処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

唐突ですが、久々のマンガネタ。村上もとか・第1回『六三四の剣』

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桜は満開で、新年度も始まり、消費税もアップされたばかりだというのに、このブログではそんな世間の動きなぞどこ吹く風、唐突ですが久しぶりのマンガネタをやります。
日頃のブログ記事でも時々マンガやアニメのネタを挟んではいますが、そちらをメインにして記事を書くのは昨年の4月に書いて以来になりますので、実に約1年ぶりという事になります。

今回取り上げるマンガ家は 村上もとか です。

我ながら、珍しく“大物マンガ家”を取り上げます。ですから、今回は3回のシリーズに分けて書こうと思います。これ程の“大物”ですと、とても1回や2回では書き切れません。
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※ちなみにこれまでこの「歴史、ドラマ、小説、漫画、アニメ」カテゴリ(※後日「マンガ、アニメ」はカテゴリより分離)で取り上げてきたマンガ家及びマンガ作品は以下の通りです。

安彦 良和『王道の狗』(2012/01/22)
みなもと 太郎『風雲児たち』(2012/04/29)
山岸 凉子『舞姫 テレプシコーラ』(2012/09/02)
関川 夏央・谷口 ジロー『「坊ちゃん」の時代』(2011/12/26)
星野 之宣『ヤマタイカ』、『宗像教授シリーズ』(2012/11/04)
木村 直巳『天涯の武士』(2013/01/14)
森田 信吾『明楽と孫蔵』、『栄光なき天才たち』(2013/04/21)
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私もこれまでいろんなマンガ家さんをこのブログで取り上げてきました。
しかし、どうなんでしょう?これまで取り上げてきたマンガ家さん達は、その多くが結構巨匠として扱われても不思議ではない実績や技量の持ち主ばかりだと思うのですが、なんとなく世間的にはあまり知名度は高くない人達ばかりだったように感じられます。

自分で言うのも変ですが、「知る人ぞ知る」と言うか「ややマニア向け」と言いますか、一般国民からの知名度はそれほど高くないマンガ家さんばかりだったと思います(安彦先生に関しては、“アニメ”というジャンルも含めれば、「ガンダム」のお陰で知名度はかなり高いと言えるのかも知れませんが)。

それらの方々に比べれば、村上もとか先生は、私の個人的な感覚からすれば、かなり「メジャーなマンガ家」と言えると思うのですが、一般的な認識としてはどうなんでしょうね?

手塚治虫鳥山明高橋留美子あだち充のような「国民的な人気のあるマンガ家」と言う訳ではないのかも知れませんが、マンガをよく読む日本人の国民性からして、これまで多少なりともマンガを読んだ経験のある日本人からすれば、村上もとかを知らない読者ってほとんどいないと思うんです。

村上もとか先生を取り上げるに当たって、今回私が取り上げるマンガ作品は以下の三作品です。
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今回:『六三四の剣』
次回:『龍-RON-』
最後:『JIN-仁-』


うむ。何のひねりもなく三球続けて直球ど真ん中という、自分でも呆れるぐらいの清々(すがすが)しさであるw

かなり初期の村上もとか作品である『赤いペガサス』『ドロファイター』は、その当時私は小学生でしたが、当時は読んでいませんでした(その頃は少年チャンピオンが『ドカベン』『マカロニほうれん荘』等、全盛期で、私はチャンピオン派でした)。

その後『六三四の剣』から入って、『風を抜け!』も読んで、その次の『ヘヴィ』は、なぜかあまり読んだ記憶がなく、青年誌のビッグコミックオリジナル連載の『龍-RON-』には10年以上も付き合わされる結果となり、その連載の終わり頃に、そのまま『JIN-仁-』に流れて(単行本限定で)ずっと読んでいた、といった系譜になります。
その他の細々とした村上もとか作品も、時々パラパラとめくって目を通してはいましたが、今回特に取り上げる事は致しません。

それと、今連載している(らしい)『フイチン再見!』は、まだ全く読んだ事がありません。ですから内容は全く知りません。まあ、『龍-RON-』単行本(文庫本)第1巻のあとがきに村上先生と中国との繋がりについていろいろと書いてありましたので、そこから得られた経験や知識を元に練り上げられた作品なのでしょう、多分。


『六三四の剣』は「国民的な大ヒット」とまではいかないまでも、一応アニメ化されるくらいに、少年サンデーでは人気を博した作品でした。

『龍-RON-』は連載期間がメチャメチャ長かった。その昔、ビックコミックオリジナルを一度でも読んだ事がある人なら、必ず一度は目にした経験はあるはずです。この作品も一応、かなり早い段階に(連載中に)NHKでドラマ化されていたはずです(私は当時観てなかったのでTVドラマの内容は不明)。

『JIN-仁-』については、私個人としては非常に違和感を感じている社会現象なのですが、TBSのTVドラマのお陰で、かなり知名度が高いらしい。私もそういったニュアンスの女性の声を何度か耳にした事があります。私は逆に、ドラマ化される前からずっとマンガ作品のほうを読み続けていて、TBSのTVドラマのほうは一切目にした事がないので、TVドラマの事については何一つ書けませんw

これら三作品の知名度から考えてみましても、まあ村上もとか先生はかなり「メジャーなマンガ家」と言って差し支えないでしょう。



と言う訳で、今回は『六三四の剣』について書きます。
六三四の剣 (1) (小学館文庫)六三四の剣 (1) (小学館文庫)
(2000/11)
村上 もとか

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<『六三四の剣』と言えば、岩手県。岩手県と言えば、『六三四の剣』>
人気のある作品でしたので、マンガの大筋について説明をする必要も無いかなあ?とは思うのですが、まあ私は作品を知らない人に向けてもブログを書いている訳ですから、その点をスルーする訳にはいきませんね。

六三四の剣Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E4%B8%89%E5%9B%9B%E3%81%AE%E5%89%A3

(以下、Wikiの概要より抜粋)
岩手県を舞台に、少年剣士の成長をライバルとの関係を軸に描く。剣道を題材とした正統派のスポーツ少年漫画である。物語は小学生時代と高校生時代に分かれている。主人公である六三四など登場人物のセリフは標準語ではなく岩手の方言となっている。(以下略)


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この作品はきっと岩手県人にとってはもの凄く大切な作品なんでしょうねえ。私は北陸出身なんですが、私のイメージでは盛岡=岩手山=『六三四の剣』になっちゃってます。
(こんな盛岡の人のサイトがありました。「六三四の剣」の故郷~もりおか巡りMAP~

2年前、私が盛岡に出張に行った時にも少しだけ『六三四の剣』について触れました

連載時期は1981年~1985年で、私もローティーンの多感な時期にこのマンガを読んでいました。この時期というのは、同時に日本のアニメ業界にとっての「黄金期」でもありまして、私も1985年頃まではかなりのアニオタでした(という事は過去のこのカテゴリ記事でも何度か書きました)。

ちなみに『六三四の剣』のアニメ版は見ていません。というかウチの地元ではやってませんでしたしw(調べてみるとテレビ東京系だったようで。そりゃウチの地元ではやらんわなw)。まあ別にアニメ版をそれ程見たいとも思っていませんでしたし、「マンガ作品をアニメ化」して、コケたりハズしたりするのはよくあるパターンで(実写化だともっと悲惨w)、『村上もとかの絵柄をアニメ化してもなあ』って感じですよねえ。
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<少年サンデー、スポ根、青春、大河、王道>
作品の内容は、とにかく「少年サンデー的スポ根・青春モノの大河マンガであり、王道マンガである」と言えると思います。
「少年サンデー」と言う事では、以前『舞姫 テレプシコーラ』の記事を書いた時に満田拓也先生の『健太やります!』『MAJOR』にも少し触れました。

(以下、一部抜粋引用)
余談ですが、最近はほとんど「歴史物のマンガや活字本」しか読まないオッサンの私ですが、少年誌では満田拓也先生の「健太やります!」と「MAJOR」の二作品は、連載と同時並行で20数年間ずっと欠かさずに読み続けていました。どっちも「スポ根もの」の王道作品です。


こういった「安心して読める」かつ「大河的な」スポ根モノの王道作品って、最近あまり見ないですよね。まあ私が目にしてないだけかも知れませんけど(なんせ最近あまり一般的なマンガ作品を読んでませんし。そう言えば満田拓也が最近連載していたボクシングマンガ『BUYUDEN(武勇伝)』が、いつの間にやら打ち切りになってて驚いた)。

小山ゆうの『がんばれ元気』、村上もとかの『六三四の剣』、満田拓也の『MAJOR』は、そういった「少年サンデー的な」作品を象徴する3大作品である、と言えると思います。
(この3人の作者いずれもが、少年サンデーでボクシングマンガを書いた経験があるというのは偶然なのだろうか?)

