な形で描かれていたけど、実はこんな悲惨な側面もあったのだよ」みたいな形で描かれていたり、あるいは「『翔ぶが如く』で既にあのように描いてしまっているから、全く同じに描いたのではパクリみたいになるから少し変えてみよう」といった表現がしょっちゅう見受けられます。

まあそれらの表現手法はともかくとして、「この場面は『翔ぶが如く』で一度やっているから皆知ってますよね?だからここの表現(例えば時代背景の解説)は省きます」みたいな省略の仕方も時折り見受けられるので、ツイッターなどでしょっちゅう「時代背景を知っている事を前提とした、突然のストーリーの飛躍が多すぎる」といった批判も目立ちます。

しかしそもそも、上記で書いたようにこの脚本家は「ホームドラマ」以外全く描く気が無く、政治劇や歴史描写などには全く関心が無いのだからその点がズサンになるのは当然の事で、ましてや戦闘や戦争の場面なんかは「戦争は悲惨で嫌」という事以外は絶対に書きたくない、という性格にようですから、歴史描写が多少分かりづらくなっても「別にいいじゃん。メインであるホームドラマの部分には関係無いし」といった感覚なんだと思います。



しかしそれらを踏まえた上で私が一番不思議に思うのは、この脚本家が「歴史描写には全然関心が無い」という姿勢であるのは幕末ファンであれば皆分かっている事でしょうけど、にもかかわらず稀に、結構マニアックな歴史描写を挿入してきたり(もちろん磯田氏とかの歴史考証家の助言なのだろうが)、あるいは『翔ぶが如く』で描かれていた歴史描写を、最近の潮流である歴史描写に修正したりしている場面が時々見受けられるという事です。

なんと言いますか、ネット上のいろんなサイトで「『西郷どん』のこの歴史描写がおかしい。だから『西郷どん』はダメな作品なのだ」という批判を見かける事があるのですが、私はあまりそういった批判には意味が無いと思っています。

もちろんそういった批判はあっても良いのですが、そもそも一般の視聴者は細かな歴史の知識なんて知ってるはずもないでしょうし、更に言えば「司馬遼太郎的な歴史描写」を史実としてそのまま受け取ってしまう人だって(良し悪しは別として)少なくありません。

何を言いたいのか?と言いますと、先ほど書きましたようにそもそも『西郷どん』の脚本家は「歴史描写には全然関心が無い」のですから、その人が書いた脚本に対して、部分的に歴史描写の不備を示して「ここがおかしい。あそこがおかしい」などと批判した所で無意味だと思うのです。

こんな話は、もっとシンプルに一言で済む話でしょう。
「この脚本家は歴史に全然興味が無いよね」と。

そんな脚本家に対して一つ一つ事例を示して歴史描写の不備を指摘した所で、一体何の意味があるのか?という話ですよ。

本当に指摘すべきは、歴史に全然興味が無い脚本家のくせに、稀に結構マニアックな歴史描写を挿入してきたり、あるいは最近の潮流である歴史描写に修正したり、
全くもって無意味で滑稽な歴史描写スタンスだよね
という事で、これこそ私が以前からずっと不思議に感じている点なのです。




さて、最後に、冒頭で書きましたようにサトウとウィリスの話もしないと、今回の話にオチがつけられませんよね。

https://twitter.com/U40rou/status/1043823087538528256


この『西郷どん』では第33話で、パークスが薩摩へ訪問した際の通訳として、また第34話では西郷との個人的な面談の場面で、サトウは登場していました。

第33話のほうでは一応松木弘安(寺島宗則)も通訳として出てたようですが、オープニングのキャスティングテロップを見てないと「それがサトウと松木である」という事が分からない、といった程度の扱われ方でした。
(※ちなみにツイッターでは詳しく書いたが、史実ではサトウはパークスの薩摩訪問には同行していない。ウィリスは同行してたけど)

そして第34話のほうではナレーションで「西郷はサトウと対面しました」みたいな事を語っていたので、この場面では一応重要なキャラとして扱われており、これは『翔ぶが如く』の扱いとほとんど同じと言えるでしょう。

