FC2ブログ

処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

「アンチ巨人も巨人ファン」。無関心こそが最大の敵。「花燃ゆ」も全く同じ

人気ブログランキングへ

一ヶ月前に書いた「花燃ゆ」に関する記事の締めの部分で、
『NHKの煽り(挑発)に乗せられる事なく、「花燃ゆ」の話題はスルーするのが正解。そしてさっさと黒歴史として封印すべし』
と私は書きました。

上記のような事を書いておきながら、今更NHKの糞大河ドラマ「花燃ゆ」について何か書こうとしている私を見て、矛盾を感じる方がおられるかも知れません。

しかしながら私はその時に、このような事も付け加えて書いていました。
『うかつに関わると時間と労力を浪費させられるだけの事。もし仮に反撃をするのであれば、一撃必殺の構えで確実に論破すべし』と。

とりあえず今回私が「花燃ゆ」に対して主張する意見は、それなりにNHKの急所を突いているとは思いますので、今回は敢えて「敵の土俵」に乗る事に決めました。



ちなみに、国民の何人が知っているのか?おそらく大多数の国民はほとんど知らないと思いますが、糞大河ドラマ「花燃ゆ」は先週から「大奥編」と称して新ステージに突入した、という事のようです。

それにしても、「大奥編」などと「振り込め詐欺」も真っ青の大嘘を看板に掲げて、視聴者を取り込もうというデタラメぶり。最早、末期症状です。

(以下、NHK公式HPより抜粋。フォントを赤くしてあるのは私の編集)
制作統括・土屋勝裕
『ちなみに大奥は徳川家の奥を指す言葉で、長州では単に奥や奥御殿と呼ばれていたようです。
ですが、大奥という言葉にはイメージを膨らませてくれる大きな魅力があります。
ということで「花燃ゆ」の中では長州藩でも“大奥”とすることに決めました
150718hm0_0001.jpg

まったく。
「嘘・大げさ・まぎらわしい」という事で『誰かJAROに電話しろ』って所ですわ。

しかも新章に移って、多少なりともドラマの質が向上しているのか?と言うと、そんな事があるはずもなく、
ドラマの中身は相変わらず「小学生向けの学芸会」という事で新鮮味も全く無い。



そして今回(7月18日放送。第28話)も、例によって「頭のオカシイ女性キャラ」が新キャラクターとして登場しておりました。

毛利家の銀姫です。
150718hm0_0002.jpg
『(主人公が)いつ逃げ出すか、泣き出すか、賭けをせぬか?勝った者にはこの独楽をとらそう!』などと、笑いながら悪態をついておりました。
(※おそらく全体のストーリー的には、終盤、善玉に転じるものと思われます。姉の寿と同じですね。登場最初のつかみとして思いっきりゲスに描くというパターンは)

この「花燃ゆ」においては、
『全ての長州人が散々な描き方をされている(小田村は除く)』
という事は過去記事でも書きました。

それは主人公の文でさえ例外ではなく、これ程までに最低最悪な扱いを受けている主人公というのは前代未聞です。
(※まあ「反戦平和」だの「自己主張」だのと、現代的な感覚で見れば多少肯定できる面も描いていると制作陣は勘違いしているのかも知れないが、現代的な感覚で見ても「人間的にアウト」な描写が多いという、本当に最悪な扱いを受けています。主人公なのに)

ロクな登場人物が出て来ない「花燃ゆ」における長州人達の中で、殊更酷い扱いを受けているのが「女性キャラクター陣」です。
この事は以前書きました「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)でも、私は指摘しておりました。

(以下、一部抜粋引用)
更に言えば、朝ドラチック(少女マンガ風)大河という事で「女性向けドラマ」として作られている、と一般的には受けとめられているのかも知れないが、主人公の文を筆頭にして、出てくる女性キャラのほとんどが「嫌な人間」ばかりで、どう考えても女性視聴者に共感を得られるようなドラマの作りにはなっていない。本当に、一体誰が得をするのだろうか?このドラマを見る事によって。(以下略)
150612hm_0009a.jpg
150612hm_0009b.jpg
(※この時はうっかりと高杉の妻・雅を入れ忘れておりましたので今回追加しておきます)
150718hm0_0003.jpg


今回初登場の銀姫もそうであった訳ですが、これ程までに「ロクでもない女性キャラだらけ」という歴史ドラマは、他では考えられない事です。
(※2年前の「八重の桜」と比較してみれば、その異常性が理解しやすいと思います)

フェミ思想という事では筋金入りのNHK」のはずであるのに、これは一体どうした事か?


今回の「花燃ゆ」に限定して言うと、上記のような例外的な行動に出ている「NHK制作陣の思惑」は、以下の3点に集約できると思います。
--------------------------------------------------------------------
(1) そもそもこのドラマはNHKや反日サヨクの連中が大嫌いな「幕末長州のドラマ」であるのだから、男も女も関係無く、ポジティブな長州人を描くつもりなど全く無い、という思惑。

これは従来から度々私が指摘していた事でもありますので、今更特に、これ以上何か付け加えて言う必要もないでしょう。

(2) 女性主人公である文をなんとかポジティブな形で視聴者に印象付ける為に、脇役の女性キャラ達を殊更ネガティブに描く事によって、相対的に主人公の印象を持ち上げよう、という思惑。

しかし上記でも述べたように、主人公の文でさえ、前代未聞な「ロクでもない女性」として扱われている以上、脇役の女性キャラ達もより一層「ロクでもない女性」として描かれるというのは必然の事で、まさに「負の連鎖」が起きてしまっている。

これについては「NHK制作陣の思惑」というよりは、主人公の文の描き方を「思惑以上に大失敗してしまった」という事に原因がある。しかしまあ、「まともな幕末長州の大河ドラマを作る気などそもそも全く無い」NHK制作陣からすれば、そういった失敗も想定内といった所でしょう。


(3) そして、実はこれが今回の一番重要なポイントなのですが、「NHK制作陣の思惑」として、
「敢えて嫌な女ばかりを登場させている」
という事です。

人間という生き物は、スキャンダル醜聞といったネガティブな事象に対して、なぜか不思議と心を惹かれるものなのです。

「嫌な奴」と思えば思う程、逆にそいつがどんな奴なのか、
『ちょっとだけ見てみたい』『少しだけ気になる』
と思ってしまうものです。

まあ要するに「女性週刊誌」的なノリで注目を集めようとしているのでしょう。


そして更に言えば、人間には本能的な感情として、
アンチ気質があるからこそ、却って気にしてしまう』
といった側面もあります。

余談ですが、私も若い頃にはそれなりにプロ野球ファンでした。

その頃よく耳にした話として、読売のナベツネが語ったセリフとされる、
『アンチ巨人も巨人ファン』
という格言がありました。
150718hm0_0006.jpg
当時は私もかなりの「アンチ巨人」だったので、その格言を聞いて『なるほどなあ』と思わず納得したものでした。

要するに、「アンチ巨人」として熱狂的に巨人を叩いている人間は、そこに自分の欲求を満たす何かが存在している以上、結局の所、本質的には「巨人ファン」と大して変わらない存在である、という事です。

もしも、その叩く対象である「アンチ何々」という存在を失う事によって幾分でも「喪失感」を感じてしまうのであれば、最早「ファン」も「アンチ」も関係なく、少なくともその当事者から見れば、どちらも同じ「ファン」としてみなす事が出来る、という事でしょう。


「花燃ゆ」という、この超駄作ドラマを作っている制作陣の狙いも、その路線です。

『嫌いだけど見たい。嫌いだから見たい』
中途半端に無視されるのが、メディアの仕事に関わっている人間にとっては最悪なのです。
(※どうでもいいけど、このドラマの序盤で高須久子の娘が母の久子に対して『憎んだ人の事は忘れないだろうから』などと言っていたらしいですね。いや私はその場面はスキップしているので見てません。レビューで読んだだけです)

本来NHKが手掛けてはいけないはずの「幕末長州の大河ドラマ」。この禁断のテーマにNHKが手を出してしまった以上、もちろん長州をポジティブに描けるはずもなく、だからといって中途半端にバランスを取ろうとしても、ドラマの出来としては最悪、番組PRとしても大失敗。
であるならば、逆に開き直って『嫌いだけど見たい。嫌いだから見たい』といった感情を抱きがちな視聴者層を惹き付ける戦略に出ても、全く不思議ではない。そもそも長州人をネガティブに描くのはNHK制作陣の本意でもあるので、まさに「毒を食らわば皿まで」といった所だろう。



もうね。
公共放送で働いている人間が、
よくぞここまで下品で破廉恥な大河ドラマを制作出来たものだ
と、開いた口が塞がりません。


小林よしのりあたりが、雑誌「SAPIO」等で故意に「いわゆる保守派」が嫌がる事を描いて、「嫌われる事によって、逆に注目を集めよう」といった路線を敢えて狙っているのは、所詮あの男の品性が元々その程度のものであったというだけの話で、「公共放送」を自称している、受信料という税金で成り立っている組織とは、比較の対象にもならない。まあ、やっている事(その手口)はパチノリ先生もNHKも、どちらも大差はないし、「煽りのプロ」という点でも共通してはいますけど。

--------------------------------------------------------------------



最後にもう一点だけ、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」について言及しておきたい事があります。

もしこの作品を視た事がある人であれば、既にお気づきの方もいらっしゃるかも知れません。
また私が以前書いた「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)の(8)の所で少しだけ書いておりますが、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」では、幕末の長州が舞台となっているというのに、長州人が語るセリフとして、
長州藩のために(命を懸ける)』
というセリフはほとんど聞いた例しがありません
(※いつも倍速早送りや飛ばし飛ばしで内容をチェックしている私が「聞き漏らしているだけ」などという事が原因とは、到底思えません)
150612hm_0005.jpg
ドラマの重要な場面においても、「長州藩のために(命を懸ける)」といった考え方は極力排除されて、大体「自分個人の信条のため」とか、「家族や友人のため」とか、そういった考え方が優先されて、それが登場人物達の行動基準となっています。

こういった「露骨な思想性」(=愛国心、愛郷心の否定)がこのドラマの根幹を占めているという事は、上記でも取り上げた制作統括の土屋某が、いろんな所で語っている内容を読めば、すぐに理解できます。


あのねえ・・・。
仮に大東亜戦争を扱ったドラマ番組を制作するとして、「お国のために」というセリフや価値観を完全に排除して、ドラマの制作が出来ますか?

