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処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

「アンチ巨人も巨人ファン」。無関心こそが最大の敵。「花燃ゆ」も全く同じ

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一ヶ月前に書いた「花燃ゆ」に関する記事の締めの部分で、
『NHKの煽り(挑発)に乗せられる事なく、「花燃ゆ」の話題はスルーするのが正解。そしてさっさと黒歴史として封印すべし』
と私は書きました。

上記のような事を書いておきながら、今更NHKの糞大河ドラマ「花燃ゆ」について何か書こうとしている私を見て、矛盾を感じる方がおられるかも知れません。

しかしながら私はその時に、このような事も付け加えて書いていました。
『うかつに関わると時間と労力を浪費させられるだけの事。もし仮に反撃をするのであれば、一撃必殺の構えで確実に論破すべし』と。

とりあえず今回私が「花燃ゆ」に対して主張する意見は、それなりにNHKの急所を突いているとは思いますので、今回は敢えて「敵の土俵」に乗る事に決めました。



ちなみに、国民の何人が知っているのか?おそらく大多数の国民はほとんど知らないと思いますが、糞大河ドラマ「花燃ゆ」は先週から「大奥編」と称して新ステージに突入した、という事のようです。

それにしても、「大奥編」などと「振り込め詐欺」も真っ青の大嘘を看板に掲げて、視聴者を取り込もうというデタラメぶり。最早、末期症状です。

(以下、NHK公式HPより抜粋。フォントを赤くしてあるのは私の編集)
制作統括・土屋勝裕
『ちなみに大奥は徳川家の奥を指す言葉で、長州では単に奥や奥御殿と呼ばれていたようです。
ですが、大奥という言葉にはイメージを膨らませてくれる大きな魅力があります。
ということで「花燃ゆ」の中では長州藩でも“大奥”とすることに決めました
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まったく。
「嘘・大げさ・まぎらわしい」という事で『誰かJAROに電話しろ』って所ですわ。

しかも新章に移って、多少なりともドラマの質が向上しているのか?と言うと、そんな事があるはずもなく、
ドラマの中身は相変わらず「小学生向けの学芸会」という事で新鮮味も全く無い。



そして今回(7月18日放送。第28話)も、例によって「頭のオカシイ女性キャラ」が新キャラクターとして登場しておりました。

毛利家の銀姫です。
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『(主人公が)いつ逃げ出すか、泣き出すか、賭けをせぬか?勝った者にはこの独楽をとらそう!』などと、笑いながら悪態をついておりました。
(※おそらく全体のストーリー的には、終盤、善玉に転じるものと思われます。姉の寿と同じですね。登場最初のつかみとして思いっきりゲスに描くというパターンは)

この「花燃ゆ」においては、
『全ての長州人が散々な描き方をされている(小田村は除く)』
という事は過去記事でも書きました。

それは主人公の文でさえ例外ではなく、これ程までに最低最悪な扱いを受けている主人公というのは前代未聞です。
(※まあ「反戦平和」だの「自己主張」だのと、現代的な感覚で見れば多少肯定できる面も描いていると制作陣は勘違いしているのかも知れないが、現代的な感覚で見ても「人間的にアウト」な描写が多いという、本当に最悪な扱いを受けています。主人公なのに)

ロクな登場人物が出て来ない「花燃ゆ」における長州人達の中で、殊更酷い扱いを受けているのが「女性キャラクター陣」です。
この事は以前書きました「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)でも、私は指摘しておりました。

(以下、一部抜粋引用)
更に言えば、朝ドラチック(少女マンガ風)大河という事で「女性向けドラマ」として作られている、と一般的には受けとめられているのかも知れないが、主人公の文を筆頭にして、出てくる女性キャラのほとんどが「嫌な人間」ばかりで、どう考えても女性視聴者に共感を得られるようなドラマの作りにはなっていない。本当に、一体誰が得をするのだろうか?このドラマを見る事によって。(以下略)
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(※この時はうっかりと高杉の妻・雅を入れ忘れておりましたので今回追加しておきます)
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今回初登場の銀姫もそうであった訳ですが、これ程までに「ロクでもない女性キャラだらけ」という歴史ドラマは、他では考えられない事です。
(※2年前の「八重の桜」と比較してみれば、その異常性が理解しやすいと思います)

フェミ思想という事では筋金入りのNHK」のはずであるのに、これは一体どうした事か?


今回の「花燃ゆ」に限定して言うと、上記のような例外的な行動に出ている「NHK制作陣の思惑」は、以下の3点に集約できると思います。
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(1) そもそもこのドラマはNHKや反日サヨクの連中が大嫌いな「幕末長州のドラマ」であるのだから、男も女も関係無く、ポジティブな長州人を描くつもりなど全く無い、という思惑。

これは従来から度々私が指摘していた事でもありますので、今更特に、これ以上何か付け加えて言う必要もないでしょう。

(2) 女性主人公である文をなんとかポジティブな形で視聴者に印象付ける為に、脇役の女性キャラ達を殊更ネガティブに描く事によって、相対的に主人公の印象を持ち上げよう、という思惑。

しかし上記でも述べたように、主人公の文でさえ、前代未聞な「ロクでもない女性」として扱われている以上、脇役の女性キャラ達もより一層「ロクでもない女性」として描かれるというのは必然の事で、まさに「負の連鎖」が起きてしまっている。

これについては「NHK制作陣の思惑」というよりは、主人公の文の描き方を「思惑以上に大失敗してしまった」という事に原因がある。しかしまあ、「まともな幕末長州の大河ドラマを作る気などそもそも全く無い」NHK制作陣からすれば、そういった失敗も想定内といった所でしょう。


(3) そして、実はこれが今回の一番重要なポイントなのですが、「NHK制作陣の思惑」として、
「敢えて嫌な女ばかりを登場させている」
という事です。

人間という生き物は、スキャンダル醜聞といったネガティブな事象に対して、なぜか不思議と心を惹かれるものなのです。

「嫌な奴」と思えば思う程、逆にそいつがどんな奴なのか、
『ちょっとだけ見てみたい』『少しだけ気になる』
と思ってしまうものです。

まあ要するに「女性週刊誌」的なノリで注目を集めようとしているのでしょう。


そして更に言えば、人間には本能的な感情として、
アンチ気質があるからこそ、却って気にしてしまう』
といった側面もあります。

余談ですが、私も若い頃にはそれなりにプロ野球ファンでした。

その頃よく耳にした話として、読売のナベツネが語ったセリフとされる、
『アンチ巨人も巨人ファン』
という格言がありました。
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当時は私もかなりの「アンチ巨人」だったので、その格言を聞いて『なるほどなあ』と思わず納得したものでした。

要するに、「アンチ巨人」として熱狂的に巨人を叩いている人間は、そこに自分の欲求を満たす何かが存在している以上、結局の所、本質的には「巨人ファン」と大して変わらない存在である、という事です。

もしも、その叩く対象である「アンチ何々」という存在を失う事によって幾分でも「喪失感」を感じてしまうのであれば、最早「ファン」も「アンチ」も関係なく、少なくともその当事者から見れば、どちらも同じ「ファン」としてみなす事が出来る、という事でしょう。


「花燃ゆ」という、この超駄作ドラマを作っている制作陣の狙いも、その路線です。

『嫌いだけど見たい。嫌いだから見たい』
中途半端に無視されるのが、メディアの仕事に関わっている人間にとっては最悪なのです。
(※どうでもいいけど、このドラマの序盤で高須久子の娘が母の久子に対して『憎んだ人の事は忘れないだろうから』などと言っていたらしいですね。いや私はその場面はスキップしているので見てません。レビューで読んだだけです)

本来NHKが手掛けてはいけないはずの「幕末長州の大河ドラマ」。この禁断のテーマにNHKが手を出してしまった以上、もちろん長州をポジティブに描けるはずもなく、だからといって中途半端にバランスを取ろうとしても、ドラマの出来としては最悪、番組PRとしても大失敗。
であるならば、逆に開き直って『嫌いだけど見たい。嫌いだから見たい』といった感情を抱きがちな視聴者層を惹き付ける戦略に出ても、全く不思議ではない。そもそも長州人をネガティブに描くのはNHK制作陣の本意でもあるので、まさに「毒を食らわば皿まで」といった所だろう。



もうね。
公共放送で働いている人間が、
よくぞここまで下品で破廉恥な大河ドラマを制作出来たものだ
と、開いた口が塞がりません。


小林よしのりあたりが、雑誌「SAPIO」等で故意に「いわゆる保守派」が嫌がる事を描いて、「嫌われる事によって、逆に注目を集めよう」といった路線を敢えて狙っているのは、所詮あの男の品性が元々その程度のものであったというだけの話で、「公共放送」を自称している、受信料という税金で成り立っている組織とは、比較の対象にもならない。まあ、やっている事(その手口)はパチノリ先生もNHKも、どちらも大差はないし、「煽りのプロ」という点でも共通してはいますけど。

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最後にもう一点だけ、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」について言及しておきたい事があります。

もしこの作品を視た事がある人であれば、既にお気づきの方もいらっしゃるかも知れません。
また私が以前書いた「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)の(8)の所で少しだけ書いておりますが、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」では、幕末の長州が舞台となっているというのに、長州人が語るセリフとして、
長州藩のために(命を懸ける)』
というセリフはほとんど聞いた例しがありません
(※いつも倍速早送りや飛ばし飛ばしで内容をチェックしている私が「聞き漏らしているだけ」などという事が原因とは、到底思えません)
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ドラマの重要な場面においても、「長州藩のために(命を懸ける)」といった考え方は極力排除されて、大体「自分個人の信条のため」とか、「家族や友人のため」とか、そういった考え方が優先されて、それが登場人物達の行動基準となっています。

こういった「露骨な思想性」(=愛国心、愛郷心の否定)がこのドラマの根幹を占めているという事は、上記でも取り上げた制作統括の土屋某が、いろんな所で語っている内容を読めば、すぐに理解できます。


あのねえ・・・。
仮に大東亜戦争を扱ったドラマ番組を制作するとして、「お国のために」というセリフや価値観を完全に排除して、ドラマの制作が出来ますか?

2年前の「八重の桜」の時、「会津のために
(命を懸ける)」という価値観をドラマ内から排除しましたか?
会津の土地を蹂躙されそうになった時、『ならぬことはならぬ』と、女性主人公にそういったセリフを言わせていたのではなかったですか?


長州だけは、ダメなんですよね?
そういうセリフを当たり前のように語らせてしまっては。

これはNHKによる明らかな「長州差別」ですよね?