この三作品には、作品のバックグラウンドに共通している要素がある。
それは
「主人公の幼少期に父親が亡くなり、その主人公が父親の意志を継ぐ事になる。そして主人公のライバルについては、彼の父親もまた、主人公の父親とライバル同士だった」
という共通要素である。
※後日訂正『がんばれ元気』はこの例に当てはまりませんね。すみませんでした。主人公が、父親のライバルに対して「父親の仇(かたき)」的な意識もしくは父親同様のライバル意識を少なからず抱いていた、という面においてのみ共通点が存在する、と言い直すべきですね。失礼致しました。)
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こういった「大河的な」作り方というのは、一昔前であればそれ程珍しいものではなくて、他のマンガ作品でもよく見られた設定だったように思います。たまたま少年サンデーでは、この三作品が大ヒットした、という結果になりましたけど。

<「親子鷹」なら何でも良い、という訳ではない>
10数年ぐらい前に、少年マガジンで『マラソンマン』という、これもまあ「親子鷹」作品でしたけど、やはり「幼少期に父親が亡くなって、主人公がその意志を継ぐ」という、マラソンをテーマにしたスポ根マンガがありました。
マラソンマン 家族の絆 (アクションコミックス(COINSアクションオリジナル))マラソンマン 家族の絆 (アクションコミックス(COINSアクションオリジナル))
(2014/01/08)
井上 正治

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しかしこの作品については、作品設定こそ「親子鷹」設定ではあるものの、肝心の人物描写やキャラクター設定、また登場人物の成長や葛藤の描き方などもイマイチであった事と、なにより「絵柄に華が無かった」(小山ゆう、村上もとか、満田拓也らとは違って)というのが致命的で、失敗作ではなかったのかも知れないが、大ヒットとはとても言い難い作品に終わった(実は自分は後半ほとんど読んでませんw)。

なんにしても、最近はあまり「親子鷹」スポ根モノの大ヒット作品というのはあまり見かけませんね。
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<“剣道”というテーマ>
『子供の頃に『六三四の剣』を読んで、感化されて剣道を始めた』
という話を(特にネット上などで)よく耳にします。
その感覚は私にもよく分かります。この作品には、それ程までの「惹き付けるパワー」がありますから。
ただし私自身は、剣道を全く経験する事無く今日(こんにち)に至ってます。

なにしろこのマンガは外国人さえも、剣道の虜にしている程です。

朝日新聞「マンガの力」~「六三四の剣」が生んだ本格派米国剣士!
http://ikesanfromfrneore.blog64.fc2.com/blog-entry-583.html

一般的には、実際に剣道の試合を目にした事がある人はかなり少ないと思います。道場や試合会場で見た事がある人も、多分そんなに多くないでしょうし、TVで観戦するとしても、おそらくNHKで年に一回「全日本剣道選手権大会」を放送している以外は、目にする機会は滅多にないと思われます。

しかも実際の剣道の試合というのは、マンガの『六三四の剣』とは違って、
『技のスピードが早すぎて、どっちが勝ったのか全然分からん!』
というレベルの代物です。

『六三四の剣』を読んでいながらも剣道をやった事がない人が、初めて実際の剣道の試合を見た時、多分ほとんどの人が『思っていた剣道と全然違う!』とビックリするはずです。
過去のいろんなボクシングの名作マンガを読んだ人が、初めて実際のボクシングの試合を観て『思っていたボクシングと全然違う!』と感じるパターンに、ある種共通するものがあるように思われます。

実際に剣道の経験がある人からすれば、この『六三四の剣』でさえ、『あり得ないだろ!』と突っ込みたくなるアクション描写が目立つかも知れません。しかしまあ、マンガですからw(それ言っちゃ、お終いだろ、とw)
少なくとも「派手なボクシングマンガ」に比べれば、私からすれば十分、説得力のあるアクション描写だと思うんですけどねえ。
まあとにかく、作品作りの「誠実さ」という面に関して言えば、私は十分、太鼓判を押せますし、保証できます。大切なのはそういう所だと思うんですよ。



<画力>
絵的な面で言えば、「絵師」としての村上もとか先生の技量を認めない読者は、ほとんどいないはずでしょう。安定していて、しかもキレイで上手いですし。
個人的には、私は『六三四の剣』の頃の絵柄が一番好きでした。『龍-RON-』は終盤やや作画の乱れが目に付く場面がありましたし、表情にスクリーントーンを多用して多少スッキリとした絵柄に感じられる『JIN-仁-』も、『六三四の剣』の頃の絵柄と比べると、私はやや物足りない感じがします。

しかしコレは贅沢な要求であって、総じて見れば、絵的な面ではほとんど完成されていると言って良いレベルだと思います。特にヒロインの描写については本当に皆、キレイですよね~、村上作品のヒロインはw
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<村上もとか作品を100%堪能できるのは日本人だけ>
さて、今回、第1回目の最後のシメですが、マンガ作品の最大の魅力というのは「読者を感化する力(パワー)である」と私は思います。

子供がその作品を読んで、感化されてそのテーマについて興味を持ち始める、というのが理想で、大人でさえも「惹き付けるパワー」を持っていれば最高です。

先にも書いた通り、この『六三四の剣』を読んで感化された子供達は数多くいるはずです。

余談ですが、私も小学生の頃、少年チャンピオンで飯森広一先生の『レース鳩0777(アラシ)を読んで、
レース鳩を飼いたい!!家にレース鳩の鳩舎を作りたい!!』
と感化されたものですw
ちなみにそのちょっと後に、神矢みのる・牛次郎の『プラレス3四郎』を読んで、
プラレスを作りたい!!パソコンを始めなきゃ!!』
と感化された事もまた、言うまでもありませんw
(う~む。知らない人にとっては、この情熱は全く伝わらないに違いないw)
まあ結局どちらも手を出せずに、不発に終わった小学生時代の思い出ですがw


先程『この『六三四の剣』は外国人をも虜にした(=感化させた)』と私は上記でリンクを貼って紹介しました。

外国人をも感化するパワーを持ったこの『六三四の剣』ですが、気の毒な事に外国人には、この『六三四の剣』はもちろんの事、村上もとかの作品を100%堪能する事は不可能である、と私は思っています。

外国人が日本のマンガ作品を読むためには、当たり前の事ですが、日本語を母国語に翻訳した上で読まなければなりません。

しかし日本の「各地の方言」まで翻訳する事は、絶対に不可能です。

そして、『六三四の剣』はその最たるものですが、『龍-RON-』にしても『JIN-仁-』にしても、その作品の持ち味を100%味わい尽くそうと思えば、「方言」を理解できない限り、100%全てを味わう事は不可能である、と私は思います。
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まあ細かな話と言えば確かにその通りですが、そうは言っても、「方言抜きの村上作品」というのは「みそ汁の付いてない和風定食」みたいなものですよねえ。

あと、それらの方言が、実際にそれらの各地方で今でも頻繁に使用されているかどうかについては、またいろんな事情もあるのでしょうし、実際の地方の実態というのは決して良い話ばかりという訳でもないのかも知れません。

しかし少なくとも私は、子供の頃に『六三四の剣』を読んだ影響もあって今でも岩手の人達は『ぺっこ』『ちょっと』という風に使ってるんだろうなあ~と、なんとなく思ってますw
(まあ実際、現地で使われている方言を直接耳にした事はないんですけどw)

長くなりましたので、「各地の方言」という点については、多分第3回の『JIN-仁-』で幕末関連の話題として触れると思いますので、今回はここまでにします。


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テーマ:漫画の感想 - ジャンル:アニメ・コミック

村上もとか・第2回『龍-RON-』と満州国関連の話

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前回の記事、村上もとか・第1回『六三四の剣』では、私のブログでは初めて「政治・思想・歴史観」などの要素を完全にスルーして記事を書きました。

前回の記事で一覧リストを紹介しましたが、私が過去記事で取り上げたマンガ家さん達は良くも悪くも「やや左がかった」と言いますか、どう贔屓目に見ても「そういった要素を無視する事ができない」といった作品が多々あり、私も悪気があってやっている訳ではないのですが、やむを得ずそういった側面を取り上げる事が多かったのです。

さすがに『六三四の剣』は、まあここで少年誌の作品を取り上げるのが初めてという事もありますが、そんな要素はほとんどありませんので純粋にマンガ作品として評価するだけで済みました。

ただし、『六三四の剣』の中でも例外中の例外なのですが、孤島にこもってずっと一人で修行をしている二刀流の老人剣士・古沢兵衛が、その弟子であり、六三四のライバルの一人でもある乾俊一の回想シーンで、

『軍人だったわしは戦争中に大陸にわたり、特殊任務についていたのだ。その頃わしは任務とはいえ無抵抗の女、子供の命まで奪ったことがある…。その瞬間にわしは剣士としての誇りを失ってしまったわけじゃよ…』

と語るシーンがあります。

とはいえ、このシーンひとつをもってして『村上もとかはサヨクだ!』などと言うつもりは毛頭無く、おそらく村上先生はこのシーンを描くにあたって、何か深い意図(または思想)があってこのように描いた訳ではなくて、当時の(昭和60年頃の)一般的な日本人の感覚からして、特に右や左といった事に無自覚な人間であれば、
日本兵なんだから、多分悪い事もしてたんだろう。特に大陸では』
などと漠然と考えていたとしても、それはごく自然な思考回路だった訳です。
今から当時を振り返ってみれば。

ちなみに今回取り上げる『龍-RON-』の主人公、押小路龍。彼の父親も、大陸で特殊任務に就いていた人間だったそうですが…。


そんな訳で、さっそく『龍-RON-』に話を移しましょう。
龍 1 (小学館文庫 むA 21)龍 1 (小学館文庫 むA 21)
(2008/06/13)
村上 もとか

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『六三四の剣』と同様に、この『龍-RON-』もそれなりにメジャーな作品だと思います。
しかしそれより何より、とにかく連載期間が長かった。15年間も連載してました。ですから「最初から最後まで全部読んだかどうかはともかくとして」、この作品の中身を一度は目にした事のある人は結構いると思います。

それでもまあ一応念のため、今回もあらすじを紹介しておきましょう。
『龍-RON-』Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D-RON-

(以下、Wikiの概要より抜粋)
1928年、京都。押小路龍は財閥を経営する押小路男爵家の跡取りであったが、会社経営には興味がなく、幼少時から得意としていた剣道の腕で身を立てようと、日本有数の武道家育成機関・武道専門学校(武専)へ入学する。師の薫陶や同期との研鑽、幼馴染の舞妓・小鈴、押小路家の女中・田鶴ていとの恋模様を通して、龍少年は少しずつ大人の男へと成長してゆく。
やがて龍は、ていとの結婚を巡って武専を退学し実業家へ転身する。それぞれの人間がそれぞれの人生を歩んでゆく中、世界は世界恐慌に端を発する激動の時代へ突入。その中で龍の出生の秘密が、世界の趨勢に大きな影響を及ぼすようになってゆく。(以下略)

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このマンガはなにしろ15年間もやってましたので、色々なストーリー要素が詰め込まれています。しかも後半は、物語の舞台は全てシナ大陸になります。そんな訳で私なりに物語の全体をパートごとに分けてみましたので、以下に紹介しておきます。