2年前の「八重の桜」の時、「会津のために
(命を懸ける)」という価値観をドラマ内から排除しましたか?
会津の土地を蹂躙されそうになった時、『ならぬことはならぬ』と、女性主人公にそういったセリフを言わせていたのではなかったですか?


長州だけは、ダメなんですよね?
そういうセリフを当たり前のように語らせてしまっては。

これはNHKによる明らかな「長州差別」ですよね?


禁門の変に敗れた久坂玄瑞は、朝敵となってしまった長州藩の行く末に栄えあらん事を心底祈りながら自決したに違いありません。
150718hm0_00005.jpg
しかしこのドラマの中では、長州藩の行く末を案じる事もなく、『文。おれは生きたぞー!』などと喚きつつ死んでいきました。

そして文は文で、夫が戦場で死に、自国(長州)が戦さに敗れ朝敵となり、更に加えて英仏蘭米の四カ国艦隊がまさに自国に攻めて来ようとするタイミングで、
『夫がなぜ死ななければならなかったのか?殿様に問い詰めたいから奥に入ってのし上がりたい』
などと常軌を逸したセリフを喋り出す始末。

いや、確かに。
実際の寅兄(吉田松陰)も、久坂も、他の亡くなった松下村塾関係者達も、長州藩と日本国の為に「尊皇攘夷の先駆け」となって死んでいった人達であるはずなのだが、「そういった考え方を完全に封殺している」本作では、久坂やその他の亡くなっていった長州人達は皆「単なる犬死に」とみなされる訳で、そういったロジックからすれば、文もあのようなキチガイじみたセリフを口走らざるを得ないのだろう。

だったら最初から幕末の歴史ドラマなんかやるなよ!(しかも長州の)
現代劇でやれ!!!



四カ国艦隊との下関戦争があった後の講和会談も、ドラマ的にはその主役である高杉が、やはり「長州藩のために(命を懸ける)」といった意気込みは全く示さず、『オレはオレのやり方で暴れ回るだけ』『下関を開港させれば面白いだろう』などと訳の分からないセリフを喋らされていた。

そもそも、長州藩を守るために、四カ国艦隊の下関遠征をやめさせようと遠路はるばるロンドンから帰ってきた伊藤と井上の動きもほとんど描かれていない。
(※ここら辺の話については、この時の記事で以前少し解説した事があります)

伊藤と井上の動きは、普通にドラマで描けば非常に緊迫した場面として描けますので、常識的に考えればスルーする理由がありません。しかしまあ、こういった意図的な「素材殺し」は、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」ではこれまで何度も繰り返されてきた「お約束」みたいなものですから、今更言ってもどうしようもありません。


そんな事よりも、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」の何が一番酷いかと言うと、そういった「美味しい材料を切り捨てまくり」ながら、その代わりに出て来るのが、

150718hm0_00004.jpg
『いつ逃げ出すか、泣き出すか、賭けをせぬか?』

こういった女子供の戯れ言の場面である、という事です。


私は以前、この糞大河ドラマ「花燃ゆ」を形容する際に、「お花畑思想うんぬん」などという言葉を使用していましたが、最早これは、そんなありきたりな言葉で形容できる代物ではありません。


「花燃ゆ」の制作陣と、その周囲にいるNHK職員達よ。
一回病院行って脳ミソ調べてもらってきてくれ。

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

(以下、今回も特別に、いつもの「NHK解体」に関するまとめ(十例)ではなくて
「花燃ゆ」専用のテンプレートを使います)

「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)

NHK大河「花燃ゆ」カテゴリ記事リンク
(1) 反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が幕末の長州を嫌うのは当たり前の話である。なぜなら、かつての大日本帝国による大陸進出は、幕末・明治の長州人と深い関わりがあるからだ。また吉田松陰も、戦前「忠君愛国」の理想像として宣伝された事もあったので、「戦前の日本=悪」といった思想が根本に備わっている反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が、長州を嫌うのは当たり前である。
※ここで言う「サヨク」というのは、西洋で生まれた「左翼主義」とは異なるもので、言ってみれば「戦後日本的な(憲法9条的な)サヨク」といった程度の代物の事を指す。
リンク1リンク2
150612hm_0001.jpg

(2) また、サヨクが長州を嫌う理由は他にもある。実は近年のサヨクは幕府や会津の側に対するシンパシーのほうが強く、薩長(新政府側)をネガティブな形で取り扱う傾向が強い。「戦前の日本=悪」=「明治以降の日本の近代史は悪」という思想のサヨクがそのような姿勢を取るのは自然な事であって、1990年(平成2年)の「翔ぶが如く」を最後に、NHKの大河でまともな薩長(新政府側)の大河が制作される事はなくなった。7年前の「篤姫」も、今年の「花燃ゆ」も、お花畑思想の女性が主人公を務める朝ドラチック少女マンガ風)な内容の物で、両者共、まともな薩長(新政府側)の大河と呼べるような代物ではなかった。

更に言えば、「篤姫」は、同じ幕末薩摩の大河である「翔ぶが如く」に対するアンチテーゼとして作られた作品であり、今回の「花燃ゆ」は、38年前に放送された同じ幕末長州の大河である「花神」に対するアンチテーゼとして作られた作品である。「翔ぶが如く」と「花神」の原作者である司馬遼太郎は「サヨクからは右翼と呼ばれ、保守派からは左翼と呼ばれる」人間ではあるが、少なくとも歴史上の人物を左右のプロパガンダに利用するような作家ではなかった近年のNHKの制作者とは違って)。
リンク1リンク2リンク3
150612hm_0002a.jpg
150612hm_0002b.jpg

(3) サヨクが長州を嫌うのは、上記のような歴史的な経緯だけが理由なのではなく、現在の安倍首相が山口(長州)出身という事も大きな理由である。サヨク勢力と関係が深いサヨクマスゴミの連中(もちろんNHK含む)が、安倍首相を非常に嫌っているという事は、今さら説明する必要もないであろう。

今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた経緯について、本来なら3年後の2018年(平成30年)が明治維新150周年であり、「幕末長州の大河」は3年後の明治維新150周年に合わせてやるべき作品だったのに、それを今年、戦後70年に敢えて持ってきたというのは、安倍首相が予定している「戦後70年談話」にも関係している。それは「花燃ゆ」に対する悪しき評判が浮上してくる度に、「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」といった風評を垂れ流し、安倍首相に対するプレッシャー(戦後70年談話に「謝罪や反省の言葉を入れろ」というプレッシャー)に利用する、といったサヨク勢力の思惑も関係している。
リンク1リンク2
150612hm_0003.jpg

(4) 上記の(3)とも関連するが、要するに、今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた最大の理由は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」によるものであり、巷間マスゴミなどが騒いでいる「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」などというものは全くのデタラメである。と言うよりもむしろ逆で、「NHKを改革する為に送り込まれた籾井会長」を引きずり下ろす為に、NHKの内部の人間が仕組んだ自作自演の「罠」である。
(※その事はこの時の記事でも指摘したように、時系列的に見ても明らかであり、そもそも「安倍首相が無理矢理NHKに作らせた長州大河」なのであれば、なぜそのドラマの内容がこれ程までに酷い内容(長州をバカにしたような内容)になるのか?説明がつかないではないか)
リンク1
150612hm_0004a.jpg
150612hm_0004b.jpg

(5) 上記の(3)および(4)の通り、そもそも今回の「花燃ゆ」は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」が最大の制作理由であり、『素晴らしい歴史ドラマを作ろう!』などという意気込みは、元よりNHKには全く無い。そして視聴率的にも、最初から取るつもりなど全く無かった。だからドラマの内容が壊滅的にお粗末な出来になるのは当たり前の事なのである。今回の主人公に、視聴率を全く取れそうにもなく、ストーリーを盛り上げられる要素もほとんどない松陰の妹・文を選んだのも、『なるほど。最初から失敗作を作る事しか考えていなかったんだな』と、うなずける話である。

そこには『手を抜いたほうが仕事が楽』(=大河ドラマの出来によって「受信料収入が増えたり減ったりする訳じゃない」)といったNHKが抱える根本的な体質の問題もあるが、一番大きな理由は『敢えて幕末長州の駄作を作って、各メディアに「花燃ゆ」の悪い評判を立てさせるように仕向ければ、(なぜ、こんなにもお粗末なドラマ制作の姿勢が許されているのか?といった根本的な部分はウヤムヤにしたままで)安倍首相や長州に対するネガキャンとして利用できる。更に、もし安倍首相や山口県民からNHKに対してクレームが出てくれば、(「表現の自由への侵害だ!」という理由で)更に安倍首相や長州をバッシングする材料として使える』といった思惑からきている。
リンク1リンク2
150612hm_0005.jpg