禁門の変に敗れた久坂玄瑞は、朝敵となってしまった長州藩の行く末に栄えあらん事を心底祈りながら自決したに違いありません。
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しかしこのドラマの中では、長州藩の行く末を案じる事もなく、『文。おれは生きたぞー!』などと喚きつつ死んでいきました。

そして文は文で、夫が戦場で死に、自国(長州)が戦さに敗れ朝敵となり、更に加えて英仏蘭米の四カ国艦隊がまさに自国に攻めて来ようとするタイミングで、
『夫がなぜ死ななければならなかったのか?殿様に問い詰めたいから奥に入ってのし上がりたい』
などと常軌を逸したセリフを喋り出す始末。

いや、確かに。
実際の寅兄(吉田松陰)も、久坂も、他の亡くなった松下村塾関係者達も、長州藩と日本国の為に「尊皇攘夷の先駆け」となって死んでいった人達であるはずなのだが、「そういった考え方を完全に封殺している」本作では、久坂やその他の亡くなっていった長州人達は皆「単なる犬死に」とみなされる訳で、そういったロジックからすれば、文もあのようなキチガイじみたセリフを口走らざるを得ないのだろう。

だったら最初から幕末の歴史ドラマなんかやるなよ!(しかも長州の)
現代劇でやれ!!!



四カ国艦隊との下関戦争があった後の講和会談も、ドラマ的にはその主役である高杉が、やはり「長州藩のために(命を懸ける)」といった意気込みは全く示さず、『オレはオレのやり方で暴れ回るだけ』『下関を開港させれば面白いだろう』などと訳の分からないセリフを喋らされていた。

そもそも、長州藩を守るために、四カ国艦隊の下関遠征をやめさせようと遠路はるばるロンドンから帰ってきた伊藤と井上の動きもほとんど描かれていない。
(※ここら辺の話については、この時の記事で以前少し解説した事があります)

伊藤と井上の動きは、普通にドラマで描けば非常に緊迫した場面として描けますので、常識的に考えればスルーする理由がありません。しかしまあ、こういった意図的な「素材殺し」は、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」ではこれまで何度も繰り返されてきた「お約束」みたいなものですから、今更言ってもどうしようもありません。


そんな事よりも、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」の何が一番酷いかと言うと、そういった「美味しい材料を切り捨てまくり」ながら、その代わりに出て来るのが、

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『いつ逃げ出すか、泣き出すか、賭けをせぬか?』

こういった女子供の戯れ言の場面である、という事です。


私は以前、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」を形容する際に、「お花畑思想うんぬん」などという言葉を使用していましたが、最早これは、そんなありきたりな言葉で形容できる代物ではありません。


「花燃ゆ」の制作陣と、その周囲にいるNHK職員達よ。
一回病院行って脳ミソ調べてもらってきてくれ。

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(以下、今回も特別に、いつもの「NHK解体」に関するまとめ(十例)ではなくて
「花燃ゆ」専用のテンプレートを使います)

「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)

NHK大河「花燃ゆ」カテゴリ記事リンク
(1) 反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が幕末の長州を嫌うのは当たり前の話である。なぜなら、かつての大日本帝国による大陸進出は、幕末・明治の長州人と深い関わりがあるからだ。また吉田松陰も、戦前「忠君愛国」の理想像として宣伝された事もあったので、「戦前の日本=悪」といった思想が根本に備わっている反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が、長州を嫌うのは当たり前である。
※ここで言う「サヨク」というのは、西洋で生まれた「左翼主義」とは異なるもので、言ってみれば「戦後日本的な(憲法9条的な)サヨク」といった程度の代物の事を指す。
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(2) また、サヨクが長州を嫌う理由は他にもある。実は近年のサヨクは幕府や会津の側に対するシンパシーのほうが強く、薩長(新政府側)をネガティブな形で取り扱う傾向が強い。「戦前の日本=悪」=「明治以降の日本の近代史は悪」という思想のサヨクがそのような姿勢を取るのは自然な事であって、1990年(平成2年)の「翔ぶが如く」を最後に、NHKの大河でまともな薩長(新政府側)の大河が制作される事はなくなった。7年前の「篤姫」も、今年の「花燃ゆ」も、お花畑思想の女性が主人公を務める朝ドラチック少女マンガ風)な内容の物で、両者共、まともな薩長(新政府側)の大河と呼べるような代物ではなかった。

更に言えば、「篤姫」は、同じ幕末薩摩の大河である「翔ぶが如く」に対するアンチテーゼとして作られた作品であり、今回の「花燃ゆ」は、38年前に放送された同じ幕末長州の大河である「花神」に対するアンチテーゼとして作られた作品である。「翔ぶが如く」と「花神」の原作者である司馬遼太郎は「サヨクからは右翼と呼ばれ、保守派からは左翼と呼ばれる」人間ではあるが、少なくとも歴史上の人物を左右のプロパガンダに利用するような作家ではなかった近年のNHKの制作者とは違って)。
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(3) サヨクが長州を嫌うのは、上記のような歴史的な経緯だけが理由なのではなく、現在の安倍首相が山口(長州)出身という事も大きな理由である。サヨク勢力と関係が深いサヨクマスゴミの連中(もちろんNHK含む)が、安倍首相を非常に嫌っているという事は、今さら説明する必要もないであろう。

今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた経緯について、本来なら3年後の2018年(平成30年)が明治維新150周年であり、「幕末長州の大河」は3年後の明治維新150周年に合わせてやるべき作品だったのに、それを今年、戦後70年に敢えて持ってきたというのは、安倍首相が予定している「戦後70年談話」にも関係している。それは「花燃ゆ」に対する悪しき評判が浮上してくる度に、「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」といった風評を垂れ流し、安倍首相に対するプレッシャー(戦後70年談話に「謝罪や反省の言葉を入れろ」というプレッシャー)に利用する、といったサヨク勢力の思惑も関係している。
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(4) 上記の(3)とも関連するが、要するに、今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた最大の理由は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」によるものであり、巷間マスゴミなどが騒いでいる「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」などというものは全くのデタラメである。と言うよりもむしろ逆で、「NHKを改革する為に送り込まれた籾井会長」を引きずり下ろす為に、NHKの内部の人間が仕組んだ自作自演の「罠」である。
(※その事はこの時の記事でも指摘したように、時系列的に見ても明らかであり、そもそも「安倍首相が無理矢理NHKに作らせた長州大河」なのであれば、なぜそのドラマの内容がこれ程までに酷い内容(長州をバカにしたような内容)になるのか?説明がつかないではないか)
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(5) 上記の(3)および(4)の通り、そもそも今回の「花燃ゆ」は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」が最大の制作理由であり、『素晴らしい歴史ドラマを作ろう!』などという意気込みは、元よりNHKには全く無い。そして視聴率的にも、最初から取るつもりなど全く無かった。だからドラマの内容が壊滅的にお粗末な出来になるのは当たり前の事なのである。今回の主人公に、視聴率を全く取れそうにもなく、ストーリーを盛り上げられる要素もほとんどない松陰の妹・文を選んだのも、『なるほど。最初から失敗作を作る事しか考えていなかったんだな』と、うなずける話である。

そこには『手を抜いたほうが仕事が楽』(=大河ドラマの出来によって「受信料収入が増えたり減ったりする訳じゃない」)といったNHKが抱える根本的な体質の問題もあるが、一番大きな理由は『敢えて幕末長州の駄作を作って、各メディアに「花燃ゆ」の悪い評判を立てさせるように仕向ければ、(なぜ、こんなにもお粗末なドラマ制作の姿勢が許されているのか?といった根本的な部分はウヤムヤにしたままで)安倍首相や長州に対するネガキャンとして利用できる。更に、もし安倍首相や山口県民からNHKに対してクレームが出てくれば、(「表現の自由への侵害だ!」という理由で)更に安倍首相や長州をバッシングする材料として使える』といった思惑からきている。
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(6) NHKの長州(山口県)に対する差別意識は明白である。2年前の「八重の桜」では、震災復興関連という事もあって、幕末会津の歴史について丁重に取り扱うようにしていた。また登場人物の造形についても、それなりに作り込んでドラマを制作していた。もし2年前の「八重の桜」の時に、今回のようなバカげた作品(歴史背景の描写と登場人物の描写、その両方がデタラメな作品)を作っていたとしたら、NHKは(避難民も含めた)福島県民から猛烈な抗議を受けていたに違いない。

しかし長州(山口県)に対してであれば、NHKは全然平気なのである。なぜなら上記の(5)でも述べたように、「花燃ゆ」に関しては仮に抗議を受けたとしても、それはそのまま(安倍首相による「表現の自由への侵害」といった名目で)マスゴミによる安倍首相へのバッシングとして利用する事が出来るので、NHKは平気で長州(山口県)を差別するのである。と言うか、むしろ挑発している、と言ったほうが良いだろう(特に久坂に対する酷い扱いは、前代未聞である)。
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(7) 文と小田村を過剰に持ち上げるシーンが多く、ご都合主義的なストーリー展開が目立つ。こういった脚本の狙いは、従来は勇ましいイメージが強かった「長州の志士達」のイメージを矮小化する、といった所にある。具体的には、「長州の志士達」が激しく暴れ回っているその裏では、図らずもその騒ぎに巻きこまれた家族や親類・友人らの葛藤があり、その様子を露骨にドロドロとした(生々しい)ドラマとして描き、「長州の志士達」の正当性を打ち消すイメージを視聴者に刷り込む事ができる。

また、ドラマに出て来る「長州の志士達」は時折『この国を守るため!』等の勇ましいセリフを使う事もあるが、それは単なるノルマ的な(一応出しておきました的な)ものであって、一種のガス抜きである。実際は、その具体的な歴史背景などドラマでは全く描かれておらず、彼らが何の為に、そしてどのようにして「尊皇攘夷」を推し進めていたのか?一般の視聴者が理解できるようにはドラマを作っていないので、『この国を守るため!』等の勇ましいセリフも全く説得力を持たされておらず、空疎な形でしか一般の視聴者には伝わってこない。NHKは敢えて、そのように演出しているのである。
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(8) 登場人物が「現代の価値観」を基準として行動している事が多い。それは「戦後的な価値観」と言っても良く、その姿勢が一番顕著なのは主人公の文であり、とても「松陰の妹」とは思えないような「個人主義および平和主義」的な言動が目立つ。これはもはや歴史ドラマと呼べるような代物ではなく、このドラマの中で、それら以外の「価値観」としては、あとは「平等主義」が見受けられるぐらいのもので、「尊皇攘夷」も、「日本の自主独立」も、「長州人としての誇り」も、主人公の文にとっては全く関心が無い。また、文以外の長州人達を見ても、いつも空疎で薄っぺらなセリフを吐いているだけで、骨のある登場人物は一人としていない