第1部:龍の京都での武専(学生)編。幼馴染みの芸妓・小鈴の落籍。田鶴ていとの出会い、など
(以下、文庫本の巻数と文庫本の帯に書かれているキャッチフレーズを紹介)
1巻「熱く、激しく、昭和を生きた男がいた!」
2巻「強く、逞しく、昭和を生きた女がいた!」
3巻「この身と心が私の全て。龍さま、私を捧げます!」

第2部:龍の京都での修行編。在日朝鮮人・スンヨンとの絡み。中国人留学生で龍の片腕的存在となる曹徳豊との出会い、など
4巻「全てを捨ててでも、てい、お前が欲しい!」
5巻「行くべき道に迷い、悪戦苦闘の、龍!」

第3部:田鶴ていが映画の世界へ。龍は押小路財閥の大満州航空の総帥代行に就任、満州へ赴任、など
6巻「映画スタアへの道を駆けのぼる、てい!」
7巻「大空を翔る夢を追う、龍。今、二人は運命の」

第4部:龍と宿命の関係にある鳳花(フォンホワ)との出会い。“秘宝”をめぐって龍と父親、更には鳳花との絡み、など
8巻「鳳花。謎を秘めた一輪の花。出会いを果たす!」
9巻「鳳花の望みは中国に伝わる秘法!軍靴の音響く激動の時代」
10巻「龍の望みは日本と中国の平和!二人の運命が絡み合う!」

第5部:2.26事件の日を境にして全くの新展開へ。以降、物語は基本的に大陸が舞台となる。後に龍の義弟となる文龍との出会い、など
11巻「明日を夢見る文龍。中国を舞台に、二人の龍の」
12巻「失った過去を探す龍。新たな物語が今、始まる」

第6部:龍は大陸の闇社会で頭角を現し始める。また映画女優である田鶴ていも大陸へ渡る、など
13巻「謀略渦巻く上海の地で、龍とていの運命の糸が今…!」
14巻「持ち去られた皇帝の秘宝!龍に課せられた新たな試練!」
15巻「女優から監督へ!ていの行く新たな道!」

第7部:龍、鳳花、共産党、甘粕などが秘宝を巡って複雑に絡み合い、歴史の波に呑まれながら物語は最終局面へ
16巻「皇帝の秘宝を追え!龍を待つ険しき道!」
17巻「強く、美しく…!激動の時代に咲いた一輪の徒花・小鈴…」
18巻「雄々しく、逞しく…!命を懸け、私設部隊結成を目指す龍!」
19巻「日本の、満州の、中国の運命を、龍が握る…!?」
20巻「皇帝の秘宝を巡り、龍と鳳花、今、最終決着!」
(最終巻)21巻「戦争が、あらゆる人間たちの運命を弄ぶ!」


こんな感じですか。
<ストーリー全体について>
私個人の嗜好としましては、やはりまあ、15年間も連載していましたからねえ、「作者と同様に」などと言うのはおこがましいのかも知れませんが、その時々によって、この作品への思い入れは複雑に揺れ動いています。
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少なくとも私は前半の「日本での青春編」は大好きですが、後半はちょっと…。特に終盤、龍が大陸で特殊部隊を率いていく辺りの話とかは、もう、かなりキツイですよね…w。

このマンガ作品は、ともすれば村上先生の「ライフワーク」に成り得たかも知れない作品であり、それ程の意気込みを感じられる作品でした。前回の記事でも若干触れましたが文庫本・第1巻の巻末に村上先生のあとがき(エッセイ)が書いてあって「この作品をどういった経緯で作り上げていったのか」等について解説してあります(文庫本なのでもちろん全話完結した後に書かれたものです)。

全体のストーリーとしては、ある程度の初期設定を組み立てた上で、連載を開始されたようではあります。『中国を舞台にした話を描きたかった』というのは、まあ当然の事として、大陸編のクライマックス部分とエンディングへと向かう最終盤の部分を当初、どのように想定して描いていたのか?については、村上先生のあとがき(エッセイ)を読んでもハッキリとした事は分かりません。

私の独断と偏見で言わせてもらえば、それらの後半部分(シナ大陸での部分)について、村上先生のモチベーションが当初に比べて落ちているように感じられます。それはシナ大陸の歴史の真実を、連載開始後に知ってしまったからなのか?それとも日本人(読者)の対中感情が段々と変わっていってしまったからなのか?それは私にも分かりません。


まあ、そういったストーリー展開及び時代背景の描写、歴史の事件などの描写に関する事はともかくとしても、肝心の「人物(キャラクター)の描き方」、これがしっかりとしてさえいれば、物語が破綻する事は避けられると思います。

それについては、村上先生はプロ中のプロです。
「人物(キャラクター)の心理描写」「人間の強さ、または弱さを描く」、要するに「人間を描く」といった事にかけては、マンガ界随一の技量を持っておられます。
マンガに描かれている人間達の息づかいや心臓の鼓動(これは「ドクン!」という擬音などでも有名ですがw)が読者に臨場感を持って伝わってくるようで、このあたりが村上先生の神髄と言える所でしょう。
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しかしやはり、この『龍-RON-』については、『JIN-仁-』とは違って歴史考証の専門家を付けていなかったが故の難しさから来るものか、もしくはあまりにも長く連載を続けていたが故の「慣れ(惰性)」、もしくは「疲れ」から来るものか、その要因は定かではありませんけれども、当初想定していた物とはどこかでズレが生じてしまった「結果」と思わざるを得ません。終盤の明らかな「息切れ感」からしますと。



<思想面について>
今回取り上げた村上先生の3作品の内、『龍-RON-』に関してのみは、やはりこの話は避けて通れません。まあ何しろ“近現代史”を描いている訳ですから、どうしたって「右だ、左だ」といった思想性を無視できるはずはありません。

一番重要なのは、これは森田信吾先生の事を取り上げた時の記事でも書きましたが、
1990年頃の時代的風潮
という点です。
久々の幕末関連ネタ及び森田信吾(マンガ家)について 後編(2013/04/21)

(以下、一部抜粋転載)
この「栄光なき天才たち」が連載されていた1990年前後というのは、その反日サヨク勢力(もちろんその勢力の主力はサヨクマスゴミ)による「言葉狩り」大攻勢が開始された直後の時期でもあり、当時の社会的風潮というのは、
進歩的な知識人と言えば、左寄りが当たり前』
という状況だったのです。
(中略)
やはり1990年頃を境に、終盤になっていく程「イデオロギー性が強くなっていった」と見るべきなんでしょう。この作品の特性については。(以下略)


『龍-RON-』の連載が開始されたのは1991年です。
今の若い人達はあまり知らないかも知れませんが、今でこそTVなどのメディアで中国朝鮮の話題を盛んに取り上げる事が「さも普通の事」のようになっていますけど、1990年頃はまだそうではなかったのです。ちなみに朝鮮人の名前も、今のように朝鮮読みではなくて、まだ普通に漢字の音読みだったと思います。大体その頃くらいまでは。

その頃に中国や朝鮮の事を取り上げていたのは『進歩的な知識人』という「ごく少数派」の人達なのであって、だからこそ話題としては珍しく、マンガで取り上げるにはかっこうの素材と成り得た訳です。
というか、残念ながら現在は既に完成されてしまっていますが、「いわゆる反日サヨク」的な風潮が作り出されるにあたって、まさに「その時代が始まるトバ口(くち)に当たる時代だった訳です。1990年頃というのは。

1991年に連載を開始したこの作品で、「シナ大陸が物語の舞台に選ばれたり、在日朝鮮人が仲間になったりする」事が、そういった時代的風潮と無関係であるはずがありません。

(日本人による在日朝鮮人少女に対するレイプ事件のシーン)
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(「いわゆる南京大虐殺」についての解説シーン)
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私は当時、ずっとビックコミックオリジナルで連載を読んでいましたが、当時はまだ「いわゆる南京大虐殺」の事についてそれ程詳しくはなかったので、この描写をそれ程気にしてはいなかったと思います。ですから、このページの下の註釈
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※1.現在、南京事件に関して、様々な意見が出され議論が交わされている

この註釈が連載当時からこのように書かれていたのか?後で単行本化する時に改めて入れられたものなのか?それはよく分かりません。しかし、この書き方からすると、いかにも「後になってから訂正を入れた」ような感じは受けますね。


私はこのカテゴリ内で『歴史に向き合う姿勢は誠実でなければならない』と繰り返し指摘してきました。

『後世の人間がどのように考えるか?』それは「今」を生きる人間には誰にも分からない。歴史はそれ程までに繊細な物です。

うっかりと迂闊な事をすれば、それを後世どのように言われるか?それは戦争の時代を生きた人達にだけ当てはまる事ではなくて、その戦争の時代の事を批評または論評したり、「作品として描き出したりする人間」にも、等しく当てはまる事なのです。

この事は、思想の左右を問わず、我々も今一度自覚しておくべき事だと思います。


<“満州国”という舞台設定>
話は変わりますが、この作品が連載されていたのとほぼ同じ時期に、『龍-RON-』と同様「満州国」の事を取り上げたマンガ作品がありました。

安彦良和先生の『虹色のトロツキー』です。
虹色のトロツキーWiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%B9%E8%89%B2%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC

虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)
(2000/03)
安彦 良和

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まあこちらの作品は『龍-RON-』ほど長期連載をしていた訳でもありませんし、作品の時代背景も若干異なってはいます。
『龍-RON-』の時代背景は、基本的に昭和3年(1928年)から終戦まで。
『虹色のトロツキー』の時代背景は、概ねノモンハン事件の頃に絞られている。

ちなみに私は「歴史オタク」ではありますが、専門は「幕末・明治」が中心なので、近現代史、特に満州国についての事などはあまり詳しく調べたり、本を読んだりしている訳ではありません。ですから、ここで「満州国」についての歴史観うんぬんについて詳しく触れるつもりはありません。

『虹色のトロツキー』については、まあ以前、安彦良和先生の事を『王道の狗』という作品と絡めて批評した事もありますので、あらためてここで深く取り上げませんが、やはり「脚本・演出」をプロの人に任せたほうが良いのになあ、という「贅沢な希望」が残るぐらいのもので、それ以外はまあ、いかにも「安彦作品」といった内容ですね。
『王道の狗』とは違って、一応エンディングまでちゃんと物語を描けたのは良かったですね。