(6) NHKの長州(山口県)に対する差別意識は明白である。2年前の「八重の桜」では、震災復興関連という事もあって、幕末会津の歴史について丁重に取り扱うようにしていた。また登場人物の造形についても、それなりに作り込んでドラマを制作していた。もし2年前の「八重の桜」の時に、今回のようなバカげた作品(歴史背景の描写と登場人物の描写、その両方がデタラメな作品)を作っていたとしたら、NHKは(避難民も含めた)福島県民から猛烈な抗議を受けていたに違いない。

しかし長州(山口県)に対してであれば、NHKは全然平気なのである。なぜなら上記の(5)でも述べたように、「花燃ゆ」に関しては仮に抗議を受けたとしても、それはそのまま(安倍首相による「表現の自由への侵害」といった名目で)マスゴミによる安倍首相へのバッシングとして利用する事が出来るので、NHKは平気で長州(山口県)を差別するのである。と言うか、むしろ挑発している、と言ったほうが良いだろう(特に久坂に対する酷い扱いは、前代未聞である)。
リンク1
150612hm_0006a.jpg
150612hm_0006b.jpg

(7) 文と小田村を過剰に持ち上げるシーンが多く、ご都合主義的なストーリー展開が目立つ。こういった脚本の狙いは、従来は勇ましいイメージが強かった「長州の志士達」のイメージを矮小化する、といった所にある。具体的には、「長州の志士達」が激しく暴れ回っているその裏では、図らずもその騒ぎに巻きこまれた家族や親類・友人らの葛藤があり、その様子を露骨にドロドロとした(生々しい)ドラマとして描き、「長州の志士達」の正当性を打ち消すイメージを視聴者に刷り込む事ができる。

また、ドラマに出て来る「長州の志士達」は時折『この国を守るため!』等の勇ましいセリフを使う事もあるが、それは単なるノルマ的な(一応出しておきました的な)ものであって、一種のガス抜きである。実際は、その具体的な歴史背景などドラマでは全く描かれておらず、彼らが何の為に、そしてどのようにして「尊皇攘夷」を推し進めていたのか?一般の視聴者が理解できるようにはドラマを作っていないので、『この国を守るため!』等の勇ましいセリフも全く説得力を持たされておらず、空疎な形でしか一般の視聴者には伝わってこない。NHKは敢えて、そのように演出しているのである。
150612hm_0007a.jpg
150612hm_0007b.jpg

(8) 登場人物が「現代の価値観」を基準として行動している事が多い。それは「戦後的な価値観」と言っても良く、その姿勢が一番顕著なのは主人公の文であり、とても「松陰の妹」とは思えないような「個人主義および平和主義」的な言動が目立つ。これはもはや歴史ドラマと呼べるような代物ではなく、このドラマの中で、それら以外の「価値観」としては、あとは「平等主義」が見受けられるぐらいのもので、「尊皇攘夷」も、「日本の自主独立」も、「長州人としての誇り」も、主人公の文にとっては全く関心が無い。また、文以外の長州人達を見ても、いつも空疎で薄っぺらなセリフを吐いているだけで、骨のある登場人物は一人としていない

更に多くの登場人物に共通している特徴として、「偽善的な言動」も目立つ。何か信念を持って行動している訳でもなく、その場面場面によってコロコロと言動が変節している事も珍しくない。これは複数の人間が脚本を書いている(=脚本家達の間で整合性が取れていない)という事が原因であり、更に、それら脚本家達全員が、登場人物に対してほとんど感情移入をせずに脚本を書いている(要するに「(脚本の仕事を)やる気が無い」)という事が原因であろう。
150612hm_0008.jpg

(9) どういった視聴者層を狙って作っているのか?が全く見えてこない。コアな歴史ファンが完全に見捨てられているという事は(上記の解説を読めば)一目瞭然である。では逆に、歴史にあまり詳しくない一般の視聴者を狙って作っているのか?と言うと、決してそんな事はない。歴史背景の描写をスルーしまくっているので(特に孝明天皇や朝廷全体の動向、更には幕府首脳の動向などはロクに描かれていないので)、なぜ?何の為に?何がしたくて長州の人々がこんなにも大騒ぎをしているのか?一般の視聴者には全く理解が出来ないストーリー展開になっている。それ故に、コアな歴史ファンと一般の視聴者、その両者から全く共感を得られておらず、『一体誰が得をするんだ?』と言わざるを得ないドラマの出来になっている。

更に言えば、朝ドラチック(少女マンガ風)大河という事で「女性向けドラマ」として作られている、と一般的には受けとめられているのかも知れないが、主人公の文を筆頭にして、出てくる女性キャラのほとんどが「嫌な人間」ばかりで、どう考えても女性視聴者に共感を得られるようなドラマの作りにはなっていない。本当に、一体誰が得をするのだろうか?このドラマを見る事によって。(上記で述べたように、NHKの内部の人間は、思惑通りに事を運べるのだから、得をするのかも知れないが)
150612hm_0009a.jpg
150718hm0_0007.jpg

(10) 吉田松陰や松下村塾の塾生達をテロリストとして叩く傾向が、ネットなどでは時々見受けられる。「間部詮勝要撃計画」や「攘夷実行による外国船砲撃」などを指して、『だから長州の連中はテロリストなんだよ。キチガイなんだよ』と(おそらく大半はサヨク系の連中と思われるが)そこかしこで煽っている。
150612hm_0010a.jpg
「尊皇攘夷」「開国」「佐幕」「倒幕」「公武合体」。
これらの用語は、幕末の歴史に疎い一般の視聴者にとっては、分かりにくいかも知れない。

しかし難しく考える必要など全く無い。
極論すれば、それらは全て「権力闘争の方便」に過ぎないのだから。
高らかに「尊皇攘夷」の旗を掲げている長州でさえ、裏では「長州ファイブ」を英国留学に送り出している。

話は少し横に逸れるが、ネットで『長州はキチガイでテロリストだ!』などと煽っている反長州の連中は、実は本音の所では「反米」「反沖縄米軍基地」「反TPP」等の反米思想に染まっている連中(=反米サヨク)のはずであり、本来であれば「長州による攘夷実行、外国船砲撃」のシーンを見て、彼らは快く思っているはずである。しかし連中はそういった本音を押し殺しながら、『長州はキチガイでテロリストだ!』などと扇動の為のネット工作を続けている。

そのやり方こそが、まさに「長州のやり方」と全く同じなのである。
長州は、表では「尊皇攘夷」を唱え、裏では「開国」の準備をしている。
ネットのサヨク工作員達は、表では「反米(沖縄基地反対)」を唱え、裏では「反米(攘夷実行)」をキチガイと罵る。
長州の真の狙いは「国内の権力闘争に勝ち残る」という所にあり、サヨク工作員の真の狙いは「日米離間のための扇動」と、更には「安倍・長州叩き」という2点にある。
150612hm_0010b.jpg
権力闘争の歴史などはシナ大陸こそが本場なのだから、「反米サヨク親中」の人達のほうがよほど詳しく把握しているはずだと思うのだが(笑)、日本の視聴者の方々も、それぐらい達観した歴史観で「大河ドラマ」に向き合ってもらいたいものだと思う。
そしてNHKについては、『いつもメソメソと泣いてるシーンばかりの(子供向けの)学芸会を放送するのは、いいかげんにヤメレ』と心底から文句を言いたい。


【結論】政治的な思惑で動いているNHKの煽り(挑発)に乗せられる事なく、「花燃ゆ」の話題はスルーするのが正解。そしてさっさと黒歴史として封印すべし。ネット工作員の煽りに対しては、この十例からコピペして対応してもらっても結構。うかつに関わると時間と労力を浪費させられるだけの事。もし仮に反撃をするのであれば、一撃必殺の構えで確実に論破すべし。(終)

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)

人気ブログランキングへ

前回の記事の最後で、6月8日(月)のニュースウォッチ9で放送された伊勢谷友介の「“現代の松下村塾”主宰 その思いは」の内容について、『少し書きたい事がありますので、後日、ちょっと触れたいと思います』と書きました。
w150608n_0012.jpg
しかしながら、このニュースウォッチ9で放送された内容に関して言うと、実は私にとってはどうでもいい事なのです。俳優である伊勢谷友介が現実の社会の中で何をやろうと、私は別に何の興味もありません。

そうは言っても、前回の記事のヒキであのように書いてしまいましたので、それがどういった内容の放送だったのか?一応それだけは少々解説しておく事と致しましょう。
(※まあググッて見つけた記事のコピペと、動画のリンクを貼るだけの事なんですけどね)