更に多くの登場人物に共通している特徴として、「偽善的な言動」も目立つ。何か信念を持って行動している訳でもなく、その場面場面によってコロコロと言動が変節している事も珍しくない。これは複数の人間が脚本を書いている(=脚本家達の間で整合性が取れていない)という事が原因であり、更に、それら脚本家達全員が、登場人物に対してほとんど感情移入をせずに脚本を書いている(要するに「(脚本の仕事を)やる気が無い」)という事が原因であろう。
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(9) どういった視聴者層を狙って作っているのか?が全く見えてこない。コアな歴史ファンが完全に見捨てられているという事は(上記の解説を読めば)一目瞭然である。では逆に、歴史にあまり詳しくない一般の視聴者を狙って作っているのか?と言うと、決してそんな事はない。歴史背景の描写をスルーしまくっているので(特に孝明天皇や朝廷全体の動向、更には幕府首脳の動向などはロクに描かれていないので)、なぜ?何の為に?何がしたくて長州の人々がこんなにも大騒ぎをしているのか?一般の視聴者には全く理解が出来ないストーリー展開になっている。それ故に、コアな歴史ファンと一般の視聴者、その両者から全く共感を得られておらず、『一体誰が得をするんだ?』と言わざるを得ないドラマの出来になっている。

更に言えば、朝ドラチック(少女マンガ風)大河という事で「女性向けドラマ」として作られている、と一般的には受けとめられているのかも知れないが、主人公の文を筆頭にして、出てくる女性キャラのほとんどが「嫌な人間」ばかりで、どう考えても女性視聴者に共感を得られるようなドラマの作りにはなっていない。本当に、一体誰が得をするのだろうか?このドラマを見る事によって。(上記で述べたように、NHKの内部の人間は、思惑通りに事を運べるのだから、得をするのかも知れないが)
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(10) 吉田松陰や松下村塾の塾生達をテロリストとして叩く傾向が、ネットなどでは時々見受けられる。「間部詮勝要撃計画」や「攘夷実行による外国船砲撃」などを指して、『だから長州の連中はテロリストなんだよ。キチガイなんだよ』と(おそらく大半はサヨク系の連中と思われるが)そこかしこで煽っている。
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「尊皇攘夷」「開国」「佐幕」「倒幕」「公武合体」。
これらの用語は、幕末の歴史に疎い一般の視聴者にとっては、分かりにくいかも知れない。

しかし難しく考える必要など全く無い。
極論すれば、それらは全て「権力闘争の方便」に過ぎないのだから。
高らかに「尊皇攘夷」の旗を掲げている長州でさえ、裏では「長州ファイブ」を英国留学に送り出している。

話は少し横に逸れるが、ネットで『長州はキチガイでテロリストだ!』などと煽っている反長州の連中は、実は本音の所では「反米」「反沖縄米軍基地」「反TPP」等の反米思想に染まっている連中(=反米サヨク)のはずであり、本来であれば「長州による攘夷実行、外国船砲撃」のシーンを見て、彼らは快く思っているはずである。しかし連中はそういった本音を押し殺しながら、『長州はキチガイでテロリストだ!』などと扇動の為のネット工作を続けている。

そのやり方こそが、まさに「長州のやり方」と全く同じなのである。
長州は、表では「尊皇攘夷」を唱え、裏では「開国」の準備をしている。
ネットのサヨク工作員達は、表では「反米(沖縄基地反対)」を唱え、裏では「反米(攘夷実行)」をキチガイと罵る。
長州の真の狙いは「国内の権力闘争に勝ち残る」という所にあり、サヨク工作員の真の狙いは「日米離間のための扇動」と、更には「安倍・長州叩き」という2点にある。
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権力闘争の歴史などはシナ大陸こそが本場なのだから、「反米サヨク親中」の人達のほうがよほど詳しく把握しているはずだと思うのだが(笑)、日本の視聴者の方々も、それぐらい達観した歴史観で「大河ドラマ」に向き合ってもらいたいものだと思う。
そしてNHKについては、『いつもメソメソと泣いてるシーンばかりの(子供向けの)学芸会を放送するのは、いいかげんにヤメレ』と心底から文句を言いたい。


【結論】政治的な思惑で動いているNHKの煽り(挑発)に乗せられる事なく、「花燃ゆ」の話題はスルーするのが正解。そしてさっさと黒歴史として封印すべし。ネット工作員の煽りに対しては、この十例からコピペして対応してもらっても結構。うかつに関わると時間と労力を浪費させられるだけの事。もし仮に反撃をするのであれば、一撃必殺の構えで確実に論破すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)

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前回の記事の最後で、6月8日(月)のニュースウォッチ9で放送された伊勢谷友介の「“現代の松下村塾”主宰 その思いは」の内容について、『少し書きたい事がありますので、後日、ちょっと触れたいと思います』と書きました。
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しかしながら、このニュースウォッチ9で放送された内容に関して言うと、実は私にとってはどうでもいい事なのです。俳優である伊勢谷友介が現実の社会の中で何をやろうと、私は別に何の興味もありません。

そうは言っても、前回の記事のヒキであのように書いてしまいましたので、それがどういった内容の放送だったのか?一応それだけは少々解説しておく事と致しましょう。
(※まあググッて見つけた記事のコピペと、動画のリンクを貼るだけの事なんですけどね)

(以下、放送内容の紹介。文章はネットで拾った「番組内容の紹介」よりコピペ)
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大河ドラマ花燃ゆで、伊勢谷友介が幕末の思想家・吉田松陰を演じた。松蔭が主宰したのが、明治維新を推進した人材を育てる松下村塾。その伊勢谷自らが先頭に立ち、社会を動かす若者を育てようと、現代の松下村塾を立ち上げた。その初日の対話集会を取材した。東京都市大学で行われた対話は、最低10人とハグすることから始まった。参加したのは、伊勢谷の呼びかけに応じて全国から集った44人。みな、社会に貢献したいと考えている。伊勢谷は、立ち上げた松下村塾で議論を重ね、社会をけん引する人材を育てたいと考えている。
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伊勢谷友介は俳優の傍ら、6年前から社会貢献活動にも取り組んできた。コメ離れを食い止めるために生産者と消費者をつなぐ取り組みや、被災地の学校を支援する活動も行ってきた。伊勢谷は、「ビジョンを共有できる人たちと一緒にムーブメントをつくって、本質的な社会変革を作りたい」と話した。大河ドラマ「花燃ゆ」で、伊勢谷が演じる吉田松陰が、門下生たちに志について徹底的に突き詰める場面がある。今回伊勢谷が大切にしているのも、「志」の意味を考えること。伊勢谷は、「自分の目的をはっきりさせて、手段の精度を上げていくことにつながっていくようなプロセスになればいい」と話した。
議論の後半で、伊勢谷友介は吉田松陰が使った「知行合一」という言葉を紹介し、志について話して仲間を作って一緒に歩み出すことが松下村塾の一番の大義だと話した。今後は、志を形にするためのアイデアを出し、具体的な行動につなげていく計画。伊勢谷は、松下村塾の参加者が次の行動をどう形にしてくれるか期待していると話した。(終)

(youtubeで拾ったニュースウォッチ9の動画のリンク)
https://www.youtube.com/watch?v=KeK0QuOHG7s

(この件に関連するニュース記事のリンク)
松陰ばり!伊勢谷友介「松下村塾」開講に50人超(6月6日(土)16時43分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150606-00000045-nksports-ent

私が書こうと思っていたのは、伊勢谷の社会活動についてではなくて、「花燃ゆ」の中で演じていた吉田松陰について、それが実際どのような人物として描かれていたのか?その事について、ちょっと書きたい事があると思っていたのです。

『そうは言っても、お前(SyoshiU)は「花燃ゆ」をちゃんと見てないじゃないか。それでどうやって伊勢谷松陰について意見が言えるというのだ?』

まあ、私が過去に書いた「花燃ゆ」に関する記事を読めば、そう思われても仕方がありません。

実は私、先週の土日に、これまで撮り溜めしてあった「花燃ゆ」の録画分を全話見てしまったのですよ。
(※ついでに、日曜の夜に放送された「第23回 夫の告白」も含めて)

もうね。
最初の数話を見た時から既に確信しておりましたが、全編通じて「前代未聞な糞ドラマ」でした。

いや。すみません。
「全編通じて」というのは誤りです。
こんなキチガイじみた内容の幕末ドラマを、40分以上も座して眺めていられる程、私の神経は強靱ではありませんので、基本倍速早送りで、しかも重要でなさそうな場面は(と言うか「重要な場面」自体が、滅多に見当たらないのだが)ほとんどスキップして、一応全話、ざっと内容を確認しました。
(※私の場合、過去記事で繰り返し書いております通り、ネットの論評記事を毎回いくつかチェックして読んでおりましたので、大体の内容を把握していた、という事もあって、大雑把なチェックで内容の確認が出来たのだと思います)

私はここで、具体的な内容について一つ一つ論評するつもりはありません。
そういった論評は既に(私もずっと参考にしてきた)他の「花燃ゆ論評ブログ」でやり尽くされている事です。

「花燃ゆ」という番組が、歴代のNHK大河の中で「最悪」、特に幕末作品というくくりで見れば「救いがたいレベルのゴミ作品」である事は間違いありません。



ただし一点だけ、特に吉田松陰に関して言うと、『一点だけ、意外な描写があった』と、私は指摘しておきたいと思います。

いや。この一点をもってして、「花燃ゆ」における吉田松陰の描き方が肯定される、という事は決してありません。
全体的に見れば「ダメな松陰の描き方」という事で、その認識が変わる事は全くありません。
まあ「マイナス100点の松陰」が、「マイナス70点の松陰」ぐらいに若干フォローされている、とは言えるかも知れませんが。


その「意外な描写」というのは、この場面の事です。
以下、4月12日放送 第15話「塾を守れ!」の一番最後の場面より抜粋
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松陰の妹・文と、松陰の友人・小田村伊之助が、獄中にいる松陰の「狂気」を諫めて、元に戻るように説得をしに来る場面。

文と伊之助に対して、松陰は次のように応える。

松陰(伊勢谷)『それは僕の人生ではない。文、兄は死にたいんじゃ。こねえな僕でも、死んでみせれば、心を動かして立ち上がる人間もおるじゃろう。僕がそうして見せなければ、どれだけ待った所で志を持った者達が蹶起する事は永遠にこん。僕はもう、死ぬ事でしか生きられん』

伊之助『お前の死に場所は、こねえな所じゃない。顔を上げろ、寅次郎!』
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松陰『いつんなろうと君は、僕を止める事しかできん。死ねん人間だからじゃ。君も、久坂達も『死ぬ覚悟がある。じゃが無駄死にはせん』、そねな事は嘘じゃ。時が来る。今ではない。そう言い続けて何を為す事もなく、人生が終わるんじゃ。声を上げんもんに、声が届かんもんの気持ちは分からん。事を為さんもんに、失敗したもんの気持ちは分からん』
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『伊之助、いつだってお前は端で見物するだけじゃ。お前など友ではない。藩の犬に。お前など友ではない!』
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『口先だけは立派な事を言うて、何の行動も為さず、そういう人間を僕は最も憎む…。僕も同じじゃ。僕は僕を憎む!何の役にも立たん』
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『僕には真心が足りんのじゃ。僕の至誠は伝わらん。その証拠に、僕はいっつも間違うた。僕は何を為した!?全て失敗した。猛々しい事をすると口では言うといて、何を為す事もできん。何も為せずに生きる事が恐ろしいんじゃ…』
(後は文が泣いて、この場面は終了)
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上記の場面は「意外とまともな松陰描写」だったと思います。