主人公は「日本人とモンゴル人のハーフ」という設定です。ちなみに『龍-RON-』の主人公、押小路龍も「日本人と中国人のハーフ」という設定です。龍も、後半は日本人としてのアイデンティティがかなり微妙な感じになりますが、『虹色のトロツキー』の主人公ウムボルトは、さすがに作者が安彦先生という事もあり、「更にその上を行く」感じですw


満州国と言えば、上記でも取り上げました森田信吾先生の『栄光なき天才たち』15巻「満鉄超特急あじあ」でも、満州国が物語の舞台になっていました。
(※ちなみにこれも1990年頃に描かれた作品なんだよなあ。困ったもんだ)
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「満鉄特急あじあ」についての描写は、さすがに『龍-RON-』も、『虹色のトロツキー』も、どちらもありますね。「満州国」ネタでは必須アイテムといった所でしょう。
(『龍-RON-』で「満鉄超特急あじあ」が出てきた場面)
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(『虹色のトロツキー』で「満鉄超特急あじあ」が出てきた場面)
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満州国と言えば、この人の事も避けては通れません。
石原莞爾です。

(『龍-RON-』で石原莞爾が登場する場面)
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(『虹色のトロツキー』で石原莞爾が登場する場面)
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(※『龍-RON-』の物語における石原莞爾の役回りはそれ程重要なものではありません。出番もあまり多くありません。しかし『虹色のトロツキー』での石原は、特に前半は、準主役級の扱いです)
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私は石原莞爾についてもそれ程詳しく知りません。ただ私の感覚としては、石原に対する世間の評価は毀誉褒貶があるといえども、石原をボロクソに言う人間はそれ程多いようには感じられません。

右の側が石原をボロクソに言う理由は多分あまりないと思うので、それはそれで良いとしても、では左の側はどうか?と言うと、サヨクも含む)の側も「ボロクソに言う」とまではいかない言説が多いように思われる。満州事変の首謀者であるにも係わらず。

それはなぜか?と言えば、石原は「シナに対しては非戦論者だった」、ただそれだけの事でしょう、と私は思っています。
「中国への配慮」が「左側にとっての暗黙のお約束」であるのは言うまでも無い事で、シナとは戦争をするな』と主張していた石原は、そういう面では「叩きにくい」という、ただそれだけの事ですよね。

なんせ『栄光なき天才たちの』「満鉄超特急あじあ」の回における石原の描写がその典型で、この話のおおまかな対立構造というのは、「邪悪な関東軍。その親玉の石原莞爾」対「か弱き満鉄の技術者達」という描き方で、
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このように石原をとことん邪悪な人間として描きながらも、ワンシーンだけ石原を善人っぽく描いているシーンがある。
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石原莞爾、この場面だけシリアス表情ですよ。分かりやすいですなあw


満州国絡みで言うと、もう一人だけ、甘粕正彦を取り上げなければなりません。

『龍-RON-』での甘粕は、物語の前半(日本編)から既に登場していますけれど、重要な役回りとなるのは後半(シナ大陸編)になってからですね。後半では満州映画協会の理事長として、また終盤では日本軍の上層部として、と言うよりむしろ、
「当時の満州における日本の立場を全て背負う存在」
として、ほとんど準主役級の扱いになります。
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ちなみに『虹色のトロツキー』でも甘粕は登場しています(上記のあじあ号の場面でも登場しています)。ただし『龍-RON-』での役回りとは大分違います。まあ前半はそこそこ出番は多いですが、軍の指導部を象徴するようなキャラクターと言いますと似たような存在として『虹色のトロツキー』では“辻政信”のほうが役回りとしては目立っていますので、甘粕の印象はあまり目立ちません。こちらは主題がノモンハン事件なので、そういう風になってしまうのでしょう。


私も満州国の事については非常に興味があります。そりゃまあ、これらのマンガ作品でこれだけ色々と満州国ネタに触れているのだから当たり前の事ですね。

しかしまあ、歴史を扱った活字本であれば優れた内容の本も色々とあるとは思うのですが、「ドラマ物」(マンガなども含む)という事になると、満州国をテーマにした作品で優れた内容の物を作るのはなかなか難しいんでしょうねえ。
まだまだ厳しい規制縛り『中国様に配慮しなさい』という規制縛り)でがんじがらめにされていますからねえ。NHKも自社の放送コードとして、『満州国』と言う時は必ず「日本の傀儡国家」満州国「定冠詞」を頭に付けますしねえw


この「中国配慮」という物が、私に言わせれば「要らざる中国配慮」または「過剰な中国配慮」としか言い様がないのですが、本当に「諸悪の根源」だと思っています。

シナの側が文句を言うのは勝手であり、自由である。
しかし我々には日本の歴史がある。
我々の先祖が夢見た「満州国」という歴史がある。
世界史的に見れば、別に恥じ入ったり後ろめたい想いをするような歴史だとも想わない。良い面もあれば悪い面もあった。それらを公平に評価しさえすれば、それで十分な歴史だと思う。



今回紹介しました『龍-RON-』というマンガは、上記で書きました通り、物語の当初はそういった「中国への配慮」「在日朝鮮人への配慮」的な雰囲気がかなり強く漂っていました。
連載を開始した時期が「まさにそういった風潮が始まった時代」(1990年頃)だったのだから仕方がない事です。

しかし物語のエンディングに関して言えば、もちろんこれはネタバレになってしまうので具体的な事は何も言えませんが、少なくとも「中国への配慮」はかなり薄くなっている事は確かです。まあエンディングの頃は、もう2006年頃でしたからね。
もしも作者に「過剰な中国配慮」があれば、あんなエンディングには絶対にできません。

ひょっとすると、連載当初のスタンスでこの物語が最後まで進められていれば、このマンガ作品はシナの国内でかなり高く評価されていたのではなかろうか?とさえ思います。いや、私はこの作品に対する実際のシナでの評判なんぞ、全く知らないんですけどね。

しかしまあ、少なくともあのエンディングでは、シナの国内で大っぴらに評価する事が出来なくなった事だけは確かだろう。


それにしても、本当に長い間連載を続けてくれたものだと思います。
読者(私)も、そして作者までもが「心境の変化」を促される程の、本当に長い時間をかけて頂きました。
今更ですが、『15年間、本当にお疲れ様でした』と言いたいと思います。


さて、次回はこの村上もとかシリーズの最終回、『JIN-仁-』です。

なんと言いますか、『JIN-仁-』では村上先生の「やる気まんまん」な雰囲気が明らかに感じられまして、『龍-RON-』の終盤の息切れ感とは全く正反対のように感じられるんですよねえ。

それって時期的にも、全く重なる時期のような気もするのですが…w


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村上もとか・第3回(終)『JIN-仁-』幕末の医学・蘭学をこんな風に描くとは

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村上もとかシリーズ・前々回記事 第1回『六三四の剣』
村上もとかシリーズ・前回記事  第2回『龍-RON-』
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(2001/04/04)
村上 もとか

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村上もとか・第1回『六三四の剣』の時にも書きましたが、私はTVドラマの『JIN-仁-』については、どのような内容なのか全く知りません。マンガオタクであり幕末オタクでもある私としては、特に知りたいと思った事もありませんし、これから先、観たり調べたりするつもりもありませんので(要するに関心がありませんので)、ここでは取り上げる事も全くありません。その辺りの事はあらかじめご了承頂きたいと思います。

私がこのマンガの事を最初に知ったのは平成18年(2006年)頃、単行本の5巻が出ていたくらいの頃だったと思います。私は青年誌では講談社系(モーニング等)、または小学館系(ビックコミック等)は昔から結構読んでいましたが、集英社系はなんとなく敬遠していましたので、『JIN-仁-』を週刊連載で読んだ事は一度もありません。全て「単行本の新刊待ち」という形で5巻以降ずっと読み続けていました。

なぜその頃にこのマンガを見つけたのか?と言いますと、当時私は幕末関連の本やマンガを片っ端から読み漁っていたからです。私が「幕末・歴史」趣味にハシリ出したのがちょうどその1、2年ぐらい前だったと思います。


<幕末と医学・蘭学の濃密な関係>
幕末の歴史を知ろうとすると、医学・蘭学にまつわる話や人物に度々出くわす事になります。なにしろ医学だけでも十分多くの歴史的事例及び人物が溢れているというのに、その上「蘭学」(ここで言う蘭学というのは「語学」という要素も含む)まで含めると黒船(癸丑・きちゅう)以来活発となった海外との交流及び交渉の上でも、絶対に欠かす事の出来ないジャンルであるだけに、医学・蘭学にまつわる歴史の話や人物は非常に多彩です。

「幕末の医学・蘭学」というものを広い意味で解釈するならば、「医学・化学・科学技術・言語学・外交交渉」等をも包括した「海外の最先端技術を吸収する事に関わる全ての要素」と言い換える事も出来ると思いますので、そういう意味では本当に幅広い要素を包括したジャンルという事になってしまいます。

そんな掴み所のないジャンルの事を、網羅的に書き示していこうと思ったらどれだけ時間や書くスペースがあっても足りるはずはありませんので、私が過去に読んだ事のある作品から『JIN-仁-』に関連のある作品をいくつか紹介して、『JIN-仁-』という作品の相対的な評価が出来れば、と思っています。


<『風雲児たち』作者:みなもと太郎>
これはまず、基本中の基本と言える作品でしょう。私自身が10数年前からこの作品を読んでいて、幕末の歴史にハマる一つのきっかけになりました事は過去記事で既に書きました。
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この表紙は、今連載している「幕末編」ではなくて、30年ぐらい前から連載していた「蘭学編」とでも言うべき18世紀後半頃の歴史を扱った物の表紙です。
表紙に描かれている人物は、上が「はんべんごろう」ことベニョフスキー。下が左から中川淳庵、杉田玄白、前野良沢、平賀源内です。
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『風雲児たち』自体は、幕末という時代をほとんど網羅的に描こうとしている野心的な作品であるが故に『作者の存命中に本当に完結できるのか?』というくらい「ライフワーク化」が著しく、幕末時代の主要な登場人物であるにも係わらず、なかなか作中に登場できないでいる人物も多い。