(以下、放送内容の紹介。文章はネットで拾った「番組内容の紹介」よりコピペ)
w150608n_0013.jpg
大河ドラマ花燃ゆで、伊勢谷友介が幕末の思想家・吉田松陰を演じた。松蔭が主宰したのが、明治維新を推進した人材を育てる松下村塾。その伊勢谷自らが先頭に立ち、社会を動かす若者を育てようと、現代の松下村塾を立ち上げた。その初日の対話集会を取材した。東京都市大学で行われた対話は、最低10人とハグすることから始まった。参加したのは、伊勢谷の呼びかけに応じて全国から集った44人。みな、社会に貢献したいと考えている。伊勢谷は、立ち上げた松下村塾で議論を重ね、社会をけん引する人材を育てたいと考えている。
w150608n_0014.jpg
伊勢谷友介は俳優の傍ら、6年前から社会貢献活動にも取り組んできた。コメ離れを食い止めるために生産者と消費者をつなぐ取り組みや、被災地の学校を支援する活動も行ってきた。伊勢谷は、「ビジョンを共有できる人たちと一緒にムーブメントをつくって、本質的な社会変革を作りたい」と話した。大河ドラマ「花燃ゆ」で、伊勢谷が演じる吉田松陰が、門下生たちに志について徹底的に突き詰める場面がある。今回伊勢谷が大切にしているのも、「志」の意味を考えること。伊勢谷は、「自分の目的をはっきりさせて、手段の精度を上げていくことにつながっていくようなプロセスになればいい」と話した。
議論の後半で、伊勢谷友介は吉田松陰が使った「知行合一」という言葉を紹介し、志について話して仲間を作って一緒に歩み出すことが松下村塾の一番の大義だと話した。今後は、志を形にするためのアイデアを出し、具体的な行動につなげていく計画。伊勢谷は、松下村塾の参加者が次の行動をどう形にしてくれるか期待していると話した。(終)

(youtubeで拾ったニュースウォッチ9の動画のリンク)
https://www.youtube.com/watch?v=KeK0QuOHG7s

(この件に関連するニュース記事のリンク)
松陰ばり!伊勢谷友介「松下村塾」開講に50人超(6月6日(土)16時43分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150606-00000045-nksports-ent

私が書こうと思っていたのは、伊勢谷の社会活動についてではなくて、「花燃ゆ」の中で演じていた吉田松陰について、それが実際どのような人物として描かれていたのか?その事について、ちょっと書きたい事があると思っていたのです。

『そうは言っても、お前(SyoshiU)は「花燃ゆ」をちゃんと見てないじゃないか。それでどうやって伊勢谷松陰について意見が言えるというのだ?』

まあ、私が過去に書いた「花燃ゆ」に関する記事を読めば、そう思われても仕方がありません。

実は私、先週の土日に、これまで撮り溜めしてあった「花燃ゆ」の録画分を全話見てしまったのですよ。
(※ついでに、日曜の夜に放送された「第23回 夫の告白」も含めて)

もうね。
最初の数話を見た時から既に確信しておりましたが、全編通じて「前代未聞な糞ドラマ」でした。

いや。すみません。
「全編通じて」というのは誤りです。
こんなキチガイじみた内容の幕末ドラマを、40分以上も座して眺めていられる程、私の神経は強靱ではありませんので、基本倍速早送りで、しかも重要でなさそうな場面は(と言うか「重要な場面」自体が、滅多に見当たらないのだが)ほとんどスキップして、一応全話、ざっと内容を確認しました。
(※私の場合、過去記事で繰り返し書いております通り、ネットの論評記事を毎回いくつかチェックして読んでおりましたので、大体の内容を把握していた、という事もあって、大雑把なチェックで内容の確認が出来たのだと思います)

私はここで、具体的な内容について一つ一つ論評するつもりはありません。
そういった論評は既に(私もずっと参考にしてきた)他の「花燃ゆ論評ブログ」でやり尽くされている事です。

「花燃ゆ」という番組が、歴代のNHK大河の中で「最悪」、特に幕末作品というくくりで見れば「救いがたいレベルのゴミ作品」である事は間違いありません。



ただし一点だけ、特に吉田松陰に関して言うと、『一点だけ、意外な描写があった』と、私は指摘しておきたいと思います。

いや。この一点をもってして、「花燃ゆ」における吉田松陰の描き方が肯定される、という事は決してありません。
全体的に見れば「ダメな松陰の描き方」という事で、その認識が変わる事は全くありません。
まあ「マイナス100点の松陰」が、「マイナス70点の松陰」ぐらいに若干フォローされている、とは言えるかも知れませんが。


その「意外な描写」というのは、この場面の事です。
以下、4月12日放送 第15話「塾を守れ!」の一番最後の場面より抜粋
--------------------------------------------------------------------
150612hm_0011.jpg
松陰の妹・文と、松陰の友人・小田村伊之助が、獄中にいる松陰の「狂気」を諫めて、元に戻るように説得をしに来る場面。

文と伊之助に対して、松陰は次のように応える。

松陰(伊勢谷)『それは僕の人生ではない。文、兄は死にたいんじゃ。こねえな僕でも、死んでみせれば、心を動かして立ち上がる人間もおるじゃろう。僕がそうして見せなければ、どれだけ待った所で志を持った者達が蹶起する事は永遠にこん。僕はもう、死ぬ事でしか生きられん』

伊之助『お前の死に場所は、こねえな所じゃない。顔を上げろ、寅次郎!』
150612hm_0012.jpg
松陰『いつんなろうと君は、僕を止める事しかできん。死ねん人間だからじゃ。君も、久坂達も『死ぬ覚悟がある。じゃが無駄死にはせん』、そねな事は嘘じゃ。時が来る。今ではない。そう言い続けて何を為す事もなく、人生が終わるんじゃ。声を上げんもんに、声が届かんもんの気持ちは分からん。事を為さんもんに、失敗したもんの気持ちは分からん』
150612hm_0013.jpg
『伊之助、いつだってお前は端で見物するだけじゃ。お前など友ではない。藩の犬に。お前など友ではない!』
150612hm_0015.jpg
『口先だけは立派な事を言うて、何の行動も為さず、そういう人間を僕は最も憎む…。僕も同じじゃ。僕は僕を憎む!何の役にも立たん』
150612hm_0014.jpg
『僕には真心が足りんのじゃ。僕の至誠は伝わらん。その証拠に、僕はいっつも間違うた。僕は何を為した!?全て失敗した。猛々しい事をすると口では言うといて、何を為す事もできん。何も為せずに生きる事が恐ろしいんじゃ…』
(後は文が泣いて、この場面は終了)
--------------------------------------------------------------------
上記の場面は「意外とまともな松陰描写」だったと思います。

そして上記のこの場面は、次回(第16話)の以下の場面に繋がる訳です。

以下、4月19日放送 第16話「最後の食卓」の途中より一部を抜粋
--------------------------------------------------------------------
松陰の江戸送致の直前に、伊之助が再度、野山獄の松陰を訪ねる場面。
150612hm_0016.jpg
伊之助『もはやこねな言葉でお前が動かぬは事は百も承知じゃが、お前が死ぬべきは今ではない。長井雅楽(うた)様は優れたお方じゃが、藩を守る為なら、お前一人に逆賊の汚名を着せる事も厭わんじゃろう。お前が志に殉じるんは、もう止めん。じゃが、お前の死に泥を塗られるのは我慢ができん!』
150612hm_0017.jpg
松陰『伊之助。後を頼む』(以下略)
--------------------------------------------------------------------
これらのシーンに限って言えば、「意外とまともな松陰描写」だったと思います。

いや。返す返す言うようでなんなんですけど、褒めている訳ではありません。
「私が想像していたよりは、酷くなかった」という程度の事です。

上記の場面を除いた、他のほとんどの場面が、あまりにも出来が悪過ぎるので「この程度の描写」ですら良く見えてしまうという、ただの錯覚に過ぎません。

普段素行が悪い人が、たまに良い事をすると、周囲の人達から格別に持ち上げられる事があるじゃないですか?
アレです。アレと同じです。

もしも上記のような場面が、従来のまともな幕末大河の中で描かれていたとしたら、きっとそれ程評価はされていなかったでしょう。通常の演出の範囲内ですから。


しかも上記の場面に関しても、いろいろとツッコミを入れようと思えば入れられます。

江戸送致を前にした松陰が、あまりにも死ぬ事にこだわり過ぎている、ですとか(松陰の有名な言葉として『死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし』がありますが、なんだかよく分からんけど、先々週の高杉と久坂のやりとりで唐突にこの言葉が取り上げられていたような気がします)。

松陰が伊之助に対して嫌味を言うような形で「正論」を述べ、しかもその上、自分個人が「事を為す事」にあまりにも執着し過ぎている、ですとか(このドラマでは、上記の場面を除いて、普段はあまりにも「伊之助無双」が過ぎるので、ある意味伊之助に対する強烈な「正論」であるのは確かなのだが、まあそれはともかくとして、「自分個人の失敗(=「事を為さない事」)を恐れて怯えるような松陰先生」というのは、ちょっと「らしくない」描写かと)。

まあ根本的な問題として、「吉田松陰の思想」をちゃんと描いてこなかったという事が最大の問題点で、当時の周囲の状況(=時代背景)を全く描いていないのだから、上記の場面をもってしても全く補えきれていないのは当たり前の話です。



私自身の吉田松陰に対する見方は、過去記事で書きました。
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3(2015/05/01)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その4(2015/05/03)

これらの記事の中で、私は「吉田松陰の最期」という点にこだわって記事を書いたつもりです。

ですから、今回取り上げた「花燃ゆ」の第15話、第16話の上記の場面だけは、「まともな描写だった」と一応評価をしているのです。それは松陰が死んだ後、「その死が一体どのように扱われる可能性があったのか?」その事に対して言及する場面があった、という事も含めての評価です。
(※その事は、特にその3の回で詳しく言及しました)