そして上記のこの場面は、次回(第16話)の以下の場面に繋がる訳です。

以下、4月19日放送 第16話「最後の食卓」の途中より一部を抜粋
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松陰の江戸送致の直前に、伊之助が再度、野山獄の松陰を訪ねる場面。
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伊之助『もはやこねな言葉でお前が動かぬは事は百も承知じゃが、お前が死ぬべきは今ではない。長井雅楽(うた)様は優れたお方じゃが、藩を守る為なら、お前一人に逆賊の汚名を着せる事も厭わんじゃろう。お前が志に殉じるんは、もう止めん。じゃが、お前の死に泥を塗られるのは我慢ができん!』
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松陰『伊之助。後を頼む』(以下略)
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これらのシーンに限って言えば、「意外とまともな松陰描写」だったと思います。

いや。返す返す言うようでなんなんですけど、褒めている訳ではありません。
「私が想像していたよりは、酷くなかった」という程度の事です。

上記の場面を除いた、他のほとんどの場面が、あまりにも出来が悪過ぎるので「この程度の描写」ですら良く見えてしまうという、ただの錯覚に過ぎません。

普段素行が悪い人が、たまに良い事をすると、周囲の人達から格別に持ち上げられる事があるじゃないですか?
アレです。アレと同じです。

もしも上記のような場面が、従来のまともな幕末大河の中で描かれていたとしたら、きっとそれ程評価はされていなかったでしょう。通常の演出の範囲内ですから。


しかも上記の場面に関しても、いろいろとツッコミを入れようと思えば入れられます。

江戸送致を前にした松陰が、あまりにも死ぬ事にこだわり過ぎている、ですとか(松陰の有名な言葉として『死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし』がありますが、なんだかよく分からんけど、先々週の高杉と久坂のやりとりで唐突にこの言葉が取り上げられていたような気がします)。

松陰が伊之助に対して嫌味を言うような形で「正論」を述べ、しかもその上、自分個人が「事を為す事」にあまりにも執着し過ぎている、ですとか(このドラマでは、上記の場面を除いて、普段はあまりにも「伊之助無双」が過ぎるので、ある意味伊之助に対する強烈な「正論」であるのは確かなのだが、まあそれはともかくとして、「自分個人の失敗(=「事を為さない事」)を恐れて怯えるような松陰先生」というのは、ちょっと「らしくない」描写かと)。

まあ根本的な問題として、「吉田松陰の思想」をちゃんと描いてこなかったという事が最大の問題点で、当時の周囲の状況(=時代背景)を全く描いていないのだから、上記の場面をもってしても全く補えきれていないのは当たり前の話です。



私自身の吉田松陰に対する見方は、過去記事で書きました。
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3(2015/05/01)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その4(2015/05/03)

これらの記事の中で、私は「吉田松陰の最期」という点にこだわって記事を書いたつもりです。

ですから、今回取り上げた「花燃ゆ」の第15話、第16話の上記の場面だけは、「まともな描写だった」と一応評価をしているのです。それは松陰が死んだ後、「その死が一体どのように扱われる可能性があったのか?」その事に対して言及する場面があった、という事も含めての評価です。
(※その事は、特にその3の回で詳しく言及しました)


余談ですが、上記の過去記事のその1の回で、私がいつも参考にしていた「花燃ゆ」論評サイトを紹介していました。

私が参考にしていたこれらの「花燃ゆ」論評サイトでは、今回私が取り上げた「吉田松陰の最期」について、まともに取り上げているサイトは一つもありませんでした(一坂太郎の「歴史REAL WEB」も含めて)。
だからこそ、私自身、今回実際に内容を見る事によって、初めて上記の内容を知る事になったのです。

私が参考にしてきたこれらのサイトを書いている人達は、基本的に全員「思想がやや左寄り」の人達です(もちろん一坂太郎も含めて。一番中立な「ミヤモトのモト!」の人は「思想色を一切表に出さない人」ですので、まあ例外的とは言えますが、「思想色を一切表に出さない人」が「吉田松陰の最期」について深く触れられるわけもありません)。

こういった左サイドの人達「先駆けて死んだ吉田松陰」の事について、それを詳しく論評できる訳がありませんわな。


話を元に戻します。
くどいようですが、繰り返します。
私は「花燃ゆ」を褒めるつもりは毛頭ありません。

確かに内容を見ないままで論評をしていた事については、私にも多少の非はあるのかも知れませんが、ハッキリ言ってそんな事は「どうでもいいくらい瑣末な事」であって、「花燃ゆ」というドラマの残りの大部分に関して言えば「救いがたいレベルのゴミ作品」という評価で全く揺るぎません。

今回、番組内容を自分の目で確認する事によって、私なりに新しい認識を持つ事が出来ました。また、私が過去に書いてきた認識、それは特に「NHKのやり方」という点について重視して書いてきたものなのですが、その認識に間違いがなかった事も確認できました。

そしてこれを機会に、今一度「花燃ゆ」に関する私なりの要点整理をしておきたいと思いますので、以下に
「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)
を書いておく事と致します。

いつもはブログ記事の文末に、テンプレートとして、
「NHK解体」に関するまとめ(十例)
を掲載しているのですが、今回だけ特別に、この
「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)
を代わりに掲載したいと思います。

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(以下、今回特別に作った「花燃ゆ」用のテンプレートになります)

「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)

NHK大河「花燃ゆ」カテゴリ記事リンク
(1) 反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が幕末の長州を嫌うのは当たり前の話である。なぜなら、かつての大日本帝国による大陸進出は、幕末・明治の長州人と深い関わりがあるからだ。また吉田松陰も、戦前「忠君愛国」の理想像として宣伝された事もあったので、「戦前の日本=悪」といった思想が根本に備わっている反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が、長州を嫌うのは当たり前である。
※ここで言う「サヨク」というのは、西洋で生まれた「左翼主義」とは異なるもので、言ってみれば「戦後日本的な(憲法9条的な)サヨク」といった程度の代物の事を指す。
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(2) また、サヨクが長州を嫌う理由は他にもある。実は近年のサヨクは幕府や会津の側に対するシンパシーのほうが強く、薩長(新政府側)をネガティブな形で取り扱う傾向が強い。「戦前の日本=悪」=「明治以降の日本の近代史は悪」という思想のサヨクがそのような姿勢を取るのは自然な事であって、1990年(平成2年)の「翔ぶが如く」を最後に、NHKの大河でまともな薩長(新政府側)の大河が制作される事はなくなった。7年前の「篤姫」も、今年の「花燃ゆ」も、お花畑思想の女性が主人公を務める朝ドラチック少女マンガ風)な内容の物で、両者共、まともな薩長(新政府側)の大河と呼べるような代物ではなかった。

更に言えば、「篤姫」は、同じ幕末薩摩の大河である「翔ぶが如く」に対するアンチテーゼとして作られた作品であり、今回の「花燃ゆ」は、38年前に放送された同じ幕末長州の大河である「花神」に対するアンチテーゼとして作られた作品である。「翔ぶが如く」と「花神」の原作者である司馬遼太郎は「サヨクからは右翼と呼ばれ、保守派からは左翼と呼ばれる」人間ではあるが、少なくとも歴史上の人物を左右のプロパガンダに利用するような作家ではなかった近年のNHKの制作者とは違って)。
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(3) サヨクが長州を嫌うのは、上記のような歴史的な経緯だけが理由なのではなく、現在の安倍首相が山口(長州)出身という事も大きな理由である。サヨク勢力と関係が深いサヨクマスゴミの連中(もちろんNHK含む)が、安倍首相を非常に嫌っているという事は、今さら説明する必要もないであろう。

今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた経緯について、本来なら3年後の2018年(平成30年)が明治維新150周年であり、「幕末長州の大河」は3年後の明治維新150周年に合わせてやるべき作品だったのに、それを今年、戦後70年に敢えて持ってきたというのは、安倍首相が予定している「戦後70年談話」にも関係している。それは「花燃ゆ」に対する悪しき評判が浮上してくる度に、「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」といった風評を垂れ流し、安倍首相に対するプレッシャー(戦後70年談話に「謝罪や反省の言葉を入れろ」というプレッシャー)に利用する、といったサヨク勢力の思惑も関係している。
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(4) 上記の(3)とも関連するが、要するに、今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた最大の理由は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」によるものであり、巷間マスゴミなどが騒いでいる「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」などというものは全くのデタラメである。と言うよりもむしろ逆で、「NHKを改革する為に送り込まれた籾井会長」を引きずり下ろす為に、NHKの内部の人間が仕組んだ自作自演の「罠」である。
(※その事はこの時の記事でも指摘したように、時系列的に見ても明らかであり、そもそも「安倍首相が無理矢理NHKに作らせた長州大河」なのであれば、なぜそのドラマの内容がこれ程までに酷い内容(長州をバカにしたような内容)になるのか?説明がつかないではないか)
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(5) 上記の(3)および(4)の通り、そもそも今回の「花燃ゆ」は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」が最大の制作理由であり、『素晴らしい歴史ドラマを作ろう!』などという意気込みは、元よりNHKには全く無い。そして視聴率的にも、最初から取るつもりなど全く無かった。だからドラマの内容が壊滅的にお粗末な出来になるのは当たり前の事なのである。今回の主人公に、視聴率を全く取れそうにもなく、ストーリーを盛り上げられる要素もほとんどない松陰の妹・文を選んだのも、『なるほど。最初から失敗作を作る事しか考えていなかったんだな』と、うなずける話である。

そこには『手を抜いたほうが仕事が楽』(=大河ドラマの出来によって「受信料収入が増えたり減ったりする訳じゃない」)といったNHKが抱える根本的な体質の問題もあるが、一番大きな理由は『敢えて幕末長州の駄作を作って、各メディアに「花燃ゆ」の悪い評判を立てさせるように仕向ければ、(なぜ、こんなにもお粗末なドラマ制作の姿勢が許されているのか?といった根本的な部分はウヤムヤにしたままで)安倍首相や長州に対するネガキャンとして利用できる。更に、もし安倍首相や山口県民からNHKに対してクレームが出てくれば、(「表現の自由への侵害だ!」という理由で)更に安倍首相や長州をバッシングする材料として使える』といった思惑からきている。
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(6) NHKの長州(山口県)に対する差別意識は明白である。2年前の「八重の桜」では、震災復興関連という事もあって、幕末会津の歴史について丁重に取り扱うようにしていた。また登場人物の造形についても、それなりに作り込んでドラマを制作していた。もし2年前の「八重の桜」の時に、今回のようなバカげた作品(歴史背景の描写と登場人物の描写、その両方がデタラメな作品)を作っていたとしたら、NHKは(避難民も含めた)福島県民から猛烈な抗議を受けていたに違いない。