本来は主役だったはずの坂本龍馬もそうですけど、準主役の一人だった村田蔵六(後の大村益次郎である)も主要な登場人物の一人で、最近は(少なくとも単行本ベースでは)ほとんど出番がない。連載が始まってから30年も経っているのに「まだ万延元年(1860年)という遅筆ぶりで、近刊本では「桜田門外の変」や「遣米使節団」などの話を描いている所なので坂本龍馬も村田蔵六も全く出番がありません。

しかしながら村田蔵六に関して言えば、彼こそが「幕末の医学・蘭学」という分野においてはその代表的な存在と言える人物であり、『JIN-仁-』も含めて、これらの「幕末の医学・蘭学」に関係する作品では登場する機会は非常に多い。
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<『陽だまりの樹』作者:手塚治虫>
『陽だまりの樹』という作品も(『JIN-仁-』ほどではないと思いますが)幕末物のマンガとしてはそれなりにメジャーな作品だと思います。
なにしろ作者が「マンガの神様」ですし。

これもまあ、一応Wikiのリンクを貼っておきます。詳しい内容はそちらでどうぞ。
『陽だまりの樹』Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%A8%B9

村田蔵六はこの『陽だまりの樹』にも当然、登場しています。
ただし登場するのは最終版の彰義隊との上野戦争の場面のみで、名前も既に大村益次郎になっています。
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このマンガでは緒方洪庵の適塾が舞台となっている場面も多々ありますのに、蔵六が適塾にいた頃とは時期がずれているせいか分かりませんが、適塾の場面で蔵六が登場する事は全くなかったと思います。


ちなみにこの『陽だまりの樹』の主人公の一人である幕末の医師・手塚良仙が手塚先生の曽祖父であり、また手塚先生自身も医学に詳しいので、この作品は「描くべきして描かれた幕末マンガ」とでも言える作品です。
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まあ実際の内容は、もう一人の主人公である、若き武士(架空人物)伊武谷万二郎の物語にもかなり比重が置かれていますので、特別に医学の事ばかりを取り上げている、という訳でもありません。
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う~む、しかし。
これは手塚作品をいくつか読んだ事のある人にとっては説明するまでもない話でしょうけど、手塚先生は基本的に「ヒューマニズム」第一主義なのであって、「歴史」という観念的なモノはあまり好きではないんですよね。
しかも、ハッキリ言ってしまえば、良くも悪くも「左がかった思想」にかなり近い考え方の人ですし、歴史上の人物に対する見方というのは「かなり冷めた見方」という感じがこの作品からは見て取れます。

ですから私個人としましては、『陽だまりの樹』はあまり好きな作品とは言い難いです。正直な所。

『右だ、左だ』の話はともかくとして、作品に作者の思想をある程度持ち込む事、それ自体は、私は別に悪い事とは思いません。
ただ、私が過去のこの歴史カテゴリ記事で何度か書きましたように、一番大切なのは「作り手の歴史に対するコダワリ」なのであって、その「歴史に対するコダワリ」が「変なコダワリもしくはネガティブなコダワリ」である手塚先生の歴史マンガは、私はあまり好きになれません。
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その一方で、『JIN-仁-』について言えば、村上先生の「歴史」に対する、いや少なくとも「歴史として、過去を生きた人々」に対する視線という事で言えば、村上先生の「優しいまなざし」を十分に作品の中から感じ取る事が出来ます。

そして更に、これこそがかなり重要な要素であるのですが、「歴史考証」という面から見ても、『JIN-仁-』では歴史考証の専門家が何人も携わっているので、そういった面での不満や疑問もあまりありません。『陽だまりの樹』とは違って。

前回の記事で書きました『龍-RON-』という作品では、ある意味「村上先生の歴史観」がかなり主張されていて、しかも歴史考証的にもかなり苦労されているように感じられました。

しかし『JIN-仁-』では、「村上先生の歴史観」といった「肩肘を張った主張」はそれほど打ち出されておらず、純粋に「人間ドラマ」として面白く、かつ読みやすい内容になっていて、それが多くの読者に受け容れられる結果(=ヒット作)に繋がったのだと思います。



<司馬遼太郎の『胡蝶の夢』>
これはマンガ作品ではありません。小説です。しかも司馬さんの幕末作品としては(かなり後期の作品であるにも係わらず)珍しくドラマ化もされていないようです。

そもそもこの「歴史、ドラマ、小説、漫画、アニメ」カテゴリ(※後日「マンガ、アニメ」のみカテゴリより分離)の一番最初に書いた記事がNHKドラマ「坂の上の雲」に関する記事だったのですが、私の司馬作品に対する想いなどについては、その頃の記事で何度か書きました。

司馬遼太郎の信者であるかどうかはともかく、10数年前、まだ幕末の歴史についてあまり詳しくなかった私にとって、「幕末初心者の為の階梯(ハシゴ)として司馬作品が大きな役割を果たした事は間違いのない事実です。NHKの大河ドラマにもなった「花神」村田蔵六が主人公として描かれている作品)はもちろんの事、その他の司馬作品(幕末・明治限定)もおそらくほとんど読んでいると思います。

この『胡蝶の夢』という小説は、まさに「幕末の医学・蘭学」といった分野を主題にして描かれた作品です。
『胡蝶の夢』Wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

(以下、Wikiの概要より抜粋)
徳川幕府の倒壊と15代将軍慶喜の苦悩、また戊辰戦争での軍医としての松本良順、順天堂出身の関寛斎の姿があざやかに描き出される。その一方で、記憶力と語学習得力は抜群ながら、人間関係の構築のまずさで不利を被っている島倉伊之助(後の司馬凌海)の姿が、この両者とは違った形で描かれている。幕末から明治維新の時期を政治でなく、医療の目から、またその医療を通しての身分制度批判という観点から見た作品である。(以下略)


「幕末の医学・蘭学」といった分野について、この作品が後世に与えた影響は(上記のマンガ作品も含めて)それなりに大きかったのではないでしょうか?と私などは考えているのですが、大河ドラマになっていないせいもあってか、この作品の知名度はあまり高くないように感じられます。

私個人としては『JIN-仁-』を読むに当たって、事前に『胡蝶の夢』を読んでいたので、『JIN-仁-』の面白さを存分に味わう事が出来たと思っています。まあ司馬さんの小説という事もあって多少古くさい学説や歴史観が混ざっていると感じられるのかも知れませんが、基本的な部分については、この『胡蝶の夢』は幕末の歴史に興味を持つのに十分役に立つ小説だと思います。

特に佐藤泰然の一族、それは『胡蝶の夢』の主人公の一人でもあり『JIN-仁-』でも度々登場している松本良順、そしてその実父でもある佐藤泰然を中心とした一族、
佐藤舜海(尚中)・松本良順・林董・林洞海・林研海・榎本武揚・赤松則良、
この辺りの複雑な血縁関係を理解するのにも結構役に立ちました。
<『JIN-仁-』16巻38Pより>
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<『風雲児たち幕末編』13巻45Pより>
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また、池田遣仏使節団にも加わった三宅秀(三宅艮斎の長男)や山内六三郎などもこの一族と関係があり、作中、時々名前が出て来ます。
ちなみに池田遣仏使節団に関しては、鈴木明先生の『維新前夜』という作品に詳しく紹介されています(鈴木明先生は『「南京大虐殺」のまぼろし』の著者でもありますね)。
維新前夜―スフィンクスと34人のサムライ (小学館ライブラリー)

「蘭学」(ここで言う蘭学というのは「語学」という要素も含む)と先に書いた通り、幕末の日本と外国との交渉を考察するに当たって「語学」、いやもっと端的に言えば、
「通訳」という存在、
これは本当に大きな役割を担っていたと私は考えています。

私がかつて、英国人アーネスト・サトウについて詳しく調べていた事は、過去の記事で何度か書きました。サトウは幕末の日本で一番日本語に精通していた外国人通訳でした。

『胡蝶の夢』という小説は、基本的には「幕末の医学・蘭学」をテーマにした作品ではあるのですが、この小説の主人公の一人であり、この小説を楽しく読む為には欠かせないキャラクターでもある伊之助(島倉伊之助。後の司馬凌海)という人物も、幕末の日本で一番外国語を操る能力を持っていた日本人でした。

しかしまあ、司馬さんの描く伊之助(司馬凌海)は人格的にはデタラメなキャラクター設定になっているので、本物の司馬凌海という人物がどんな人物だったのかは知る由もありませんが、少なくとも歴史の本道に関わったりする事はほとんどありません。
そういった点では、サトウとは随分と違いが見受けられますね。

歴史の本で司馬凌海の名前を目にする事もほとんどありません。しかし『胡蝶の夢』の参考文献の一つである石黒忠悳『懐旧九十年』に少し名前が出て来ます。この『懐旧九十年』も幕末・明治の医療制度の事を知るにはかなり有益な本です。この本の中で司馬凌海の事を紹介している場面がありますので、以下に抜粋しておきます。
懐旧九十年 (岩波文庫 青 161-1)

(岩波文庫本の198Pより以下に抜粋)
この司馬氏は、治療の方はそれほどでないが、語学にかけては古今独歩の天才で、蘭語・英語は勿論、独語・仏語・露語にも通じ、それに漢文はお手のもの、和文も出来る。実に驚嘆に値する人です。(中略)
元来いろいろのことで金儲けを工夫するので金が沢山入るが、それは皆女に散らし、幾らあってもたまらないことは、友人の皆知るところでありました。(中略)
氏は佐渡の人で、十三、四歳の頃江戸に出て、旧幕府の典医で麹町の三軒家におられた松本良甫翁の許に書生に入りました。松本順先生は良甫翁の養子で、その頃は良順と称し、いわゆる若先生であって、司馬氏はそのお相手格でした。この若書生司馬は、学問にかけては神童と言われた才物でしたが、悪戯にかけても無上の達者で皆から嫌われたが、ただ若先生のみが、見るところあって、これを庇っていたそうです。(以下略)