余談ですが、上記の過去記事のその1の回で、私がいつも参考にしていた「花燃ゆ」論評サイトを紹介していました。

私が参考にしていたこれらの「花燃ゆ」論評サイトでは、今回私が取り上げた「吉田松陰の最期」について、まともに取り上げているサイトは一つもありませんでした(一坂太郎の「歴史REAL WEB」も含めて)。
だからこそ、私自身、今回実際に内容を見る事によって、初めて上記の内容を知る事になったのです。

私が参考にしてきたこれらのサイトを書いている人達は、基本的に全員「思想がやや左寄り」の人達です(もちろん一坂太郎も含めて。一番中立な「ミヤモトのモト!」の人は「思想色を一切表に出さない人」ですので、まあ例外的とは言えますが、「思想色を一切表に出さない人」が「吉田松陰の最期」について深く触れられるわけもありません)。

こういった左サイドの人達「先駆けて死んだ吉田松陰」の事について、それを詳しく論評できる訳がありませんわな。


話を元に戻します。
くどいようですが、繰り返します。
私は「花燃ゆ」を褒めるつもりは毛頭ありません。

確かに内容を見ないままで論評をしていた事については、私にも多少の非はあるのかも知れませんが、ハッキリ言ってそんな事は「どうでもいいくらい瑣末な事」であって、「花燃ゆ」というドラマの残りの大部分に関して言えば「救いがたいレベルのゴミ作品」という評価で全く揺るぎません。

今回、番組内容を自分の目で確認する事によって、私なりに新しい認識を持つ事が出来ました。また、私が過去に書いてきた認識、それは特に「NHKのやり方」という点について重視して書いてきたものなのですが、その認識に間違いがなかった事も確認できました。

そしてこれを機会に、今一度「花燃ゆ」に関する私なりの要点整理をしておきたいと思いますので、以下に
「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)
を書いておく事と致します。

いつもはブログ記事の文末に、テンプレートとして、
「NHK解体」に関するまとめ(十例)
を掲載しているのですが、今回だけ特別に、この
「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)
を代わりに掲載したいと思います。

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

(以下、今回特別に作った「花燃ゆ」用のテンプレートになります)

「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)

NHK大河「花燃ゆ」カテゴリ記事リンク
(1) 反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が幕末の長州を嫌うのは当たり前の話である。なぜなら、かつての大日本帝国による大陸進出は、幕末・明治の長州人と深い関わりがあるからだ。また吉田松陰も、戦前「忠君愛国」の理想像として宣伝された事もあったので、「戦前の日本=悪」といった思想が根本に備わっている反日サヨクおよびチャイナ・朝鮮シンパの連中が、長州を嫌うのは当たり前である。
※ここで言う「サヨク」というのは、西洋で生まれた「左翼主義」とは異なるもので、言ってみれば「戦後日本的な(憲法9条的な)サヨク」といった程度の代物の事を指す。
リンク1リンク2
150612hm_0001.jpg

(2) また、サヨクが長州を嫌う理由は他にもある。実は近年のサヨクは幕府や会津の側に対するシンパシーのほうが強く、薩長(新政府側)をネガティブな形で取り扱う傾向が強い。「戦前の日本=悪」=「明治以降の日本の近代史は悪」という思想のサヨクがそのような姿勢を取るのは自然な事であって、1990年(平成2年)の「翔ぶが如く」を最後に、NHKの大河でまともな薩長(新政府側)の大河が制作される事はなくなった。7年前の「篤姫」も、今年の「花燃ゆ」も、お花畑思想の女性が主人公を務める朝ドラチック少女マンガ風)な内容の物で、両者共、まともな薩長(新政府側)の大河と呼べるような代物ではなかった。

更に言えば、「篤姫」は、同じ幕末薩摩の大河である「翔ぶが如く」に対するアンチテーゼとして作られた作品であり、今回の「花燃ゆ」は、38年前に放送された同じ幕末長州の大河である「花神」に対するアンチテーゼとして作られた作品である。「翔ぶが如く」と「花神」の原作者である司馬遼太郎は「サヨクからは右翼と呼ばれ、保守派からは左翼と呼ばれる」人間ではあるが、少なくとも歴史上の人物を左右のプロパガンダに利用するような作家ではなかった近年のNHKの制作者とは違って)。
リンク1リンク2リンク3
150612hm_0002a.jpg
150612hm_0002b.jpg

(3) サヨクが長州を嫌うのは、上記のような歴史的な経緯だけが理由なのではなく、現在の安倍首相が山口(長州)出身という事も大きな理由である。サヨク勢力と関係が深いサヨクマスゴミの連中(もちろんNHK含む)が、安倍首相を非常に嫌っているという事は、今さら説明する必要もないであろう。

今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた経緯について、本来なら3年後の2018年(平成30年)が明治維新150周年であり、「幕末長州の大河」は3年後の明治維新150周年に合わせてやるべき作品だったのに、それを今年、戦後70年に敢えて持ってきたというのは、安倍首相が予定している「戦後70年談話」にも関係している。それは「花燃ゆ」に対する悪しき評判が浮上してくる度に、「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」といった風評を垂れ流し、安倍首相に対するプレッシャー(戦後70年談話に「謝罪や反省の言葉を入れろ」というプレッシャー)に利用する、といったサヨク勢力の思惑も関係している。
リンク1リンク2
150612hm_0003.jpg

(4) 上記の(3)とも関連するが、要するに、今年の大河に「花燃ゆ」が選ばれた最大の理由は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」によるものであり、巷間マスゴミなどが騒いでいる「安倍と地元山口との癒着」「安倍とNHK籾井会長との癒着」などというものは全くのデタラメである。と言うよりもむしろ逆で、「NHKを改革する為に送り込まれた籾井会長」を引きずり下ろす為に、NHKの内部の人間が仕組んだ自作自演の「罠」である。
(※その事はこの時の記事でも指摘したように、時系列的に見ても明らかであり、そもそも「安倍首相が無理矢理NHKに作らせた長州大河」なのであれば、なぜそのドラマの内容がこれ程までに酷い内容(長州をバカにしたような内容)になるのか?説明がつかないではないか)
リンク1
150612hm_0004a.jpg
150612hm_0004b.jpg

(5) 上記の(3)および(4)の通り、そもそも今回の「花燃ゆ」は「NHKの内部の人間による政治的な思惑」が最大の制作理由であり、『素晴らしい歴史ドラマを作ろう!』などという意気込みは、元よりNHKには全く無い。そして視聴率的にも、最初から取るつもりなど全く無かった。だからドラマの内容が壊滅的にお粗末な出来になるのは当たり前の事なのである。今回の主人公に、視聴率を全く取れそうにもなく、ストーリーを盛り上げられる要素もほとんどない松陰の妹・文を選んだのも、『なるほど。最初から失敗作を作る事しか考えていなかったんだな』と、うなずける話である。

そこには『手を抜いたほうが仕事が楽』(=大河ドラマの出来によって「受信料収入が増えたり減ったりする訳じゃない」)といったNHKが抱える根本的な体質の問題もあるが、一番大きな理由は『敢えて幕末長州の駄作を作って、各メディアに「花燃ゆ」の悪い評判を立てさせるように仕向ければ、(なぜ、こんなにもお粗末なドラマ制作の姿勢が許されているのか?といった根本的な部分はウヤムヤにしたままで)安倍首相や長州に対するネガキャンとして利用できる。更に、もし安倍首相や山口県民からNHKに対してクレームが出てくれば、(「表現の自由への侵害だ!」という理由で)更に安倍首相や長州をバッシングする材料として使える』といった思惑からきている。
リンク1リンク2
150612hm_0005.jpg

(6) NHKの長州(山口県)に対する差別意識は明白である。2年前の「八重の桜」では、震災復興関連という事もあって、幕末会津の歴史について丁重に取り扱うようにしていた。また登場人物の造形についても、それなりに作り込んでドラマを制作していた。もし2年前の「八重の桜」の時に、今回のようなバカげた作品(歴史背景の描写と登場人物の描写、その両方がデタラメな作品)を作っていたとしたら、NHKは(避難民も含めた)福島県民から猛烈な抗議を受けていたに違いない。

しかし長州(山口県)に対してであれば、NHKは全然平気なのである。なぜなら上記の(5)でも述べたように、「花燃ゆ」に関しては仮に抗議を受けたとしても、それはそのまま(安倍首相による「表現の自由への侵害」といった名目で)マスゴミによる安倍首相へのバッシングとして利用する事が出来るので、NHKは平気で長州(山口県)を差別するのである。と言うか、むしろ挑発している、と言ったほうが良いだろう(特に久坂に対する酷い扱いは、前代未聞である)。
リンク1
150612hm_0006a.jpg
150612hm_0006b.jpg

(7) 文と小田村を過剰に持ち上げるシーンが多く、ご都合主義的なストーリー展開が目立つ。こういった脚本の狙いは、従来は勇ましいイメージが強かった「長州の志士達」のイメージを矮小化する、といった所にある。具体的には、「長州の志士達」が激しく暴れ回っているその裏では、図らずもその騒ぎに巻きこまれた家族や親類・友人らの葛藤があり、その様子を露骨にドロドロとした(生々しい)ドラマとして描き、「長州の志士達」の正当性を打ち消すイメージを視聴者に刷り込む事ができる。