しかし長州(山口県)に対してであれば、NHKは全然平気なのである。なぜなら上記の(5)でも述べたように、「花燃ゆ」に関しては仮に抗議を受けたとしても、それはそのまま(安倍首相による「表現の自由への侵害」といった名目で)マスゴミによる安倍首相へのバッシングとして利用する事が出来るので、NHKは平気で長州(山口県)を差別するのである。と言うか、むしろ挑発している、と言ったほうが良いだろう(特に久坂に対する酷い扱いは、前代未聞である)。
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(7) 文と小田村を過剰に持ち上げるシーンが多く、ご都合主義的なストーリー展開が目立つ。こういった脚本の狙いは、従来は勇ましいイメージが強かった「長州の志士達」のイメージを矮小化する、といった所にある。具体的には、「長州の志士達」が激しく暴れ回っているその裏では、図らずもその騒ぎに巻きこまれた家族や親類・友人らの葛藤があり、その様子を露骨にドロドロとした(生々しい)ドラマとして描き、「長州の志士達」の正当性を打ち消すイメージを視聴者に刷り込む事ができる。

また、ドラマに出て来る「長州の志士達」は時折『この国を守るため!』等の勇ましいセリフを使う事もあるが、それは単なるノルマ的な(一応出しておきました的な)ものであって、一種のガス抜きである。実際は、その具体的な歴史背景などドラマでは全く描かれておらず、彼らが何の為に、そしてどのようにして「尊皇攘夷」を推し進めていたのか?一般の視聴者が理解できるようにはドラマを作っていないので、『この国を守るため!』等の勇ましいセリフも全く説得力を持たされておらず、空疎な形でしか一般の視聴者には伝わってこない。NHKは敢えて、そのように演出しているのである。
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(8) 登場人物が「現代の価値観」を基準として行動している事が多い。それは「戦後的な価値観」と言っても良く、その姿勢が一番顕著なのは主人公の文であり、とても「松陰の妹」とは思えないような「個人主義および平和主義」的な言動が目立つ。これはもはや歴史ドラマと呼べるような代物ではなく、このドラマの中で、それら以外の「価値観」としては、あとは「平等主義」が見受けられるぐらいのもので、「尊皇攘夷」も、「日本の自主独立」も、「長州人としての誇り」も、主人公の文にとっては全く関心が無い。また、文以外の長州人達を見ても、いつも空疎で薄っぺらなセリフを吐いているだけで、骨のある登場人物は一人としていない

更に多くの登場人物に共通している特徴として、「偽善的な言動」も目立つ。何か信念を持って行動している訳でもなく、その場面場面によってコロコロと言動が変節している事も珍しくない。これは複数の人間が脚本を書いている(=脚本家達の間で整合性が取れていない)という事が原因であり、更に、それら脚本家達全員が、登場人物に対してほとんど感情移入をせずに脚本を書いている(要するに「(脚本の仕事を)やる気が無い」)という事が原因であろう。
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(9) どういった視聴者層を狙って作っているのか?が全く見えてこない。コアな歴史ファンが完全に見捨てられているという事は(上記の解説を読めば)一目瞭然である。では逆に、歴史にあまり詳しくない一般の視聴者を狙って作っているのか?と言うと、決してそんな事はない。歴史背景の描写をスルーしまくっているので(特に孝明天皇や朝廷全体の動向、更には幕府首脳の動向などはロクに描かれていないので)、なぜ?何の為に?何がしたくて長州の人々がこんなにも大騒ぎをしているのか?一般の視聴者には全く理解が出来ないストーリー展開になっている。それ故に、コアな歴史ファンと一般の視聴者、その両者から全く共感を得られておらず、『一体誰が得をするんだ?』と言わざるを得ないドラマの出来になっている。

更に言えば、朝ドラチック(少女マンガ風)大河という事で「女性向けドラマ」として作られている、と一般的には受けとめられているのかも知れないが、主人公の文を筆頭にして、出てくる女性キャラのほとんどが「嫌な人間」ばかりで、どう考えても女性視聴者に共感を得られるようなドラマの作りにはなっていない。本当に、一体誰が得をするのだろうか?このドラマを見る事によって。(上記で述べたように、NHKの内部の人間は、思惑通りに事を運べるのだから、得をするのかも知れないが)
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(10) 吉田松陰や松下村塾の塾生達をテロリストとして叩く傾向が、ネットなどでは時々見受けられる。「間部詮勝要撃計画」や「攘夷実行による外国船砲撃」などを指して、『だから長州の連中はテロリストなんだよ。キチガイなんだよ』と(おそらく大半はサヨク系の連中と思われるが)そこかしこで煽っている。
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「尊皇攘夷」「開国」「佐幕」「倒幕」「公武合体」。
これらの用語は、幕末の歴史に疎い一般の視聴者にとっては、分かりにくいかも知れない。

しかし難しく考える必要など全く無い。
極論すれば、それらは全て「権力闘争の方便」に過ぎないのだから。
高らかに「尊皇攘夷」の旗を掲げている長州でさえ、裏では「長州ファイブ」を英国留学に送り出している。

話は少し横に逸れるが、ネットで『長州はキチガイでテロリストだ!』などと煽っている反長州の連中は、実は本音の所では「反米」「反沖縄米軍基地」「反TPP」等の反米思想に染まっている連中(=反米サヨク)のはずであり、本来であれば「長州による攘夷実行、外国船砲撃」のシーンを見て、彼らは快く思っているはずである。しかし連中はそういった本音を押し殺しながら、『長州はキチガイでテロリストだ!』などと扇動の為のネット工作を続けている。

そのやり方こそが、まさに「長州のやり方」と全く同じなのである。
長州は、表では「尊皇攘夷」を唱え、裏では「開国」の準備をしている。
ネットのサヨク工作員達は、表では「反米(沖縄基地反対)」を唱え、裏では「反米(攘夷実行)」をキチガイと罵る。
長州の真の狙いは「国内の権力闘争に勝ち残る」という所にあり、サヨク工作員の真の狙いは「日米離間のための扇動」と、更には「安倍・長州叩き」という2点にある。
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権力闘争の歴史などはシナ大陸こそが本場なのだから、「反米サヨク親中」の人達のほうがよほど詳しく把握しているはずだと思うのだが(笑)、日本の視聴者の方々も、それぐらい達観した歴史観で「大河ドラマ」に向き合ってもらいたいものだと思う。
そしてNHKについては、『いつもメソメソと泣いてるシーンばかりの(子供向けの)学芸会を放送するのは、いいかげんにヤメレ』と心底から文句を言いたい。


【結論】政治的な思惑で動いているNHKの煽り(挑発)に乗せられる事なく、「花燃ゆ」の話題はスルーするのが正解。そしてさっさと黒歴史として封印すべし。ネット工作員の煽りに対しては、この十例からコピペして対応してもらっても結構。うかつに関わると時間と労力を浪費させられるだけの事。もし仮に反撃をするのであれば、一撃必殺の構えで確実に論破すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

脚本家の無能さを会長に責任転嫁とか片腹痛い。しかも真の狙いは安倍首相

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いやはや、なんとも。
この話題にはもう、あまり関わりたくないというのに、またあのゴミ大河(=「花燃ゆ」)の話をする羽目になってしまいました。

しかもドラマの内容とは全く無関係の所からの燃料投下を受けて、というのが原因でw

過去記事でも述べておりますように、煽りはスルーで」というのがネット世界の常識です。
ですから(過去記事でも散々書いております通り)、
『(当初から)意図的に幕末長州の駄作大河を作って、政治的に利用しよう』
などと考えているNHKの内部の連中が狙っている「煽り」に乗せられたくありませんので、出来ればスルーしていたいのですよ、私は。

私が主張すべき意見は、既に過去記事であらかた言い尽くしてしまっておりますので、個人的には新たに何か付け加える気もありません。


あのゴミ大河(=「花燃ゆ」)が、以前に放送されたゴミ大河「江」と同様、まともな大人が直視できるような代物ではない事は、多少なりとも理性が備わっている大人であれば、誰でも理解できる話だと思います。
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(※もう、この、色彩感覚がマヒしているポスターからして、真っ当な物を作るという意志がカケラもない、というのは明らかですよね)


ですから私は、ドラマの内容は見ておりません。
この時の記事で書きましたように、ネット上の「花燃ゆ」論評サイトを見る事によって、一応どういった内容であったのか?その都度チェックするようにはしておりますけど。

そういった訳で、私の代わりに45分間の苦行に耐えてもらって、その上ダイジェストまで書いてもらっているというのに、その彼らに文句を付けるというのもナンなんですが、さすがに今回は酷すぎますね。
(※いやまあ、この時の訳のわからん籾井会長叩きも酷かったですけど)
BUSHOO!JAPAN 脚本もキツイがアナタが言うかい!?籾井会長が大河批判【花燃ゆ感想マンガ】第20回「松蔭、復活!」
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(※あれれ、なんなんでしょう?今度はコピペが出来ないHPの仕様になったようですので、敢えて転載文章は貼りませんが、要するに脚本家よりも出演者よりも、一番悪いのは「籾井会長」なんだそうですw)

ついでにもう一つ付け加えると、私がウォッチングしている他の「花燃ゆ」論評サイトでも、「籾井会長」について触れていました。
にっぽんの旧聞 「花燃ゆ」第20話感想「江、復活!」

(以下、一部抜粋引用)
さて、「花燃ゆ」が、とうとうNHK会長の逆鱗に触れた、とのニュースがありました。会長は「数字が低すぎる」などとのたまったそうです。この能なしは何言ってるんだ? 主演の井上真央さんが「私の力不足」などと、反省の弁を述べているニュースを聞くにつれ、いたたまれない気持ちになります。 まず、問題とすべきは籾井勝人会長の人品。組織のトップが評論家みたいに視聴率を根拠に、ドラマ批判をすることがおかしい。経営者は、「批判は甘んじて受けます。私の不徳のいたすところ」と語って終わらせるものでしょ。「これが大河ドラマかあ」と口にする「江」レベルに等しい。この経営者は、部下をだれも守る気がありません。(以下略)

(※上記の「NHK会長の逆鱗に触れた」ニュースのリンク
この「にっぽんの旧聞」のブログを書いている人のほうが、BUSHOO!JAPANの武者氏よりも露骨に思想が左寄りですから、本来であればもっと籾井会長をバッシングしても良さそうなものですが、これでも武者氏に比べれば、まだ大人しい内容と言えます。