司馬凌海の名前は、アーネスト・サトウの日記が紹介されている『遠い崖』の5巻でも見かけました(私の記憶では多分、この一場面だけだと思われます)。
遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄〈5〉外国交際
慶応三年七月六日(1867年8月5日)、サトウが上司の駐日英国公使パークス、更には同僚のミットフォードらと一緒に日本海に面する港の調査に出かけた際、当時、長崎のポンペや松本良順の元を去って地元の佐渡に帰っていた司馬凌海と(お互いに通訳として)サトウは佐渡で出会っています。
ただしサトウの日記では『彼らはオランダ語を少し知っている』としか書いていないようなので、特に司馬凌海の語学力に言及している訳でもないのですけど。

司馬凌海は、その後、戊辰戦争時に横浜で負傷兵を治療していた英国人医師ウィリアム・ウィリスの通訳などもしていたらしいので(少なくとも『胡蝶の夢』の作品内では)、その頃にはウィリスの親友であるサトウとも何度も会っていると推測は出来るのですが、その辺りの史料や文献は私もちょっと曖昧になっていて、よく憶えていません。

ウィリアム・ウィリスに関しては、『八重の桜』について書いた時に、ウィリスの会津における会津戦争の戦傷者治療および現地視察の描写があるかどうか?等で、少し触れました。
まあ実際そんな描写は全く無かったんですけどね。あの『八重の桜』のストーリー展開では当然と言えば当然の結果ですね。

しかし意外な事に、ウィリスは『JIN-仁-』の中で登場している場面があります。
おそらくウィリアム・ウィリスがマンガ作品に登場している唯一の場面なのではないでしょうか?この場面は(少なくとも私の知る限りでは)。
(2巻。南方仁が横浜でウィリス及びヘボンと出会う場面)
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(同2巻。生麦事件の直後、外国人水兵が日本人に斬られて、仁が手術をする場面)
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この辺りの時代背景の描写は、さすが歴史監修及び医史監修の担当者が就いているだけあって、しっかりと描かれているように感じられます。
まあ私の偏った印象からすると、ウィリスのキャラクターはこんな「紳士的なキャラ」ではなくて、もっと「豪快なキャラ」としてイメージしてましたけどw


<奥医師・医学館の描写>
蘭方と漢方(=本道=医学館)との対立描写というものも、「幕末の医学・蘭学」を取り扱った作品では必ず描かれる定番の設定です。

司馬遼太郎『胡蝶の夢』と手塚治虫『陽だまりの樹』では、漢方(=本道=医学館)は、その頂点に立つ「多紀某」がまるで権威主義の権化であるかのように描かれていて、かなり悪し様な扱いを受けています。
(ちなみに「多紀」は『胡蝶の夢』では多紀楽真院。『陽だまりの樹』では多紀誠斎。 『JIN-仁-』では多紀元エン(エンは王へんに火が二つ)とネーミングされている)

(『陽だまりの樹』で多紀誠斎が登場する場面)
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(『JIN-仁-』の多紀元エン)
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この辺りの事は、私もあまり史料や文献などを調べた事がないので、実際の所はどうだったのか?よく分かりません。

『JIN-仁-』でも多紀が登場した最初の頃は、なんとなく従来通りのイメージでキャラクター設定がなされているような感じでしたが、物語の途中からは少しずつ変わっていきましたよね。それはそれで、意外性もあり、また夢もあって面白い演出と言えるのではないでしょうか?と個人的には思っています。


<幕末ドラマと方言>
第1回目の『六三四の剣』の記事「村上もとか作品と方言」について、詳しくはこの『JIN-仁-』の記事で触れる事にします、などと書きましたが、この『JIN-仁-』の記事も長くなり過ぎましてあまり多くは触れられなくなりましたw

NHKの大河ドラマ、特に幕末モノなどで顕著ですが、薩摩土佐の人物が喋る場合は方言を使用する事が多いですよね(但し『篤姫』『龍馬伝』は、それ程でもなかった記憶がありますけどw)。
『JIN-仁-』の中でも、薩摩言葉(西郷)と土佐言葉(龍馬)にはかなりこだわって、あと廓言葉(野風の「ありんす言葉」)にもかなりこだわって、セリフ作りがなされていますね。

まあ、せめて幕末モノのドラマぐらいは、(現在ではもう、かなり衰退してしまっているのでしょうが)お国言葉で喋ってもらいたいものですよね。最近のNHKの時代劇では「時代劇調」の喋りさえも無くなって、ほとんど「現代調」で喋ってる時代劇も珍しくないようですが、情けない限りです。

ちなみに「方言に関するコダワリ」で言いますと、上記で挙げたみなもと太郎先生の『風雲児たち』が、終始一貫して様々な地域の方言を取り扱っています。
もちろんギャグとしても、ですがw

(薩摩弁)
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(大塩平八郎の大阪弁)
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(以下、土佐、長崎、水沢、京都などでの方言による会話場面)
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なんにしても、『よく調べているなあ』と、いつも感心させられます。みなもと先生も、村上先生も。



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全体的な感想として、『JIN-仁-』は良い作品だと思います。
私が受容できる歴史観からそれほど逸脱したものでもなく、人物描写も相変わらず村上先生らしいよく練られたものです。また万人が楽しめる歴史マンガであり、「タイムスリップ物という多少色モノ的な設定」ではあるものの、しっかりと最後まで(しかも人気につられて無駄に連載を長引かせる、という愚を犯さず)描ききった力作である、と言えると思います。

しかしまあ、幕末オタクである私なども含めて、「幕末に妙なコダワリ」を持っている人間だったら、『やはりあの人物も登場させたい!この人物も登場させたい!従来とは違う斬新な歴史解釈の見方もある!』などと余談蛇足だらけになって、こうまでスッキリと読みやすい「幕末ドラマ」には仕上げられなかっただろうなあ~、というのが率直な所です(その余談や蛇足だらけの物語作りを、今、現在進行形で実践しているのがみなもと太郎先生の『風雲児たち』なんですけどねw)。

見せ方(魅せ方、演出)と人物描写が如何に重要であるか?そのお手本とも言えるような作品である、と思います。この『JIN-仁-』という作品は。



以上、三回に渡って書いてきました「村上もとかシリーズ」も、これにて終了と致します。
個人的な趣味の世界に長々とお付き合い頂きまして、ありがとうございました。


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三橋貴明が告訴した、例の倉山満の本を買って読んでみた

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例の倉山本を買って読みました。

増税と政局・暗闘50年史 (イースト新書)増税と政局・暗闘50年史 (イースト新書)
(2014/04/10)
倉山満

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数日前に三橋貴明がブログで、この倉山本に対する名誉毀損の訴訟をする旨、発表していたので、この経緯は詳しく記しません。ただ、事の流れとして、これはその更に数日前ぐらいに倉山満のサイト「倉山満の砦」で、倉山が三橋に対して「出典の説明」を要求していた事と(多分、三橋はその要求をスルーしたものと思われるが)多少関係はしているのだろう。

この「倉山と三橋のケンカ」についてはネット上でいろいろと語られている。倉山の庭である「倉山満の砦」で一番盛んに語られているのは当たり前の話としても、それ以外の所で時々散見されるコメントを読んでもよく分からない部分もあるので、とりあえずこの本の中身を確認する為に読んでみた。

読む前からある程度予想はしていたのだが、やはりこれは田中・上念=リフレ派の鉄砲玉である倉山と、西部グループ=積極財政派公共事業重視派)の鉄砲玉である三橋、この両者によるケンカである事は間違いなかった。

そして、これは以前から倉山が繰り返し言っていた話だが、
とにかく麻生太郎が悪い(消費増税については特に)
という結論に繋げて、『あいつも悪い』『あいつもスパイだ』みたいな形で芋づる式に片っ端から実名でバッシングしていく、といった内容だった。少なくともこの本の第一部については。
(後半の第二部については、「倉山と三橋のケンカ」にしか興味のない人間にとっては蛇足とも言える内容なので、一番最後の方に書かれている「麻生太郎は国賊です」の章あたり以外は、飛ばして読んでも良いだろう)



なんともはや、既に『かなり懐かしい』という旧聞に属する話になるが、倉山の「消費増税阻止」戦役での敗北は、本当に「恨み骨髄に徹す」といった所なのだろう。

昨年の消費増税騒ぎについては、当時このブログでも何回か取り上げた。私自身の政治的スタンスは、今もその当時と大して変わっていない。それは倉山(=リフレ派)に対しても、三橋(=積極財政・公共事業重視派)に対しても同様である。
(以下、昨年の消費増税騒ぎの頃に私が書いた記事のリンク)
NHKの消費税討論番組は予想通りのくだらない八百長プロレスだった(2013/09/16)
経済政策的にはどっちでも良いが、政治的には延期が正解(2013/09/17)
消費税増税の政局が面白くなってきた(2013/09/25)
倉山氏の予想通り、増税決定後のNHKの掌返しが凄まじい(2013/10/01)
昨夜の消費増税Nスペを見ました(2013/10/06)
消費増税問題についての追伸(2013/10/08)


まず、倉山満について、今回の本の書評も含めて、以下に記す。

今回の本はあまりにも一面的な見方の論評が強すぎる。ちなみに私が読んだ倉山の本は「検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む」「誰が殺した? 日本国憲法」だけだが、本来の倉山の得意分野である歴史関連の本、例えば「嘘だらけの~」は何一つとして読んだ事がない。私は一面的な(特に穿った見方の)歴史観が嫌いだからという事もあるのだろう。もちろん「参考程度」という事で、いずれ目を通す事はあるのかも知れないが。ちなみに、私は三橋貴明の本は読んだ事も買った事も一度もない

「麻生憎し」が先走っているが故に、水島社長や青山繁晴さんまでも「麻生のスパイ」、とまでは行かないまでも、「麻生の息がかかったが故の消費増税容認派」といった感じでバッシングしているのは、明らかにやり過ぎである(※ただし西部グループ及び三橋に対する見方については、特に異を唱えるつもりはない。なぜなら私も昨年の時点で、同様の論評をこのブログで書いている)。
●水島社長はスパイが出来る程、利口な人間ではない。倉山流に言えば明らかに「バカとスパイ9対1」の9の方である。水島社長はあの当時、確かちょうど「麻生ナチス発言」があった直前の頃に、安倍政権を潰しに走った「麻生陰謀説」(直後に、その発言は立ち消えになったが)を桜で言及していたはずである。

(以下、当時=昨年の7月末に書いた私の記事より抜粋)
久々に西部グループ、三橋貴明、水島社長批判(2013/07/28)

そして今回は「麻生批判」である。

増税容認派とも取れるような発言をしている麻生さんを批判する事は、一見正しいと思われるかも知れない。しかし今の段階で「麻生太郎の政権簒奪計画」みたいな陰謀論をぶち上げて、社長自身が心酔している安倍総理にとって、それがメリットになるのだろうか?