また、ドラマに出て来る「長州の志士達」は時折『この国を守るため!』等の勇ましいセリフを使う事もあるが、それは単なるノルマ的な(一応出しておきました的な)ものであって、一種のガス抜きである。実際は、その具体的な歴史背景などドラマでは全く描かれておらず、彼らが何の為に、そしてどのようにして「尊皇攘夷」を推し進めていたのか?一般の視聴者が理解できるようにはドラマを作っていないので、『この国を守るため!』等の勇ましいセリフも全く説得力を持たされておらず、空疎な形でしか一般の視聴者には伝わってこない。NHKは敢えて、そのように演出しているのである。
150612hm_0007a.jpg
150612hm_0007b.jpg

(8) 登場人物が「現代の価値観」を基準として行動している事が多い。それは「戦後的な価値観」と言っても良く、その姿勢が一番顕著なのは主人公の文であり、とても「松陰の妹」とは思えないような「個人主義および平和主義」的な言動が目立つ。これはもはや歴史ドラマと呼べるような代物ではなく、このドラマの中で、それら以外の「価値観」としては、あとは「平等主義」が見受けられるぐらいのもので、「尊皇攘夷」も、「日本の自主独立」も、「長州人としての誇り」も、主人公の文にとっては全く関心が無い。また、文以外の長州人達を見ても、いつも空疎で薄っぺらなセリフを吐いているだけで、骨のある登場人物は一人としていない

更に多くの登場人物に共通している特徴として、「偽善的な言動」も目立つ。何か信念を持って行動している訳でもなく、その場面場面によってコロコロと言動が変節している事も珍しくない。これは複数の人間が脚本を書いている(=脚本家達の間で整合性が取れていない)という事が原因であり、更に、それら脚本家達全員が、登場人物に対してほとんど感情移入をせずに脚本を書いている(要するに「(脚本の仕事を)やる気が無い」)という事が原因であろう。
150612hm_0008.jpg

(9) どういった視聴者層を狙って作っているのか?が全く見えてこない。コアな歴史ファンが完全に見捨てられているという事は(上記の解説を読めば)一目瞭然である。では逆に、歴史にあまり詳しくない一般の視聴者を狙って作っているのか?と言うと、決してそんな事はない。歴史背景の描写をスルーしまくっているので(特に孝明天皇や朝廷全体の動向、更には幕府首脳の動向などはロクに描かれていないので)、なぜ?何の為に?何がしたくて長州の人々がこんなにも大騒ぎをしているのか?一般の視聴者には全く理解が出来ないストーリー展開になっている。それ故に、コアな歴史ファンと一般の視聴者、その両者から全く共感を得られておらず、『一体誰が得をするんだ?』と言わざるを得ないドラマの出来になっている。

更に言えば、朝ドラチック(少女マンガ風)大河という事で「女性向けドラマ」として作られている、と一般的には受けとめられているのかも知れないが、主人公の文を筆頭にして、出てくる女性キャラのほとんどが「嫌な人間」ばかりで、どう考えても女性視聴者に共感を得られるようなドラマの作りにはなっていない。本当に、一体誰が得をするのだろうか?このドラマを見る事によって。(上記で述べたように、NHKの内部の人間は、思惑通りに事を運べるのだから、得をするのかも知れないが)
150612hm_0009a.jpg
150612hm_0009b.jpg

(10) 吉田松陰や松下村塾の塾生達をテロリストとして叩く傾向が、ネットなどでは時々見受けられる。「間部詮勝要撃計画」や「攘夷実行による外国船砲撃」などを指して、『だから長州の連中はテロリストなんだよ。キチガイなんだよ』と(おそらく大半はサヨク系の連中と思われるが)そこかしこで煽っている。
150612hm_0010a.jpg
「尊皇攘夷」「開国」「佐幕」「倒幕」「公武合体」。
これらの用語は、幕末の歴史に疎い一般の視聴者にとっては、分かりにくいかも知れない。

しかし難しく考える必要など全く無い。
極論すれば、それらは全て「権力闘争の方便」に過ぎないのだから。
高らかに「尊皇攘夷」の旗を掲げている長州でさえ、裏では「長州ファイブ」を英国留学に送り出している。

話は少し横に逸れるが、ネットで『長州はキチガイでテロリストだ!』などと煽っている反長州の連中は、実は本音の所では「反米」「反沖縄米軍基地」「反TPP」等の反米思想に染まっている連中(=反米サヨク)のはずであり、本来であれば「長州による攘夷実行、外国船砲撃」のシーンを見て、彼らは快く思っているはずである。しかし連中はそういった本音を押し殺しながら、『長州はキチガイでテロリストだ!』などと扇動の為のネット工作を続けている。

そのやり方こそが、まさに「長州のやり方」と全く同じなのである。
長州は、表では「尊皇攘夷」を唱え、裏では「開国」の準備をしている。
ネットのサヨク工作員達は、表では「反米(沖縄基地反対)」を唱え、裏では「反米(攘夷実行)」をキチガイと罵る。
長州の真の狙いは「国内の権力闘争に勝ち残る」という所にあり、サヨク工作員の真の狙いは「日米離間のための扇動」と、更には「安倍・長州叩き」という2点にある。
150612hm_0010b.jpg
権力闘争の歴史などはシナ大陸こそが本場なのだから、「反米サヨク親中」の人達のほうがよほど詳しく把握しているはずだと思うのだが(笑)、日本の視聴者の方々も、それぐらい達観した歴史観で「大河ドラマ」に向き合ってもらいたいものだと思う。
そしてNHKについては、『いつもメソメソと泣いてるシーンばかりの(子供向けの)学芸会を放送するのは、いいかげんにヤメレ』と心底から文句を言いたい。


【結論】政治的な思惑で動いているNHKの煽り(挑発)に乗せられる事なく、「花燃ゆ」の話題はスルーするのが正解。そしてさっさと黒歴史として封印すべし。ネット工作員の煽りに対しては、この十例からコピペして対応してもらっても結構。うかつに関わると時間と労力を浪費させられるだけの事。もし仮に反撃をするのであれば、一撃必殺の構えで確実に論破すべし。(終)

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

脚本家の無能さを会長に責任転嫁とか片腹痛い。しかも真の狙いは安倍首相

人気ブログランキングへ

いやはや、なんとも。
この話題にはもう、あまり関わりたくないというのに、またあのゴミ大河(=「花燃ゆ」)の話をする羽目になってしまいました。

しかもドラマの内容とは全く無関係の所からの燃料投下を受けて、というのが原因でw

過去記事でも述べておりますように、煽りはスルーで」というのがネット世界の常識です。
ですから(過去記事でも散々書いております通り)、
『(当初から)意図的に幕末長州の駄作大河を作って、政治的に利用しよう』
などと考えているNHKの内部の連中が狙っている「煽り」に乗せられたくありませんので、出来ればスルーしていたいのですよ、私は。

私が主張すべき意見は、既に過去記事であらかた言い尽くしてしまっておりますので、個人的には新たに何か付け加える気もありません。


あのゴミ大河(=「花燃ゆ」)が、以前に放送されたゴミ大河「江」と同様、まともな大人が直視できるような代物ではない事は、多少なりとも理性が備わっている大人であれば、誰でも理解できる話だと思います。
150119_00001.jpg
(※もう、この、色彩感覚がマヒしているポスターからして、真っ当な物を作るという意志がカケラもない、というのは明らかですよね)


ですから私は、ドラマの内容は見ておりません。
この時の記事で書きましたように、ネット上の「花燃ゆ」論評サイトを見る事によって、一応どういった内容であったのか?その都度チェックするようにはしておりますけど。

そういった訳で、私の代わりに45分間の苦行に耐えてもらって、その上ダイジェストまで書いてもらっているというのに、その彼らに文句を付けるというのもナンなんですが、さすがに今回は酷すぎますね。
(※いやまあ、この時の訳のわからん籾井会長叩きも酷かったですけど)
BUSHOO!JAPAN 脚本もキツイがアナタが言うかい!?籾井会長が大河批判【花燃ゆ感想マンガ】第20回「松蔭、復活!」
150227_0001a.jpg
(※あれれ、なんなんでしょう?今度はコピペが出来ないHPの仕様になったようですので、敢えて転載文章は貼りませんが、要するに脚本家よりも出演者よりも、一番悪いのは「籾井会長」なんだそうですw)

ついでにもう一つ付け加えると、私がウォッチングしている他の「花燃ゆ」論評サイトでも、「籾井会長」について触れていました。
にっぽんの旧聞 「花燃ゆ」第20話感想「江、復活!」

(以下、一部抜粋引用)
さて、「花燃ゆ」が、とうとうNHK会長の逆鱗に触れた、とのニュースがありました。会長は「数字が低すぎる」などとのたまったそうです。この能なしは何言ってるんだ? 主演の井上真央さんが「私の力不足」などと、反省の弁を述べているニュースを聞くにつれ、いたたまれない気持ちになります。 まず、問題とすべきは籾井勝人会長の人品。組織のトップが評論家みたいに視聴率を根拠に、ドラマ批判をすることがおかしい。経営者は、「批判は甘んじて受けます。私の不徳のいたすところ」と語って終わらせるものでしょ。「これが大河ドラマかあ」と口にする「江」レベルに等しい。この経営者は、部下をだれも守る気がありません。(以下略)