まあ「にっぽんの旧聞」の人は武者氏と違って「自分の記事をプロパガンダに利用する」という意識がかなり薄いようですので(私と同じように個人的な趣味で書いているような感じですので)、そこを前面に押し出したりはしないのでしょう。



なるほど。確かに籾井会長の「花燃ゆ」に関する発言は、正鵠を射ているとは言えません。

しかし、それはそうでしょう。
大河ドラマの専門家として会長になった訳でもなければ、大河ドラマを立て直す為に会長になった訳でもないのですから。

武者氏は何か勘違いをしているようですね。
籾井氏は、腐りきっているNHKの組織全体を立て直す為に会長になったのですよ?
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私は過去記事でハッキリと宣言しています。
『こんな状態(「花燃ゆ」「江」といったゴミ)が続くような大河ドラマであれば、私はむしろ止めてしまえば良いと思っている』と。

こういった私の意見は、武者氏と「にっぽんの旧聞」の人にとっては、絶対的に容認できない意見だと思います。

しかし、むしろ私からすれば、武者氏と「にっぽんの旧聞」の人のそういった(NHKの内部の人間に対して擁護的な)スタンスが異常に見えます。

そこまで散々に「花燃ゆ」や「江」などを叩いておきながら、
『大河は止めてはならない』『俳優の責任ではない』『上層部が悪いだけだ』
などと平気で甘い事を述べていられる、この二人の神経こそ、私には理解不能です。

よほどNHKの内部に知り合いでもいるのか、もしくはドラマ業界に仕事上の付き合いがある人間なのでしょう、このお二人は。


外部の人間である私にはよく分かります。
NHKの内部の人間が何を望んでいるのか?という事が。

『(NHKを改革しようとしている)籾井会長だけは排除して、他は一切そのままに、元のNHKの体制に戻してくれ』
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これでしょ?NHKの中の人間が望んでいる事は?

とりあえず大河ドラマの話に限定をするとしても、籾井会長と大河を絡めて武者氏らは無理矢理ケチをつけていますが、それでは籾井会長が来る以前の、ここ数年のNHK大河が、それほどまともだったと彼らは言うつもりなのだろうか?
「天地人」「江」「軍師官兵衛」。これらの作品がまともだったと言えるのか?

『2001年以降の大河で、まともな作品などほとんどない』というのが私の持論です。ですからNHKの過去の遺産(=2000年以前の大河作品)についてはともかくとして、これから先に作られる大河作品などに、私は何の未練もありません(その事はこの時の記事でも書きました)。

今の私からすれば、ハッキリ言って「たかが大河ドラマ」という感覚です。

武者氏は今回の記事で、大河ドラマを良くする為には、
『籾井会長を辞めさせるか、大河にタッチさせないようにする』
などと書いています。

私から言わせれば、
「たかが大河ドラマ」の事で、籾井会長の足を引っ張られてたまるか!』という所です。

これからNHKの組織全体を改革していかなければならないというのに。

しかも仮に、
「籾井会長が大河ドラマを良くする為に辞任する」(w)
などといった形になったとしても、それで得られるリターンが以前のような「天地人」「江」「軍師官兵衛」レベルの大河とか、アホらしいにも程がありますよね?w




そして更に、です。
この時の過去記事でも書きましたけど、「花燃ゆ」の制作発表が行なわれたのは、籾井会長が就任する前の話です。
会長就任以前に決定していたのに、どうやったら籾井氏が花燃ゆを強制できるのか?(2015/03/23)

その「花燃ゆ」の責任を、なぜ籾井会長が背負わなければならないのか?

話が全く逆ですよね。

私は以前からずっと主張しております。
「花燃ゆ」という作品は、NHKの内部の人間が政治的に利用する為に、敢えて選んだ作品である』と。

何を言いたいのか?というと、要するに、
「NHKの新しい会長が籾井氏に決まりそうだ」となった時に、NHKの内部の人間が籾井氏を陥れる罠を張る為に、敢えて幕末長州の駄作を選んだ
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このほうが、時系列的にも、今の社会的な動き(=マスゴミの動き)からしても、全て理屈が通りますよね?

「花燃ゆ」という作品が、いかに政治的な作品であるか?という事は、私は過去記事で散々書いてきた事ですけど。

戦後70年の今年に、長州大河をやる理由は総理には無い。NHKには有るけど(2015/04/01)

(以下、過去記事より抜粋引用)
以前から私は、この「花燃ゆ」という大河ドラマに対して、

(以下、過去記事より抜粋引用)
「NHKの特殊なイデオロギー」という事について、その具体例を挙げるとするなら、まさに今年の「花燃ゆ」こそがピッタリである。

ただし、今年の「花燃ゆ」における「NHKの特殊なイデオロギー」というのは、近年の「お花畑平和主義への偏向によって日本人の歴史を毀損、または骨抜きにする」といったステレオタイプのサヨク偏向だけでは飽き足らず、そこに更に、
・「薩長による維新体制」の否定(=日本の明治史や近現代史の否定
・司馬遼太郎原作の大河「花神」に象徴される長州的イメージの除去
・長州・山口と安倍総理を絡める事により、その両方にネガキャンを展開する
・安倍総理の政治的(地元誘致、及び籾井会長との)癒着をデッチ上げる為の自作自演
等々、過去に例を見ない程の「NHKの特殊なイデオロギー」ぶりが発揮されているので、今年はちょっと特殊過ぎる例と言えるかも知れない。

また、これらの事については、ここ一ヶ月ぐらいの過去記事で散々書いてきたので、興味のある方はこちらのリンク先をご覧頂きたい。
(以下、ここ一ヶ月ぐらいの間、大河について書いた過去記事)
「篤姫」よりも酷いドラマを作れるとは、NHKは天才だわw(2015/01/19)
大河ドラマの鬱憤を「マンガで晴らす」という御時世(2015/02/03)
倉山満と私の「幕末物のNHK大河ドラマ」に関する論評(2015/02/08)

こういった批判を繰り返し書いてきておりますけど、私としたことが、もっと大切なポイントを一つ、すっぽりと抜かしておりました。

それは「今年は戦後70年の節目の年」という事なんです。(以下略)

実は、今回の籾井会長バッシングの件などは、まだカワイイものなのです。

奴ら(=NHKの内部の人間及び武者氏を含めたサヨクマスゴミの連中)からすれば、奴らが一番狙っている獲物というのは、
「安倍首相による「花燃ゆ」に対する苦言
なんですから。
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当たり前の話でしょう?そんな事は。
これまでの流れと奴らの動向からすれば。

今年、敢えて幕末長州の大河ドラマをやった一番の理由というのは、ソレに尽きるんですから。

「籾井会長がエサ(罠)に食いついた」などというのは最低限度の獲物なのであって、奴らの最大の獲物「安倍首相の発言」のほうです。


だからこそ、私は安倍首相に申し上げたいのです。
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『安倍さんが尊敬する地元長州の志士達が、NHKやサヨクマスゴミの連中によっておもちゃにされて、さぞかしお辛い事でしょうが、決して奴らの挑発に乗って苦言を述べてはなりません。
仮に何か適切に発言をしたとしても、連中は言葉尻を捉えて、籾井会長同様、ボロクソに叩く事しか考えていないのですから』と。
--------------------------------------------------------------------
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さて、最後にもう一言だけ付け加えておきます。

武者氏や「にっぽんの旧聞」の人は口をそろえて、
『NHKの上層部が愚かすぎて、俳優の人達が可哀想だ』
と述べています。

なるほど。確かに、その通りですね。
「NHKの政治的な思惑」によって振り回されている俳優の人達は、本当にお気の毒だと私も思います。

しかし、この「花燃ゆ」の記事を書き始めた当初から私が主張しているように、「NHKの政治的な思惑」によって一番大きな被害を受けているのは、
長州人(山口の人達)であり、日本中の幕末ファンである。


歴史ドラマの需要者の側である国民(視聴者)を差しおいて、供給者の側である俳優を擁護するというのは、いささか優先順位が逆なのではないでしょうか?と、私は思いますね。


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(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 番外編「司馬遼太郎作品について」

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あまりにもツッコミ所が多すぎる今年のNHK大河「花燃ゆ」につきまして、この私のブログにおいては、「花燃ゆ」の事を取り扱った記事の件数が増えすぎてしまいましたので、従来は歴史、ドラマ、小説、漫画、アニメのカテゴリに入れておりましたが、別個に新しくNHK大河「花燃ゆ」というカテゴリを作成しまして、以前に書いた「花燃ゆ」関連の記事も全て、その新しいカテゴリに移動させる事にしました。

まあ、おそらく、この「花燃ゆ」というゴミ大河について記事を書くのは、今回の区切り(=吉田松陰の退場)をもって当分はお役御免になると思いますので、私としても非常に清々しい気持ちで一杯です。



さて、このシリーズの記事は前回の第4回をもって、一応終了のつもりではいたのですが、最後にもう少しだけ「余談」を続けたいと思います。

(このシリーズの過去記事リンク)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1 その2 その3 その4

前回(第4回の記事)の終盤で、一坂太郎の著書司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)について触れました。

もちろん一坂太郎は、自分の歴史観に沿わない「司馬遼太郎の歴史観」を否定するような形で、その具体例を事細かくこの本の中で指摘しているのですが、その概要は(前回の記事で使った物をもう一度転載しますが)以下のような内容です。

(以下「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」より一部抜粋引用
 ※フォントを赤くしてあるのは私個人の編集によるもの。以降の引用も同様)
(「はじめに」より)
 かく言う私も中学、高校生の頃、胸躍らせて司馬遼太郎作品を次々と読んだファンの一人だが、二十代になると読まなくなっていた。その後、歴史研究を続けていたが、ある時ひさびさに司馬遼太郎作品に「再会」したところ、なんとも言えぬ違和感に襲われた。一人か二人の特別な英雄が出現し、さっそうと時代を変えてしまうといった、いわゆる「英雄史観」で貫かれていることがその第一。人物を好き嫌いで評している部分が多いのが、その第二。また、歴史が進む上で重要な要素の多くが、意外と物語から除外されていることも気になった。
 視界ゼロの厳しい状況下で、生活格差が拡大し、「この国」の国民はいま、「強い国」「美しい国」「誇りが持てる国」といった口当たりだけが良い「幻」に飛びついてしまう危うさを抱えている。司馬遼太郎作品は、そうした危うさに妙にフィットしてしまう。それは戦車隊の士官として終戦を迎えた、決して幸福といえない戦争体験が小説作品の出発点になったといわれる司馬遼太郎が望んだこととは到底思えない。(以下略)
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(本文の一番最後の部分より)
よく、司馬遼太郎作品の読後感として聞くのが、
「元気が出る」「勇気が湧く」「日本という国に誇りが持てる」
しかしそれはある意味当たり前で、明るく、楽しく、勇ましい「歴史」を選って描いた「物語」だからである。
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(「おわりに」より)
 司馬遼太郎が独自の価値観で歴史の空白を埋め、生み落とした数々の作品はこれからも人々を魅了してやまず、読み継がれてゆくことだろう。作品は今後も映像化され、その舞台になった地は、官も民もお祭り騒ぎに明け暮れるはずだ。地元で語り継がれた「本物の歴史」は掘り下げられることなく忘れ去られ、司馬遼太郎が紡ぎ出した「英雄物語」が逆輸入のすえ、いつのまにか現地に伝わった話であるかのごとく都合良く喧伝されている例を、私は身近でも嫌というほど見てきた。
 「この国」から希望が失われてゆくのに比例して、司馬遼太郎作品がさらに注目されてゆくならば、その読み方、楽しみ方をもうちょっと考えてみませんか、という思いで本書を書き進めた。紙数の都合上、十分果たせなかった点もあるが、それは別の機会としたい。(以下略)