ただしこの『西郷どん』では、サトウに「これはあくまで噂ですが、フランスは(幕府への軍事援助の)見返りに薩摩を領地として要求している」などと言わせるというバカバカしい捏造と言うか「幕末作品の脚本としてはセンスゼロ」としか言いようがない脚色をやってくれてましたけどね。

<『西郷どん』第34話のサトウと西郷の場面>
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<参考までに『翔ぶが如く』でのサトウと西郷の場面>
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そしてウィリスの方はと言うと、第36話で鳥羽伏見の戦いで負傷した西郷信吾の治療をする外国人医師として、まあこれは一応史実準拠ではありますが(と言うか、この『西郷どん』では、あろう事か大山巌の存在を抹殺してるので、その点では史実準拠とは言い難いが)私が知る限りにおいては、おそらくウィリアム・ウィリスの大河初登場という事になるのでしょう。

<『西郷どん』第36話のウィリスの場面>
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まあ、こんなゴミみたいな大河に登場した所で何の感慨もありませんけど。

ちなみに上記のツイッターで書いておりますように、サトウとウィリスは近々描かれる予定の西南戦争にも多少関わってはいますけど、まあそんな話はサトウやウィリスに興味を抱いている人であれば当然、萩原延壽先生の『遠い崖』の13巻「西南戦争」を読んでおられるでしょうから、ここでは敢えて記しません。

この二人が今後『西郷どん』で登場する可能性は低いでしょうし、そして何よりも今回の記事がちょっと長くなり過ぎた、という事もありますので、今回はここまでにしたいと思います。
(※しかしそれにしても、幕末時代の描写ですら「戦争は悲惨で嫌」が信条であるこの脚本家に、西南戦争をどうやって描かせるつもりなんだろうか?いや、実際既にどん底の評価しかない『西郷どん』がこの先どれだけトチ狂った話になった所で知ったこっちゃないから「好きにやってくれ」という感じなのだが)(了)

【以下、テンプレート解説】このブログで使っている言葉の定義について
<“左翼”ではなくて“サヨク”>
今の日本で“左派”と呼ばれている連中は、本来の意味での“左翼”ではなくて、単なる「憲法9条的な戦後サヨク」といった意味合いの物でしかないので(しかし今の日本で彼らは“左翼”ではなくて“主流派”である)、私は“左翼”ではなくて“サヨク”という言葉を使っている。

<“保守”ではなくて“いわゆる保守”>
先の大戦の敗北によって従来の価値観をほぼリセットされた戦後の日本では、真に“保守”すべき日本の国柄は既にほとんど失われている。また今の日本で「独立自尊」「自主憲法の制定」を唱えるのは“保守派”ではなくて“改革派である。それ故に一番相応しい呼称は“反サヨク”と呼称すべきだがそれでは「通りが悪い」ので、私は“いわゆる保守”という言葉を使っている。

「戦前の価値観」を知っている日本人がまだ数多く存命していた昭和の終わりまでは“保守”も“左翼”もある程度は字義通り通用していたのかも知れないが、戦後の日本しか知らない日本人が大半を占める今の日本社会では「かつての字義はほとんど通用しなくなっている」という事である。

※過去に何度か誤読されたり、こういった説明をする必要に迫られた事があるので、テンプレートとしてここに明示しておく。

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2リンク3リンク4
(※NHK受信契約訴訟の最高裁判決(平成29年12月6日)に関する記事)
「NHK受信契約訴訟・最高裁判決」から私が考えた事(2017/12/9)

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには潤沢な資金(税金)があり、更には「映像や音声で直接感覚に訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合、それが至上命令となっておりやり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが3.11以降に垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク1リンク2

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク1リンク2

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民進党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(了)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』に関するまとめ・総評

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青山繁晴議員等のまともな国会議員は別としても、この緊迫した国際環境の中で相変わらず「モリ・カケ」ばかり騒いでいる日本の国会やメディアが「学級会レベルである」というのは2週間程前にも書きましたし、「この問題に関わって時間を取られるのは(私も含めて)全くの無駄である」という事も、このブログでは過去に何度も書きました。