というか安倍・麻生コンビの自民党政権を支援してきた多くの若者にとって、そのような陰謀論が受け容れられるとでも思っているのだろうか?

事実は今の段階では、当の本人以外、誰にも分からない。(以下略)

この私の論評は「水島社長に対して」書かれたものである。だから水島社長がスパイであるはずがない。あり得る話としては、三橋もしくは西部グループあたりから耳打ちされて、その言を容れて、社長自身も発言を改めて、更には「倉山に対しても、そのように言った」のではなかろうか?木下某が直接水島社長に圧力を加えたとは到底思えない。
青山繁晴さんを誹謗中傷したり、煽ったりするのは論外である。倉山のように極論ばかりを放言する「鉄砲玉」とは違って、青山さんは世間一般の人々に受け容れられる「客観中立、現実」論を重視する人間である。物事のある一面だけを切り取って『オレの言っているこの論評だけが真実なのだ!』と喚いて、「当たり屋商売」を仕掛けてくるような連中を相手にしている暇は、青山さんには無い。

●昨年の消費増税騒ぎの際、倉山の側に立たなかった人間はことごとく「麻生のスパイ」「裏切りもの」のようにバッシングされている。櫻井よしこさんは、元々倉山が「当たり屋商売」を仕掛けていた相手なので当然の事としても、高橋洋一までも「スパイ」と断定されていた。「鉄砲玉」である倉山自身はともかくとして、親玉である上念司的には、その「スパイ」発言は許される行為なのか?
●上記に関連して、中山成彬・恭子夫妻については、夫妻が倉山の側(=消費増税反対の側)につかなかったのは元々「大蔵一家」の一員だったのだから仕方がない、と宥恕しているが、その判断基準はあまりにも恣意的な要素が強すぎるのではないか?

●倉山的には、とにかく「消費増税が諸悪の根源」らしい。このように書けば、もちろん『タイミングの問題なんだ。デフレの状況下でやるのが問題なんだ。バブルの時だったら消費増税しても良い』と言い返すだろう。しかし一方で倉山は『例外として、軍備増強の為なら消費税を25%にしても良い』と言っている。今回の倉山本の内容では、とにかく「消費増税が諸悪の根源」と訴えているのに、この「例外」はおかしいではないか?そもそも上念・倉山の理屈は『何が何でも景気回復最優先。戦後レジューム脱却も憲法も、そんなものは後回し』だったはずだ。であるならば、仮に「例外」であるとしても、『消費税25%』などと口が裂けても言えないはずである。倉山は、我が国が軍備拡張に財源を回すのは「バブル時代が再度到来して、消費増税を出来る時」が来るまで待つつもりなのか?倉山の「軍備増強は例外説」からすれば、安倍政権が今後少しずつ軍備予算を拡張していくのであれば、今回の消費増税も少しは意味があったと言えるのではないか?
※追記。これはP236の記述について書いたものだが、多少私の勘違いもあったようだ。倉山はこの件については、「北朝鮮拉致被害者全員の奪還のためなら」という条件を付けていた。その為なら「すぐにでも25%にして欲しい」と。しかしどのみち、国民の価値観を180度転換させない限り実現不可能な話で、残念ながらあまりにも「非現実的な例え」とは言えるだろう)

「ユダヤ陰謀論」ほどのトンデモ本ではないにしても、「麻生・木下陰謀論」はあまりにも一面的な物の見方と言わざるを得ない。確かにそういった側面も一部はあるのかも知れないが、「その結論」から何でもかんでも理屈を導き出す、というのは無理がある。私自身が『経済現象はあまりにも複雑な要素を抱えているので、一面だけでは判断できない』と何度か書いた。この本の内容は、田中・上念=リフレ派の理論を信奉している人間以外には、おそらくほとんど受け入れられる事はないだろう。


以下、同じく三橋貴明について。
●「倉山満の砦」でも散々言われている事だが、「言論人」として、自分の言論ではなくて「プロの弁護士」に頼って、論敵を金銭的または社会的に抹殺するようなやり方は、恥ずかしい限りである。まあ「鉄砲玉」同士のケンカなので、『プロレスをやろう』と言ってきた相手(=倉山)に対して、本当に鉄砲を向けて発射する奴(=プロを雇った三橋)が出て来てもおかしくない状況であるのは確かだけどw

●そもそも私自身が三橋について、これまでこのブログでかなり酷評してきた。また西部グループについても、三橋ほどではないにしても、そのマイナス面を度々指摘してきた。
(※ちなみにこの私のブログの中にも 反米思想、反TPP、西部邁 というカテゴリがある)

●(三橋も含む)西部グループと「共産党」との関連性については、私は過去にそれほど指摘した事はない。「西部さんの共産党に対する甘さ」を指摘した事はあるけれども。しかし言われてみれば、確かに「共産党」との関連性で見てみるといろいろと思い当たるフシはあるなあ~、と最近感じている。
「過去の西部さん自身の共産党との関わり」「西田昌司議員も共産党系議員と仲が良い。また、京都=共産党が強い地域が地盤でもある」「藤井聡も京都大学の教授」など。
●また上記(共産党)と関連して、なぜか西部グループのみが、いわゆる保守系と言われる言論界の内で大メディア、特にNHKに何度か出演経験がある。私もこのブログで指摘した事があるが、中野剛志は「視点・論点」に、藤井聡は「日曜討論」に、柴山桂太は「日本新生」TPP討論に出演していた。それと最近気がついたのだが、施光恒が(あの左寄りで有名な)Eテレ(旧NHK教育)チャンネルの、「いま、ここから考える ジレンマ」に出演している。また、中島岳志もNHKに取り上げられた事があったように思う。あとオマケとして、Nスペ「日本国債」では三橋の本が(一瞬だけだが)紹介されていた。
●先般の都知事選において、私や倉山満は「田母神さんの出馬による、宇都宮・共産党勢力の漁夫の利」を選挙当初から懸念していた。そう言えば確か、田母神さんの出馬を後押ししていたのは三橋や西部グループだったよなあ…。

●西部グループには「あらかじめ定められた既定のスタンス」というものがある。「反米」は今更言うまでもない。経済面では基本的に積極財政派・公共事業重視派で、消費税については昨年の消費増税騒ぎの頃を境にして複雑に変化しているが(それが偽装だったかどうかはともかくとして)、とりあえず今の所は「消費増税容認派」と言える。昨年も書いた話だが、そもそも「大きな政府主義者」なのだから「増税容認」は当たり前の事である。そして問題は「原発・核兵器」である。西部先生は「原発・核兵器」共に容認論者で、三橋も「原発」は容認派である。私からすれば、この「原発・核兵器」の部分で西部グループを評価する気持ちも多少はあったのだが、多分これは「ガス抜き」だったのだろう。いやはや、見事な「戦略的なスタンス取り」である。

●いわゆる保守系内のドタバタ劇は今に始まった訳でもなく、過去に散々見せつけられてきた光景である。しかし西部グループの「身の処し方」は、その中では際立って「洗練された身の処し方」で、およそ「いわゆる保守系言論人」らしからぬ異質な物として私の目に映っていたが、そこにはやはり左・サヨクの影響が少なからずあるのだろう、と最近感じ始めている。TPP騒ぎの頃ネット工作員達がやたらと三橋・西部グループを推していたのも、それはネット工作員達の側にだけ原因があるのではない、と最近になってやっと分かってきた。

麻生太郎のシンパである三橋が、早く消費税を10%にしたいと思っている麻生財務大臣の立場上、安倍総理大臣をバッシングし続けるのは、当たり前の話である。撹乱工作としても、糾弾の鉾先を麻生に向けさせないためにも有効な戦術なのだから。これはもはや経済理論や国家観がどうのこうのと言う以前の話である。

私自身が消費増税に反対、と言うか「1年延期」を主張していたのは、「原発未稼働の負担が重いから」という理由で、その事は昨年、繰り返し書いた。今回の倉山本では、そんな事は微塵も触れず、また、倉山の「小泉の反原発運動への介入」に対する見方も、相変わらず甘い。 と言うか、倉山は原発関連の話題に全く関わろうとしない、という面から言えば、なぜ消費増税についてだけ、このようにキチガイじみた騒ぎ方をするのか理解に苦しむ。

そうは言っても、原発未稼働の現状で「消費税率10%」を目指している麻生太郎を野放しに出来ない、という事情は理解できる。

まあ確かに、結果だけ見てみれば、我々の麻生太郎に対するこれまでの見方は多少甘かったのかも知れない。

しかし、安倍総理も麻生太郎も人の子である。完璧な人間のはずはない。日本の舵取りを誤る場合、それが意図的なもの(=スパイ)なのか?単なる間違い(=バカ)なのか?

現時点で消費税10%を目指している麻生太郎は、どっちなのだろう?