(※上記の「NHK会長の逆鱗に触れた」ニュースのリンク
この「にっぽんの旧聞」のブログを書いている人のほうが、BUSHOO!JAPANの武者氏よりも露骨に思想が左寄りですから、本来であればもっと籾井会長をバッシングしても良さそうなものですが、これでも武者氏に比べれば、まだ大人しい内容と言えます。

まあ「にっぽんの旧聞」の人は武者氏と違って「自分の記事をプロパガンダに利用する」という意識がかなり薄いようですので(私と同じように個人的な趣味で書いているような感じですので)、そこを前面に押し出したりはしないのでしょう。



なるほど。確かに籾井会長の「花燃ゆ」に関する発言は、正鵠を射ているとは言えません。

しかし、それはそうでしょう。
大河ドラマの専門家として会長になった訳でもなければ、大河ドラマを立て直す為に会長になった訳でもないのですから。

武者氏は何か勘違いをしているようですね。
籾井氏は、腐りきっているNHKの組織全体を立て直す為に会長になったのですよ?
150520m_0001.png

私は過去記事でハッキリと宣言しています。
『こんな状態(「花燃ゆ」「江」といったゴミ)が続くような大河ドラマであれば、私はむしろ止めてしまえば良いと思っている』と。

こういった私の意見は、武者氏と「にっぽんの旧聞」の人にとっては、絶対的に容認できない意見だと思います。

しかし、むしろ私からすれば、武者氏と「にっぽんの旧聞」の人のそういった(NHKの内部の人間に対して擁護的な)スタンスが異常に見えます。

そこまで散々に「花燃ゆ」や「江」などを叩いておきながら、
『大河は止めてはならない』『俳優の責任ではない』『上層部が悪いだけだ』
などと平気で甘い事を述べていられる、この二人の神経こそ、私には理解不能です。

よほどNHKの内部に知り合いでもいるのか、もしくはドラマ業界に仕事上の付き合いがある人間なのでしょう、このお二人は。


外部の人間である私にはよく分かります。
NHKの内部の人間が何を望んでいるのか?という事が。

『(NHKを改革しようとしている)籾井会長だけは排除して、他は一切そのままに、元のNHKの体制に戻してくれ』
150520m_0002p.png
これでしょ?NHKの中の人間が望んでいる事は?

とりあえず大河ドラマの話に限定をするとしても、籾井会長と大河を絡めて武者氏らは無理矢理ケチをつけていますが、それでは籾井会長が来る以前の、ここ数年のNHK大河が、それほどまともだったと彼らは言うつもりなのだろうか?
「天地人」「江」「軍師官兵衛」。これらの作品がまともだったと言えるのか?

『2001年以降の大河で、まともな作品などほとんどない』というのが私の持論です。ですからNHKの過去の遺産(=2000年以前の大河作品)についてはともかくとして、これから先に作られる大河作品などに、私は何の未練もありません(その事はこの時の記事でも書きました)。

今の私からすれば、ハッキリ言って「たかが大河ドラマ」という感覚です。

武者氏は今回の記事で、大河ドラマを良くする為には、
『籾井会長を辞めさせるか、大河にタッチさせないようにする』
などと書いています。

私から言わせれば、
「たかが大河ドラマ」の事で、籾井会長の足を引っ張られてたまるか!』という所です。

これからNHKの組織全体を改革していかなければならないというのに。

しかも仮に、
「籾井会長が大河ドラマを良くする為に辞任する」(w)
などといった形になったとしても、それで得られるリターンが以前のような「天地人」「江」「軍師官兵衛」レベルの大河とか、アホらしいにも程がありますよね?w




そして更に、です。
この時の過去記事でも書きましたけど、「花燃ゆ」の制作発表が行なわれたのは、籾井会長が就任する前の話です。
会長就任以前に決定していたのに、どうやったら籾井氏が花燃ゆを強制できるのか?(2015/03/23)

その「花燃ゆ」の責任を、なぜ籾井会長が背負わなければならないのか?

話が全く逆ですよね。

私は以前からずっと主張しております。
「花燃ゆ」という作品は、NHKの内部の人間が政治的に利用する為に、敢えて選んだ作品である』と。

何を言いたいのか?というと、要するに、
「NHKの新しい会長が籾井氏に決まりそうだ」となった時に、NHKの内部の人間が籾井氏を陥れる罠を張る為に、敢えて幕末長州の駄作を選んだ
150520m_0001.png
このほうが、時系列的にも、今の社会的な動き(=マスゴミの動き)からしても、全て理屈が通りますよね?

「花燃ゆ」という作品が、いかに政治的な作品であるか?という事は、私は過去記事で散々書いてきた事ですけど。

戦後70年の今年に、長州大河をやる理由は総理には無い。NHKには有るけど(2015/04/01)

(以下、過去記事より抜粋引用)
以前から私は、この「花燃ゆ」という大河ドラマに対して、

(以下、過去記事より抜粋引用)
「NHKの特殊なイデオロギー」という事について、その具体例を挙げるとするなら、まさに今年の「花燃ゆ」こそがピッタリである。

ただし、今年の「花燃ゆ」における「NHKの特殊なイデオロギー」というのは、近年の「お花畑平和主義への偏向によって日本人の歴史を毀損、または骨抜きにする」といったステレオタイプのサヨク偏向だけでは飽き足らず、そこに更に、
・「薩長による維新体制」の否定(=日本の明治史や近現代史の否定
・司馬遼太郎原作の大河「花神」に象徴される長州的イメージの除去
・長州・山口と安倍総理を絡める事により、その両方にネガキャンを展開する
・安倍総理の政治的(地元誘致、及び籾井会長との)癒着をデッチ上げる為の自作自演
等々、過去に例を見ない程の「NHKの特殊なイデオロギー」ぶりが発揮されているので、今年はちょっと特殊過ぎる例と言えるかも知れない。

また、これらの事については、ここ一ヶ月ぐらいの過去記事で散々書いてきたので、興味のある方はこちらのリンク先をご覧頂きたい。
(以下、ここ一ヶ月ぐらいの間、大河について書いた過去記事)
「篤姫」よりも酷いドラマを作れるとは、NHKは天才だわw(2015/01/19)
大河ドラマの鬱憤を「マンガで晴らす」という御時世(2015/02/03)
倉山満と私の「幕末物のNHK大河ドラマ」に関する論評(2015/02/08)

こういった批判を繰り返し書いてきておりますけど、私としたことが、もっと大切なポイントを一つ、すっぽりと抜かしておりました。

それは「今年は戦後70年の節目の年」という事なんです。(以下略)

実は、今回の籾井会長バッシングの件などは、まだカワイイものなのです。

奴ら(=NHKの内部の人間及び武者氏を含めたサヨクマスゴミの連中)からすれば、奴らが一番狙っている獲物というのは、
「安倍首相による「花燃ゆ」に対する苦言
なんですから。
150520ma_0004.jpg

当たり前の話でしょう?そんな事は。
これまでの流れと奴らの動向からすれば。

今年、敢えて幕末長州の大河ドラマをやった一番の理由というのは、ソレに尽きるんですから。

「籾井会長がエサ(罠)に食いついた」などというのは最低限度の獲物なのであって、奴らの最大の獲物「安倍首相の発言」のほうです。


だからこそ、私は安倍首相に申し上げたいのです。
--------------------------------------------------------------------
『安倍さんが尊敬する地元長州の志士達が、NHKやサヨクマスゴミの連中によっておもちゃにされて、さぞかしお辛い事でしょうが、決して奴らの挑発に乗って苦言を述べてはなりません。
仮に何か適切に発言をしたとしても、連中は言葉尻を捉えて、籾井会長同様、ボロクソに叩く事しか考えていないのですから』と。
--------------------------------------------------------------------
150520mas_0003.jpg



さて、最後にもう一言だけ付け加えておきます。

武者氏や「にっぽんの旧聞」の人は口をそろえて、
『NHKの上層部が愚かすぎて、俳優の人達が可哀想だ』
と述べています。

なるほど。確かに、その通りですね。
「NHKの政治的な思惑」によって振り回されている俳優の人達は、本当にお気の毒だと私も思います。

しかし、この「花燃ゆ」の記事を書き始めた当初から私が主張しているように、「NHKの政治的な思惑」によって一番大きな被害を受けているのは、
長州人(山口の人達)であり、日本中の幕末ファンである。


歴史ドラマの需要者の側である国民(視聴者)を差しおいて、供給者の側である俳優を擁護するというのは、いささか優先順位が逆なのではないでしょうか?と、私は思いますね。


人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3

人気ブログランキングへ

前回、前々回の続きです。

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)

前回の記事で多少言及しましたが、吉田松陰という人物は戦前、と言うか特に戦中、「忠君愛国」の理想的人間像として戦意高揚に利用された面がありました。
(※私自身は、その事を別段否定的に捉えている訳でもありませんが)

また更に、良くも悪くも、我々「いわゆる保守」と呼ばれる人間も含めて、吉田松陰の「教育者」としてのイメージを優先する余り、彼の「忠君愛国」といった側面をやや軽視しがちなのではなかろうか?といった事も前回の記事で少しだけ触れました。