その一方で、最近緊迫の度を増している「北朝鮮問題」「米朝首脳会談」を中心に、そういった外交問題を取り扱うメディアの姿勢などに注視してしばらくはブログを書くつもりである、という事もここ最近の記事では書きました。

にもかかわらず、今回はそれらとは全く関係のない
NHK大河ドラマ『西郷どん』
の事について書こうと思います。
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まあ「米朝首脳会談」については、もうしばらくの間は「揉み揉みする」(=二転三転する)でしょうから、今の内にこの「しょーもない話」について一応のケリをつけておきたいと思います。
(※そんな訳で今回は当然、歴史、ドラマ、小説カテゴリの話になります)



昨年末および今年の年初にこのブログをご覧になった人は覚えておられるかもしれませんが、私は相当な幕末オタクですから、今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』に関しては当初から「良くも悪くも」それなりに注目していました。

<過去記事リンク>
野田聖子発言と「西郷どん」と安倍総理の「憲法改正」の関係性(2018/01/18)
西郷隆盛の大河ドラマであれば「征韓論」の話は避けられないよねえ(2018/01/05)
NHK御用達の反原発プロ市民について。余談として幕末関連の話題を少々(2017/12/29)
来年の幕末薩摩の大河ドラマを来月に控えて、幕末関連の話などを少々(後編)(2017/12/02)

今後この『西郷どん』に関する話題は基本的に(多分終盤に少しだけ登場すると思われるアーネスト・サトウに関する事以外は)二度と触れないつもりですので、まさかそういった話題を求めてこのブログに来る人がそんなにいるとも思えませんが、私が『西郷どん』に対して抱いている認識を勘違いされては困りますので、ここで一応の論評を書く事によってケリをつけておこうと思いまして、今回わざわざ書く事にした訳です。



さて、上記の一連の過去記事でも書きました通り、私は今年の大河ドラマ『西郷どん』は、
多分3年前のゴミ長州大河『花燃ゆ』の二の舞になる
と予告しておきましたが、今現在半ば近くまでストーリーが進んできているのと照らし合わせてみても(※実際はクダラない話に時間を割きすぎて西郷隆盛の人生のまだ序盤部分なのだが)、実際確かに、
3年前のゴミ長州大河『花燃ゆ』と全く同じだった
という結果が見えてきています。

<参考用リンク:拙ブログ内のNHK大河『花燃ゆ』カテゴリリンク
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いやはや、私もちょっと認識が甘かったです。
酷い内容になる事は薄々分かってはいたものの、少なくとも「あの」3年前のゴミ長州大河『花燃ゆ』と同じものを「まさか」もう一度作ってしまう程、NHK大河スタッフの力量は堕ちてはいないだろうと勘違いしておりましたので『酷い作品になるのは間違いないが、いくらなんでも『花燃ゆ』よりはマシな程度に収まるだろう』などと楽観視しておりましたが、フタを開けてみれば何の事はない、全く同じゴミ作品でした。

そして過去に繰り返し指摘していた話で、更に言うと多くの鹿児島県民が今現在同じ気持ちを抱いていると思いますけど(※ちなみに私は鹿児島出身者ではない)、
28年前の『翔ぶが如く』のほうが百倍まともだ
という話ですよね。
(※細かい史実云々の指摘は、ドラマ作品なのだからさておくとして)

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それにしても当初から不思議だったのですが、28年前に一度、同じ西郷隆盛を主人公にした作品を作っているにもかかわらず、なぜ今回も全く同じ主人公を選んだのか?これは私だけに限らず、他のネットサイトでも度々言われている疑問でもあり、幕末関連のドラマを作るのであれば他に取り上げるべき人物はいくらでもいる訳で、しかもここ30年間で既に二回も「幕末薩摩」の作品をやっているというのに(=『翔ぶが如く』『篤姫』)、
なぜ今回、また薩摩で、また西郷隆盛なのか?
と、誰だって不思議に思いますよね。

いや。それでも作品としての出来が素晴らしいのであればまだ少しは理解できますが、同じ設定の前作(『翔ぶが如く』)と比べても、お話にならないぐらいの「ゴミ作品」になっているという、これはもう全くもって理解不能な制作姿勢で、
『一体何がやりたくて今回、西郷隆盛を主人公にしたんだよ?』
としか言いようがありません。