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過去記事でも何度か書きました通り、また先日コメントの返信の際にも書きました通り、私は別に司馬遼太郎のファンではありません。

確かに私は、司馬遼太郎の「幕末」関連の作品については、その昔乱読した経験がありますので、活字作品の作家として限定すれば、おそらく一番読んでいるのは司馬作品だと思います。

ただしそれは、過去記事等でもその理由を書きました通り、「幕末」の歴史の事をもっと知りたいと思った時に、その「足がかり」として司馬氏の「幕末」関連の作品を参考にしただけの事であって、あくまできっかけの一つだったに過ぎません。

更に言いますと、「本来の司馬遼太郎ファン」という事であれば、普通は彼の「戦国」関連の作品なども読んでいると思うのですが、私は彼の「戦国」関連の作品は一つも読んではおりません(※ただし、それらが映像化された作品については、一応それなりに目にしているとは思います)。


ちなみに私はかなり以前に、司馬氏に対して以下のように評価した事があります。
司馬史観とは?(2012/01/09)
坂の上の雲と司馬遼太郎とNHK(2011/12/04)
--------------------------------------------------------------------
(以下、一部抜粋引用)
331 1 2011/01/02(日) 03:45:05 ID:7BRqQ+uT
(途中から)「坂の上の雲」の事については、とりあえず横に置くとしても、司馬遼太郎個人の思想性、政治性については、人それぞれの認識の違いはあると思う。左からは右翼に見え、逆に右からはサヨクに見えたりもする

しかし一言で簡単に言うならば、司馬の思想性、政治性についての部分はともかくとしても、司馬が抱いていた歴史や歴史上の人物へのコダワリというものは、それらに対する最低限度のリスペクト、または愛情を踏まえた上でのコダワリであって、サヨクがよくやる「平気でそれらをないがしろにしてプロパガンダの為に利用する」というのとは、全く次元の違うものである。 (以下略)
--------------------------------------------------------------------
左からは右翼に見え、逆に右からはサヨクに見えたりもする
この「左からは右翼に見え」というのは、既に上記で示してありますように、まさに一坂太郎の主張がそれに該当します。

そしてもう一方の「右からはサヨクに見えたりもする」については、司馬史観とは?(2012/01/09)の時の過去記事で、チャンネル桜や産経関係の「いわゆる保守系」識者による司馬批判に対して、「私なりの反論」を述べました。

そして今回のシリーズの第3回で取り上げました宮崎正弘氏の本でも、「右からはサヨクに見えたりもする」といった形の司馬批判がありましたので、その内容を以下に引用させてもらいます。
吉田松陰が復活する!吉田松陰が復活する!
(2014/10/27)
宮崎正弘

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(以下「吉田松陰が復活する!」の163Pあたりから一部抜粋引用)
 日清、日露の戦いは良かったが、あの「太平洋戦争」は愚かだった。乃木将軍は愚将で、殉死は無駄死にだった云々と戦後、言動を変節させた言論人は少なくない。
 このように歴史的評価を百八十度ひっくりかえすことが流行し、「敵前逃亡、対決放棄」の徳川慶喜と勝海舟が日本を救った等々、後世の浅知恵によって数々の暴言を吐いて歴史をこねくり回した代表格は司馬遼太郎である。しかも司馬はいまも広く読まれている。左翼が壊滅せず、朝日新聞がまだしぶとく生き残っていることと同じかもしれない。
 司馬遼太郎は戦後精神史の空白にそっと入り込んで有害な思想をまき散らし、悪影響をいまも若い世代にあたえている。読者が左翼だけでないことが、保守論壇においても司馬批判を複雑なものとしてきた。矢沢栄一などは司馬を褒めちぎっていた。司馬史観の根幹にあるのは自分だけの狭量な思いこみである
 福井雄三『歴史小説の罠-司馬遼太郎、半藤一利、村上春樹』(総和社)のなかで、福井は次のように言う。
 司馬遼太郎の史観なるものは「日本という国家の枠組みの中に視点が限定されてしまっていて、世界史的な座標軸の視座から、客観的に(歴史を)眺める姿勢が欠落しているのだ。小さなコップの中で水が波たち騒ぐように、彼の思考回路は(中略)から回りしている」
 そして次のように付け加える。
「もう一つの特徴は、結果を前提とした、逆立ちした歴史認識の傾向が強い」、それゆえに「昭和の日本イコール悪玉、という図式で固定してしまっているのだろうか」
 こうして司馬の奔放すぎて出鱈目な歴史解釈がまかり通るわけだが、いまの日本の出版界において、まだ売れつづける作家への批判はタブーであり、朝日新聞はともかくとしても、産経新聞や文藝春秋でも司馬批判がなぜかタブーに近い。そればかりか司馬の残滓が幽霊のごとくに亜流を産み、その毒はまだ日本の文壇をおおっている。
 生前すでに司馬への痛罵は多くあった。
 吉川英治は「ペダンチックなわざとらしい『学識』が鼻持ちならない。奇想なロマンでいくならそれでよし。だがこの作者(司馬)の場合、これみよがしの考証・引用が学者じみて邪魔である」
 小島政二郎は「司馬遼太郎が、大きな嘘のうまいことは、吉川英治などはるかに及ばない」
 福田恆存も司馬の胡散臭い歴史観を鋭く揶揄したが、三島由紀夫ともなると、「乱世史観」などあり得ないとして、司馬をまったく相手にしなかった。とどのつまり司馬遼太郎とは悪質な歴史の講釈師である。(以下略)

これで左右両方からの司馬批判の論旨が出揃いました。


先に申し上げておかねばなりませんが、宮崎氏と一坂氏の両者とも、私はその言動に対して、比較的理解を示している部類の人間だと思います。

私は両者の著作を嫌っている訳ではありません。
こういった司馬批判以外の所では、その内容に納得できる部分も幾らかありますので、両者の著作を全否定するつもりはありません。

ただし、これらの司馬批判の内容は「いかにも理不尽な批判である」と思います。

「一坂氏の司馬批判」に対する私の反論は前回の終盤でも少し書きましたが、宮崎・一坂両氏に対して私が一番言いたい事は、
『歴史に対して全く興味も持たない人間に比べれば、それが仮に司馬作品といえども、歴史に関する作品に興味を示すだけ、(その読者は)まだマシではないか?』
という事です。

『司馬作品など読むくらいなら、歴史に興味も持たないでいてくれたほうが、まだマシだ』と主張されるのであれば、私は何も反論はしません。『歴史に無関心な人間がもっと増えても、それはそれで良しとしよう』と言うのであれば。

一坂氏が中学・高校の頃に読んだように、また私も幕末初心者であった頃に読んだように、司馬作品を「入口」として歴史ファンになる人だって大勢いるのだから、それはそれで「良い事」なのではないでしょうか?

司馬作品における「歴史記述の不備」については、その「入口」から入った後に、少しずつ改めていけば良いだけの話であって、「最初から間口を否定する」という事自体、歴史に関わる仕事をしている人間にとっては「自殺行為」以外の何物でもないと思います。

大体、「史実厨」(※2ch用語で恐縮ですが)が主張するような「史実」を、歴史小説や映像化された歴史ドラマに対して、極度に求める事はナンセンスだと思います。

史実を年月日通り記述されるだけの物語を見て、誰が面白いと思うのか?
特に歴史に関して興味の薄い一般人であれば、なおさらの事。

そして、これは「言ってはいけないセリフ」なのかも知れませんが、そこまで「高いレベルの作品」(=歴史記述及び歴史観が完璧で、しかも万人に受ける面白い作品)を要求するのであれば、
自分で書きましょう、そういった作品を。
歴史のプロなのであれば。


私にとって何が一番嫌かと言うと、「巨大な権威(この場合は司馬氏)」に対して、『いやあ、あんなのウソや捏造だらけで、所詮その程度だよ』などと貶めて、その「貶める行為」そのものを売名行為に利用する、そういった行為が一番醜くて嫌なんです。

『良いじゃん。少しくらい(司馬を)利用させてもらったって。有名税だよ』
みたいな感じで。


あと、以前、倉山満に対しても書いた事がありますが、
『プロの歴史家が、作家に対してドヤ顔で批判するとか、大人気なさ過ぎだろ』と。

大体、「史実うんぬん」の話を言うのであれば、「後世の人間」のほうが絶対的に有利な立場にいるのだから(少なくとも史料の解析や新史料の発見という面では)、「後世の人間」が上から目線で「過去の作品」にケチをつけるというのは、「後出しジャンケン」みたいなものですよね。

そういった行為を是とする人間は、自分達も、更に「後世の人間」によって徹底的に叩かれるかも知れない、という事も、覚悟しておくべきでしょう。



私は別に、「歴史記述の不備」を指摘する事を否定している訳ではありません。

問題になるのは、そこに「恣意的な思惑」がある場合なのであって、建設的で前向きな指摘であれば、ドシドシやってもらって構わないと思います。


さて、ここで一つ、幕末の司馬作品を紹介したいと思います。

司馬作品としてはかなりマイナーな部類に入る小説だと思います。もちろん大河で扱われた事も一度もないと思います。
『俄・浪華遊侠伝』
小林佐兵衛Wiki

司馬氏にとっては比較的初期の頃の作品らしいのですが、司馬氏の地元である大阪(大坂)を舞台とした作品です。

私が以前スカパーの「時代劇専門チャンネル」を見ていた頃(今は見ていませんが)、この小説が1970年(昭和45年)にTBSでドラマ化されたものを目にしまして、大変面白かったので、その後原作の小説も読んでみました。
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主人公・明石屋万吉(小林 佐兵衛):林 隆三
小左門(ナレーション):藤村 志保

このTVドラマは「原作・司馬遼太郎、脚本・山田太一」というだけあって、ドラマの内容は非常に面白いのですが(特に前半)、「史実」の面で言うと、一箇所かなり重大なミスを犯しております。