なぜ私がこういった事についてこだわっているのか?と言いますと、実は私自身、今回吉田松陰関連の本を読み漁る動機の一つとして、その事があったからです。

ちなみにもう一つの別の動機というのは、「花燃ゆ」における吉田松陰の描写が(老中・間部詮勝を要撃する計画に関連して)「危険なテロリスト(無差別殺人者)」といった描写になっていて、それが「中東のISIS」及び、それに感化された川崎の中学生殺人事件「さして違いは無い」みたいなイメージを視聴者に与えている、などといった論評を幾つか目にした事によるものです。
(※実は更にもう一つ動機がありまして、それはネット上で喧伝されていた「吉田松陰による吉田稔麿(栄太郎)イジメ」の実情を知る為、といった動機です)

以上のような事がありまして、私は「吉田松陰という人物」について改めて考えてみようと思ったのです。

もちろん吉田松陰は、私にとって「好きな歴史上の人物の一人」ではあったのですが、私の幕末趣味の中心が「幕末外交」であるだけに、これまで吉田松陰という人物の事を深く掘り下げて研究した事はありませんでした。


で、吉田松陰について、ふと考えてみて、まず最初に思いついたのが、
『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
というイメージだったのです。

実はこの事は、今回改めて思い至った考え方だったのです。

唐突ですが、ここで前回に引き続き、マンガ「風雲児たち」から一部を抜粋致します。
風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)
150501sa_00012.jpg

以下、「風雲児たち」(幕末編)19巻 92~94Pより一部を抜粋
150501sa_00013.jpg
--------------------------------------------------------------------
150501sa_00014.jpg
--------------------------------------------------------------------
150501sa_00015.jpg

『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
などという考え方は、特に「いわゆる保守」と言われている業界においては、おそらく別段珍しい考え方ではないと思います。

特に古くからこの業界の事を知っている人であれば、尚更の事でしょう。
まあ私は元々ノンポリの人間でした。そして今でも「いわゆる保守」業界の本などはあまり多くは読んでおりませんので、今になってようやく、そういった考え方に思い至った訳です。

「教育者」「至誠の人」「直情径行の人」といったイメージが優先される余り、本来吉田松陰像の中心にあった「忠君愛国の為に殉死した」という側面を見落としがちになる人は、案外私だけではないと思います。
戦後、吉田松陰を取り扱うメディアの姿勢が大きく変化した事については、前回の記事で指摘した通りで、その事も多少影響していると思いますが。


さて、そんな訳で「吉田松陰、三島由紀夫、特攻隊」といった事に関係する情報や書籍をネットで検索してみたものの、これがまた非常に少ない。

で、検索結果の筆頭に浮上してきたのが、前々回の記事でも少し触れました、この宮崎氏の本だったのです。
吉田松陰が復活する!吉田松陰が復活する!
(2014/10/27)
宮崎正弘

商品詳細を見る

(以下、amazonの商品説明欄よりコピペ)
わずか30年の短い人生にあって日本中を旅し、兵学者として国家百年の大計を考えた吉田松陰。
萩で主宰した松下村塾は維新の志士を輩出した。アメリカとロシアを最大の敵とみなした松陰は海外情報の収集と諜報戦の重要性を訴えた。
松陰の思想は後世の日本人に絶大な影響を与え、その憂国の精神は大東亜戦争で散華した特攻隊に継承され、三島由紀夫につながった
松陰の思想は時代を超えて何度でもよみがえる。
中国の軍事力という新たな脅威を前に吉田松陰の復活がこれから始まる!
(以上、コピペ終了)
--------------------------------------------------------------------
この宮崎氏の本以外では、こういった事について詳しく言及している本やサイトなど、私は見つける事が出来ませんでした。
(※実はそれ程時間を掛けて調べた訳でもありませんので、よく探せば、もっと出てくるのかも知れませんが)

ちなみにこの宮崎氏の本の内容に関しては、絶賛する程でもありませんが、内容はそこそこまとまっていると思います。
ただし例によって、こういった「いわゆる保守」業界特有の臭いがやや強めですので(まあ読み手の需要の問題もあるので、ある程度仕方がない面もありますが)、現代の政治・外交問題等、吉田松陰の歴史とは直接関係が無い事についてもいろいろと取り上げており、そういった脇道の話にやや紙面を費やしているように感じられます。

三島由紀夫に関する論評も、本当に終盤の部分だけで、紙面もあまり割かれてはいません。


私自身は、三島由紀夫の事はそれほど詳しくありません。
著作も(「豊饒の海」などを含めて)数冊読んだ程度です。

「歴史REAL WEB」一坂太郎ブログ 第14回 さらば青春(4月5日放送)
この一坂太郎のブログで、

(以下、一部抜粋引用。フォントの色を変えているのは私の編集)
 高校生のころの僕が憧れたある作家(故人)は、政治的な国の要人暗殺を肯定はしないが、それが起こるのは、民主主義がうまく行われているからだという意味の言葉を残している。民主主義は、少数派を生む。だから、意見が通らない少数派は、最終手段として暗殺を企てるのだという論調で、僕はひどく納得した覚えがある。しかも、その作家は松陰の熱烈な信奉者であり、成る程と思わせるような最期を遂げていた。今回のドラマは否応なく、そんなことを思い出させる。(以下略)

と書いていましたが、この「ある作家(故人)」が三島由紀夫である事は間違いないでしょう。

宮崎氏の本で指摘されております通り、
先駆けて死んでみせる
これがまさに吉田松陰であり、特攻隊であり、三島由紀夫の最期でありました。

しかしある意味、『松蔭は幸せ者である』とも言えます。

松蔭の場合は、その死をもってして「維新回天」の結果をもたらす事に成功し、その80数年後に大東亜戦争の敗戦で彼に対する評価がかなり揺れ動く事になったにせよ、彼が生前熱望していた通り、永く歴史上に「忠君愛国の志士」としてその名を留めるようになったのですから。

もちろん、それは全て後付けの理屈であって、死んでゆく人間にとっては『その後の結果がどうなるのか?』などという事を想定するのは、全く不可能な事なのです。

その事は、松蔭以外の、特攻隊や三島の死に対して、現代の我々がどのような態度を取っているか?という事に想いをいたせば、すぐに分かる事だと思います。




テロ及びテロリストという事について。

「花燃ゆ」の中で吉田松陰が間部詮勝の要撃を訴えるシーンがありますが、このシーンが、
『さながら、気違いテロリストのように見える』
とネットではよく書かれていました。

吉田松陰=テロリスト

こういった印象操作(ネガキャン)がネット上で大々的に行なわれているように、私には(その当時=二、三週間ぐらい前)感じられました。

しかし一言に「テロリスト」と言っても、「政治家を暗殺する」テロリストと、中東などで頻発しているような「無辜の市民を無差別に殺す」テロリストでは、全然意味合いが異なります。

と言うか、むしろ今回の「吉田松陰=テロリスト」の印象操作(ネガキャン)は、
「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」
といった印象操作(ネガキャン)と同じレベルのものである、と私には感じられました。

無差別テロと戦争の区別もつかんのか?と。

『吉田松陰はテロリストなのだから、こんな大河ドラマは楽しんで見られない』
などといったネット上の論評まで見かけましたが、だったら一昨年の「八重の桜」における山本八重がスナイパーとなって会津城で人を殺しまくっていたのはどうだったんだ?と言う話ですよねえ。
150501sa_00016.jpg
更に言えば、来年の「真田丸」における真田一族も「戦の名人」「人殺しの名人」な訳で、信長・秀吉・家康の三傑に至っては、もう「放送禁止レベルの殺人者」であるはずなのだが、吉田松陰や幕末の長州を貶したいだけの連中からすれば、「吉田松陰=テロリスト」というレッテルを貼りたいだけなのだから、くだらない理由で騒いでいるだけの事です。


ちなみに、一坂太郎の持論としては、実は「テロ(=要人暗殺)」という行為に対して結構寛容な姿勢を示しています。
(※もちろん、それは歴史上の事件に対して、という事であって、現代の話はまた別なのだろうが、「アイアム・ノット・安倍」の件を嬉々として書いてた様子からは、反体制主義者の本音が透けて見えるような気もしますw)

そういった事についてはこの時のブログ記事で彼は書いていました。そして彼の著作を読んでみても、ほぼ同様の事が書いてありました。

まあ、リベラル反戦平和などというのは幻想であって、「テロ(=要人暗殺)」は国粋主義者(極右)の専売特許ではなくて、雁屋哲のような極左の人間もそれを好む傾向にあるのは、雁屋哲が原作した「男組」のエンディングを見れば、その事がよく分かります。
150501sa_00017.jpg
実はリベラル反戦平和と言われている連中のほうが、右の人達よりも「よっぽど好戦的である」などという事は、ネットではもはや常識で、「反原発デモ」「沖縄・反基地デモ」における連中の乱暴狼藉ぶりを見れば、子供でも理解できる話です。



え~、話を戻しますと、何と言いましても、吉田松陰の間部詮勝要撃は、
「朝廷=帝(みかど)=孝明天皇」を護るため
計画されたものであって、無辜の市民を狙った無差別テロなどと同列に語られる事自体、異常な事なのです。

まあ、「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」という事を意図的に喧伝している連中と同じレベルの連中に対しては、そんな正論は「馬の耳に念仏」かも知れませんけどね。


長くなりましたので、もう一回だけ、次回に続きます。
(※一坂太郎の著作に関する論評は、今回の記事でも書く事が出来ませんでした。次回、必ず書きますので、もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません)

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

人気ブログランキングへ←クリックしていただけると励みになります
FC2Blog Ranking←同じく

テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

FC2Ad