まあ、ねえ。
これは3年前の『花燃ゆ』の時から私がずっと言い続けている事ではあるのですが(今年1月の記事でも書きましたが)、どう見てもこれは「NHKのゆがんだイデオロギー」が影響しての結果としか、私には思えません。

それは要するに、
(1) 「薩長明治新政府=戦前の日本」なのでネガキャンをやりたい。
(2) 安倍総理の地元は長州なので、薩長へのネガキャンをやりたい。
(3) 「明治維新150年」をポジティブに捉えている安倍政権に対してネガキャンをやりたい。

これらの事を、視聴者には気づかれないようにこっそりと印象操作によって国民に対して植え付けたい、という事なのだと思います。
(※ドラマの中だけに限らず、NHKを中心にして裾野が広がっているサヨク系メディアも使って、そういった雰囲気を喚起する事も含めて)

「いわゆるサヨク」の連中が「薩長明治新政府を嫌っている」という事は、私は過去に何度も書きましたし、特に今年の1月18日の記事でその辺の話は詳しく解説しましたので、興味のある方はそちらをご覧になって下さい。

またそれに関連して「NHKの幕末の大河ドラマ作品」が過去にどのように作られてきたのか?という事についても併せて、以下の過去記事で詳しく解説してありますので、興味のある方はこちらもご参考までに紹介しておきます。

続・日本人にとって明治維新は良かったのか?悪かったのか?(2015/03/26)
倉山満と私の「幕末物のNHK大河ドラマ」に関する論評(2015/02/08)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 番外編「司馬遼太郎作品について」(2015/05/05)


私は上記で今回の『西郷どん』に対してただひたすら「ゴミ作品」としか書いてないので『では具体的にどこがどうゴミ作品なのか?』という事を本来であれば詳しく指摘しなければならないのでしょうけれども、う~ん、ハッキリ言ってそんな事を指摘する気力も無い、というか「時間の無駄」だとも思ってます。まあ一言で言えば、
2002年以降粗製乱造されている「スイーツ大河」の一つに堕しており、それが女性主人公の作品(『篤姫』『江』『花燃ゆ』等)であればまだしも、まさか“西郷隆盛”主人公で「スイーツ大河」になるとは言語道断である
という話です。
(※つーか、昔散々書いたけど「スイーツ話」を観たけりゃ「朝ドラ」観れば済む話だろう?なぜわざわざ大河でやる必要があるんだよ?って事よ)

なにしろ28年前の『翔ぶが如く』が、これとは逆に「熱い薩摩隼人たち」を描いた男臭い熱血幕末大河であっただけに、この落差はデカ過ぎます。年配の鹿児島県民はあっけにとられて腰が抜けてるんじゃないでしょうか?
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そしてなぜNHKがこういった「スイーツ大河」ばかりを粗製乱造するのかと言えば、その理由も私は3年前にかなり詳しく書きましたので興味のある方は以下の記事を参考になさって下さい。

なぜ大河ドラマは滅びるのか 後編(2015/03/01)

ただし、NHKも多少反省をしているのか、再来年の大河は脚本に池端俊策氏を起用する予定みたいですから、少しは方向転換する気があるのかも知れませんが、私としては『今更何やっても無駄だよ』と思ってますけどね。

2020年 大河ドラマ 制作・主演決定!脚本 池端俊策 & 主演 “明智光秀” 長谷川博己 (2018.04.19)
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=14251

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まあ私としてはジェームス三木先生は別格としても、池端俊策氏への評価は、多少微妙な所もあります。両氏は3年前に「経世済民の男」で共に脚本を書いておりましたので、その時に少しだけ論評を書きました。

経世済民の男「高橋是清」。脚本はジェームス三木(2015/08/30)