ドラマの第10話(全13話中)で、主人公の万吉が禁門の変に敗れた長州の落ち武者を大坂でかくまう、という話があります。
その長州の落ち武者が誰なのか?と言うと、実は遠藤 謹助なのです。15053f0505d_00003a.jpg
幕末の長州に詳しい人、あるいは「長州ファイブ」の事を知っている人であれば、一瞬で『それは無い』と気がつく事でしょう。

なぜなら長州の遠藤謹助は、この時期(禁門の変=元治元年七月)日本にはいないからです。「長州ファイブ」の一人として英国に滞在中なのですから。

いや、確かに「長州ファイブ」の内の2名は禁門の変の頃に、英国から日本に帰国しています。英国を中心とした四ヶ国艦隊による長州(下関)攻撃を止めさせる為に、急遽日本に帰国しておりますから。
しかし、それは志道聞多(井上馨)と伊藤俊輔(伊藤博文)の二人なんです。

残り3名の内、山尾・野村は明治維新が成ってしばらく経った頃に帰国。
そして、当の遠藤謹助は明治維新の2年前、慶応2年(1866年)には帰国しておりますが、どうしたって禁門の変に参加するのは(タイミング的に)不可能です。

なんで司馬氏は、この場面で遠藤謹助を使おうとしたのか?
ちょっと理解に苦しみます。

確かに、この『俄・浪華遊侠伝』は司馬氏の作品でも比較的初期の頃に書かれた作品のようです。おそらく初期の頃の司馬作品には、こういった時代考証に不確実な部分も多々あったのだろう、と思います。

遠藤謹助は明治になってから「大阪造幣局」と深く関わる事になりますから、大阪(大坂)が舞台であるこの作品に敢えて登場させたのは、そういった所に理由があるのかも?などと深読みしてみたり…。

まあ後の司馬氏の作風からしますと、確かにこれは、あり得ないイージーミスです。


しかしですねえ。
こんな事に気がつく人は、(ネットのある)現在でも、そんなにはいないと思います。
ましてや、TVドラマが放送されていた1970年(昭和45年)頃であれば、ほとんど誰も気がつかなかっただろうと思います。

ですから、この事をもってして、この作品の価値が大きく下落するという事にはならないと、私は思います。
(※しかも「史実」がかなり重要視される大河ドラマとは違って「民放の時代劇枠の番組」という事もありますから)



長州ファイブに関連して「長州vs四ヶ国艦隊」の話が出たついでに、一坂氏の著作「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」の152Pに書かれている「彦島租借の謎」についての話に触れてみたいと思います。

(以下「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」より一部抜粋引用)
 なお『世に棲む日日』では、三回目の会談の席でクーパーが下関沖に浮かぶ彦島の租借を申し入れ、それを晋作が『古事記』『日本書紀』の講釈を行うことで煙に巻いて、諦めさせるという場面がある。
 「長州藩も四カ国側も、ぼう然としている。晋作はできれば、これを二日間ほどやり、そのあげく日本は一島たりとも割譲できない、というつもりであった」
 とする。このエピソードも古くからの講談調の晋作伝に見られるが、史料的根拠は一切無い。そもそも列強は通航を邪魔されたため下関を砲撃したのであり、領土的野心を抱いて来たわけではない。ともかく晋作の記紀講釈くらいで解決する問題でもない。(以下略)

この話は、昔NHKによって制作された長州大河「花神」でも映像化されており、幸いな事に総集編の中にもこの場面は残っており、今でも我々はその映像を目にする事が出来ます。
【ニコニコ動画】花神 総集編 第3回 崩れゆく長州 7
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(※一応、これは違法な投稿動画ですから、本当に観たい人はDVDなりCS放送などで観ましょう)

ちなみに上記のニコ動に投稿されている「花神」の動画では、この場面だけ、やけに視聴者(ニコ動ユーザー)の書き込み回数が多い。

実は、これは倉山満のせいであります。

2年前、倉山満がニコ動のCGSの番組で歴史講座みたいな番組をやっていて、その講座でこの高杉晋作による「古事記」の場面を解説して(おそらく誰かがリンクか何かを貼って、この動画に誘導したものと思われるが)上記の動画に大量にCGSの視聴者が流れ込んできた事によるものです。


これまで一坂氏に対して散々文句を言ってきた私ですが、この件に関して言うと、実は一坂氏に結構同情してます

と言いますのも、過去記事でも何度か書いております通り、私は「幕末外交」マニアであり、一番注力して調べていたのはアーネスト・サトウなのです。

実は、アーネスト・サトウはこの場面に通訳として参加しているのです。
(上に貼ってあるピクチャの右上の人物がアーネスト・サトウ役の人です。ニコ動では「似てる!」などというコメントが幾つかありますが、似てない!w)

更に、「司馬遼太郎が~」の149Pでも“晋作と「魔王(悪魔)」のくだり”についての解説があります。
これはサトウの「一外交官の見た明治維新」からの引用で、「宍戸刑馬(晋作)が魔王(悪魔)のように傲然としていた」と書かれているのは、実は最初だけであって、その後は「だんだん態度がやわらぎ、すべての提案を何の反対もなく承認してしまった。それには大いに伊藤の影響があったようだ」と書かれている、と解説してます。

まあ、これは基本です。実際、そのように書かれていますから。
その上で、サトウについて一番詳しく解説している(この時の記事でも書きましたが)萩原延壽先生の「遠い崖」第2巻で、この講話会談の様子を詳しく解説しています。

結論から先に言いますと、一坂氏も言うように、もちろん「晋作が「古事記」を朗読して彦島の租借を防いだ」などというサトウ(というか英国側)の記録は一切ありません。

と言うよりも、「彦島租借」に関する英国側の記録さえ一切ないのです。萩原先生と一坂氏の両者共、根拠となり得るのは「伊藤博文による後年(45年後)の回想談」のみと、その認識も共通しています。ただそれも「彦島租借」の可能性について述べているだけであって、「古事記」の朗読などには伊藤も全く言及していません

「彦島租借」に関する萩原先生の見解は、
『ただし、四ヶ国の側にとって、いわば「不都合なこと」を記録にとどめないことは、ありえない事ではないし、正式な提案としてではなく、非公式な打診、あるいは威嚇として、彦島の「租借」が話題に上ったことも、考えられないことではない』
と、されています。

余談ですが、一坂氏は上記の中で、
「列強は通航を邪魔されたため下関を砲撃したのであり、領土的野心を抱いて来たわけではない」
と書いていますが、この表現内容は、正しくないと思います。

英国公使のオールコックを中心とした横浜の四カ国の代表は、下関遠征に関する覚書の中で、
「重要拠点を占拠し(中略)賠償金を長州藩主から受け取るまで(中略)かかる地点の保障占領を続ける事を考慮するよう、海軍指揮官に要請する」
としており、また「一外交官の~・上巻」の138Pにも書かれているように、オールコックは長州藩を完全に屈服させる事しか念頭になく、「萩を海上から攻撃する」事までクーパー提督に説いていました。

しかし、彦島を保障占領したり、萩を海上から攻撃したりするのは現実的な(戦力的な)問題として、多大な困難を伴うので、クーパー提督はそれをやらなかっただけ、という事のようです。



話を元に戻しますと、確かに司馬氏の「世に棲む日日」における「晋作の講話談判」の場面は、フィクションの度合いが強く、史実に基づかない部分も多いです。

でも、良いではないですか。
その当時はそういった感覚で小説が書かれ、大河ドラマが作られていても、それが決して不自然な事ではなかった訳で、司馬氏も、過去の伝統や伝承の中から面白そうなエピソードをピックアップして書いただけの事なのですから。

もしそれが「史実ではない」という事であれば、後世の人間が、新しい「通説」に即した形の「歴史ドラマ」を作る事によって、少しずつ「国民的な通説」という物を作り上げていけば良いだけの話です。

上から目線、またはドヤ顔をして「史実ではない!」などと作家にケチをつけても仕方がないでしょう?

まあ、プロの歴史家である倉山満「あの場面」煽った事について言えば、正直私も、多少苦言を呈したい気持ちにはなりましたけどw




最後に、もう一つだけ余談を続けます。

実は先に述べました『俄・浪華遊侠伝』の録画データを探している最中に、たまたま同時期にスカパーの「時代劇専門チャンネル」で録画してあった、
「蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦」
のデータを見つけ出したのです。

数年前に録画していたのを忘れてて、今の今まで全く見てなかったんですw

そう言えば、これ、NHKの番組だったんですね。タイトル名だけはどこかで聞いたような気がしていたんですけど。

しかも、これも一応、原作は司馬遼太郎の「世に棲む日日」だったんですね。

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それにしても最後のスタッフロールを見て、驚きました。
まず時代考証の担当が、この時の記事でも取り上げましたが、田中彰先生だったという事。

なるほど。確かに松蔭と高須久子の場面などは、田中先生が書いたこの本の内容に依拠している感じの内容だった。
松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)
(1991/03)
田中 彰

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(※そういえば、この田中先生の本はNHKブックス(日本放送出版協会)から出されてますから、NHKでドラマ化されるのも納得です)


あまりNHKのTVドラマを褒める事は、したくはないのだけれども、放送されたのが2000年という事ですから、この時の過去記事で、
2000年の「葵 徳川三代」まではNHKの大河ドラマは、まだまともだった
と、私の大河ドラマ論で定義付けているように、この「蒼天の夢」もギリギリセーフの番組だったと言うべきか。

いえ。
もちろん、絶賛する程の内容でもありませんでしたよ。

このシリーズの第2回第3回で指摘しております所の、
吉田松陰尊皇観及び尊皇攘夷思想
という部分については(そりゃまあ、時代考証が田中先生では、もっともな話だけど)一切カットしているという事もあり、正直な所、物足りない部分も多々あります。

しかしまあ、そういった(私のような)歴史マニア以外に向けた番組(要するに一般視聴者向け)として解説するのであれば、
「花燃ゆ」よりは、断然まともな長州ドラマ
として評価できると思います。


ついでにもう一つ、スタッフロールを見て驚いたのは、制作統括が「浅野加寿子」だったという事。

まあNHK大河などにほとんど興味もない一般国民からすれば、『誰それ?』というレベルの人かも知れませんが、この時の記事で紹介した「なぜ時代劇は滅びるのか 」(春日太一著)の中でも指摘されていたように、この人は、
2002年の大河「利家とまつ」の製作総指揮をやっていた人
で、2002年から現在まで続く「朝ドラ大河」という悪弊を作り上げた張本人です。

2002年の「利家とまつ」とは脚本、演出、時代考証などが違っていたせいなのか?どうなのか?その辺の事はよく分かりませんが、この「蒼天の夢」の時は、奇跡的に上手くいったのだろう。多分。

以上です。

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

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