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しかしまあ、この両氏であれば「慶喜を守る為とはいえ、主人公である西郷に人殺しをさせる」とか、「大久保に月照殺害の命令を出させる」とか、そんなわざわざ入れる必要もないエピソードなんか入れないでしょうし、ましてや今回の『西郷どん』で散々描かれている女性キャラによる「場違いな自己主張の場面」なんか入れるはずもありません。
(※というか、どう見ても『西郷どん』の脚本家は男性キャラには全く思い入れが無く、女性キャラにはやたらと思い入れたっぷりに持ち上げる描写が多い。男(西郷)が主人公のはずなのに。まあ女性が主人公だったのに「全くろくでもない女性キャラだらけ」だった『花燃ゆ』と比べてどっちが酷いのか?よう分からんけど。とりあえずどっちも「幕末の歴史には全く興味が無い脚本家が書いている」というのは見事に共通してるよな)

そして「スイーツ大河」である『西郷どん』では当たり前の話ですが、『篤姫』とか『花燃ゆ』もそうであったように、大体ストーリーの山場とか重要な場面は「泣き話」(=親族が死んだとか、貧乏・困窮しているだとか、理不尽にいじめられたとか)ばかりなんですよね。

ご存知の方がおられるかも知れませんが、同じ西郷隆盛を主人公にした『翔ぶが如く』のキャッチフレーズは、
『泣こよっかひっ翔べ!』
だったのです。

『翔ぶが如く』Wikiより以下に抜粋。
>『翔ぶが如く』という題は、「泣こよっかひっ翔べ」の言葉に象徴される薩摩隼人の行動力を、司馬がイメージして原作に付けたものである。
(以下略)

女性が主人公だった『篤姫』や『花燃ゆ』ならば、その設定上「泣き話」ばかりになってしまうのもある意味仕方がないとは思うけれども、西郷隆盛が主人公で、しかも28年前に『泣こよっかひっ翔べ!』をキャッチフレーズにしていた同じ西郷大河を作っているというのに、敢えて今回「泣き話」だらけの「スイーツ大河」を作るというのは、一体何考えてんでしょうね?




「明治維新は良かったのか?悪かったのか?」という話をする時は、これまで過去に何度も書いてきましたように、「司馬遼太郎」「司馬史観」の話は避けて通れません。

そしてこれも過去に何度も書いてきましたように、私は、
江戸幕府も、薩長明治新政府も、どちらもポジティブに捉えています

話は全然飛びますけど、百田尚樹氏が日本史の本を書いているようです。

https://twitter.com/hyakutanaoki/status/999513698803707904



https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1000627065467486208


私個人としては、上記のような歴史観の持ち主ですから、話の流れの中で出てきた言葉とはいえ「薩長の史観」という言葉を見るだけでもドキッとしてしまうのです。

https://twitter.com/U40rou/status/1000633269388365825



NHKが2015年には長州吉田松陰を、そして今年2018年には薩摩西郷隆盛を取り上げたというのは、私は偶然ではないと思っています。

それは続・日本人にとって明治維新は良かったのか?悪かったのか?などの記事で取り上げましたように「1990年の『翔ぶが如く』以降、幕末の薩長側の大河ドラマが20数年間全く無い」という事に対する「穴埋め」という要素も多少はあるのかも知れませんが、やはり一番重要なのは、
司馬遼太郎の大河『花神』『翔ぶが如く』に対するアンチテーゼ。更にはその両作品を上書きして消し去りたい
という思惑から来ているのだと思うのです。

もちろん2015年=長州=吉田松陰=『花燃ゆ』も、2018年=薩摩=西郷隆盛=『西郷どん』も、どちらも「まともな大河ドラマではないスイーツ大河」ですから、その上書き足りえたとはとても言えないでしょう。

しかしそれでも薩長大河だから失敗作に終わったんだ』「薩長に対するネガキャン」という最低限の目的をNHKは果たせるのだから、多分それで十分なのでしょう。2015年も2018年も、NHKは全く同じ戦略を採用しています。

成功作を狙って作るのは大変だけど、失敗作を狙って作るのはアホでも出来ますからねw

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2リンク3リンク4
(※NHK受信契約訴訟の最高裁判決(平成29年12月6日)に関する記事)
「NHK受信契約訴訟・最高裁判決」から私が考えた事(2017/12/9)

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには潤沢な資金(税金)があり、更には「映像や音声で直接感覚に訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合、それが至上命令となっておりやり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが3.11以降に垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク1リンク2

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク1リンク2

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民進党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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