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NHKの番組における左翼・サヨク識者の出演傾向 その1

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もう半月ぐらい前の話になりますが、Ch桜でお馴染みの小山和伸氏が書いた、例のNHK批判本を読みました。

これでも公共放送かNHK!―君たちに受信料徴収の資格などないこれでも公共放送かNHK!―君たちに受信料徴収の資格などない
(2014/03)
小山 和伸

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内容は、まあ、それなりに充実しているように感じられました。
「NHK批判」という事にかけては、私もここ数年、それなりのコダワリを持ってネットで声を上げ続けてきましたので、他者が行う「NHK批判」に対してはどうしても厳しい目で評価してしまう傾向にあります。以前このブログで評価した「激論ムック」「言志」「別冊正論」の時は、やや辛めの点数をつけてしまいました。

今回のこの小山氏の本については、やはり故中村粲先生「昭和史研究所(NHK報道を考へる会)の系譜を受け継いでいるだけあって、私的には「NHK批判の正攻法」のように感じられます。そもそも、私がかつて2chでNHK批判スレッドを立てていた時に、テンプレとして使わせてもらっていた「基本的なNHK批判の理論」中村粲先生の理論だったのですから、方向性に違和感を感じないのは当然の事と言えるでしょう。

ただ、少しだけ不満を付け加えるならば、まず「文字が多すぎる」。と言うか、イラストや写真、またはグラフなどのビジュアルに訴える要素が少なすぎるという事。また、それに関連して、「NHK批判」または左翼・サヨク批判のロジックが、一般読者や保守初心者にとってはややレベルの高い内容になっているので、ある程度の年数を経てきている保守系読者には読み応えのある内容と言えるが、一般読者の間口を拡げる形としては少し難しいだろう。

これは小山氏が学者であって、言論や出版を専業にしている訳ではないから仕方がない、という面もある。まあ、私のこれまでの経験からしても、ノンポリの一般人にいきなり「NHKの害悪」を実感させるのは、実はかなり難しい、という事情もあるので、保守系の中級者以上の人を対象にするやり方というのは、これはこれで悪くないのかも知れない。



さて、それでは今回のタイトルに書かれている
「NHKの番組における左翼・サヨク識者の出演傾向」
の話に移りましょう。

先程、中村粲先生の話をした際にも、かつての2chNHKスレッドの事に触れましたが、当時使っていたテンプレの中に「NHK御用達の左翼・サヨク識者の紹介」というテンプレもありまして、それを再度ここに掲載します。このテンプレを使っていた時期は大体2010年頃ですね。

34 1 2010/06/13(日) 10:15:01 ID:pDd+JEyz
あとNHKの自称討論番組「日本の、これから」は全部ゴミ。ヤラセの温床。スタジオ参加の市民はほとんどプロ市民だらけ。>>11で前述の「撃論ムック・反日マスコミの真実 2010」本の中のP110
「その顔にピンときたらプロ市民」の章と、あと下記のブログにも詳しく紹介してある。
http://blog.goo.ne.jp/geogiegeogie/e/d98cf60f3bfef8e64a00c5ed7d05c2bf
ゲストの識者も全部NHK御用達のサヨク識者ばかり。
>>9で前述の【討論!】伏魔殿NHKを暴く! Part2 の動画で潮匡人氏が「NHKに絶対に呼ばれない(保守系)識者について」いろいろと指摘している。
ちなみに個人的なNHKウォッチで、ここ数年NHKによく使われる識者は以下の通り
姜尚中・半藤一利・保阪正康・立花隆・宮台真司(以上は潮匡人氏の書籍「日本を惑わすリベラル教徒
たち」と重複)。他に寺島実郎・金子勝・李鐘元・梁石日・雨宮処凛・湯浅誠・勝間和代・山口二郎・御厨貴・斎藤貴男・伊豆見元・田中均・内橋克人・吉岡忍、etc。あと朱建栄その他中国人や谷村新司も。
Ch桜関係の識者は絶対に呼ばれない。これらのサヨク識者が番組に呼ばれる傾向は「日本の、これから」「クロ現」ETV、更にはBSの討論番組もしくはトーク集会系の番組などで顕著に見られる。



実は先程紹介した小山氏のNHK批判本の冒頭で、以下のような記述があります。

(以下、一部抜粋引用)
本書では、NHKの報道内容に関する限り、心情的な議論を極力排除するよう心がけている。番組の評価に当たっても、印象や感想の類をできる限り回避し、少なくとも独善的な判断に偏らないように注意している。印象や感想は、思想・信条によって異なるから、それだけに説得力に限界が生じやすい。そうではなくて、NHKがいかに事実に反する報道をしてきたか、あるいはいかに偏った報道をしてきたかを、本書では具体的な事例を挙げて論じてゆきたいと考えている。(以下略。下線は私が編集して引いたもの)


私の上記の2chテンプレでは、「私の個人的な感覚としての」NHKによく出演する左翼・サヨク識者を紹介していました。

では実際、具体的な数字はどうなのか?私、ちょっとネットで実数を調べてみました。まあ、結構なボリュームのあるデータになってしまいましたので、今回の一回だけでは紹介しきれません。

少なくとも、私が当時指摘していた識者一覧とそれ程大差の無い結果になりましたが、さすがにここ数年の出演傾向は、2010年頃と比べるとやや変化も見受けられました。

最初に言っておきますが、ハッキリ言って『かなり偏った人選結果』だと私は思います。


私が調べたNHKの番組は、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」「週刊ニュース深読み」
他に様々な討論番組、特に「日本の、これから」「日本新生」はほぼ全て人選がハッキリしていますが、他にも正月や放送記念日に放送された討論番組など、ネットで調べられる討論番組については大体調べました。
対象期間としては「2005年頃から」としています(※ただし古い情報は残っていないものも多く、全てを網羅している訳ではありません)。

また、これらの番組のみをもって「NHK全体の番組出演傾向」を確定する事は出来ません。
確かにこれだけでも大体の傾向は確認出来ますが、実は目立たない所でも「彼ら」は頻繁に顔を出してきてますので、そこまで完璧に調べる事は出来ません。

例えばEテレ(旧NHK教育)、NHKラジオなど、ここら辺の番組は特に「彼ら」の巣窟なのですが、さすがにそこまで細かくは調べられません。

他に「ニュースウォッチ9」「おはよう日本」などのニュース番組におけるゲスト出演や映像・インタビュー出演、「視点・論点」「日曜討論」、また「特報首都圏」など各地域の番組、更には「NHKアーカイブス」のゲスト出演。あとBSでは特集番組、海外関連の番組、歴史番組などでもかなり頻繁に「彼ら」は出演していますが、それらの番組についても調べてありません。

こういった番組は、個別の識者について論評する際に、もし該当するものがあれば紹介しようと思います。


それでは総論としての大体の傾向を、先に紹介しておきます。
NHKの番組における左翼・サヨク識者の出演傾向(回数) 2005~2014年版>
(※上記で調査対象として挙げた「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」「週刊ニュース深読み」、および他の討論番組などに出演した人物の内、基本的に学者識者コメンテーターのみを抽出。芸人・タレント・スポーツ枠はここでは除外)

内橋克人 14回
金子 勝  13回
荻原博子 11回
山口義行 11回
藻谷浩介 11回
宇野常寛 10回
古市憲寿 10回
宮本太郎  9回

(8回)江川紹子、小出五郎、増田寛也、田中均、澤昭裕、李鍾元
(7回)萱野稔人、山口二郎、糸井重里、柳田邦男
(6回)安部誠治、伊藤隆敏、奥谷禮子、興梠一郎、斎藤貴男、小此木政夫、津田大介、田坂広志、渡部潤一、湯浅誠、飯田哲也、木谷明
(5回)岡田克也、岡本行夫、吉岡忍、宮本みち子、原田曜平、香山リカ、寺島実郎、柴田明夫、新田國夫、水野和夫、清家篤、川渕孝一、中山俊宏、田中浩一郎、畑村洋太郎、八代尚宏、飯田泰之、浜矩子、片山善博、友添秀則、立花隆、遙洋子

ちなみに姜尚中半藤一利は(4回)にランク付けされています。ただし、半藤一利は他の歴史関係の番組でかなり出演しています。また姜尚中についても、歴史番組はもちろんの事、かつては「日曜美術館」の司会も務めてますし、それ以外にも様々なNHKの番組に顔を出してきています。たまたま今回の調査条件では下位になっただけの事で、NHKオンラインのサイトで"姜尚中"の名前を入力して検索すれば、抽出される番組件数は内橋克人山田洋次立花隆天野祐吉らと並んでトップクラスの多さです。

藻谷浩介宇野常寛古市憲寿あたりはここ2、3年で急上昇してきたニューカマーの「NHK御用学者」と言えるでしょう。ただ私は、今は以前程細かくNHKウォッチングをしていませんので、実は彼らの出演している場面をあまり見かけた事はないんですけどね。

平日放送の「クローズアップ現代」は放送回数の絶対数が多く、この番組によって出演回数が多くなっている人物も何人かいます(山口義行、宮本太郎、小出五郎、柳田邦男など)。

ただし、放送回数の絶対数が多いとは言っても、扱っているジャンルが<医療、社会・科学、高齢者・福祉、事件・事故、スポーツ、国際情勢、金融・経済、IT、その他>と非常に多岐にわたっていますので、普通はそれ程重複して番組に呼ばれるケースは多くないはずです。
山口義行は経済・ビジネス・金融関連、小出五郎(元NHK職員)は科学関連の話題でクロ現に呼ばれるケースが多く、あまりイデオロギー色は感じないと思います。

宮本太郎は、私はよく知らなかったんですが、調べてみると共産党の「あの宮本顕治」の息子だったんですね。ビックリしました。柳田邦男福島原発の事故調査・検証委員会のメンバーで、この人も元NHK職員ですね。

ちなみに櫻井よしこさんは3回。青山繁晴さんや潮匡人氏などは1回も出た経験はないようです。



詳しい解説は次回以降に回す事にしますが、この総論だけ見ても、
『公共放送としては、どう考えても左翼・サヨクに偏向した人選だよなあ~』
と私は思うのですが、いかがでしょうか?

ある程度、局の自主性(方針)を認められる民放ならまだしも、まがりなりにも、
「皆様の(我々の)NHK(公共放送)」
のはずですよねえ?


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NHKの番組における左翼・サヨク識者の出演傾向 その2

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前回の続きになります。

前回は総論(調査した全番組トータルの数字)でリストを挙げましたが、今回からは個別の番組について取り上げています。

今回は「クローズアップ現代」です。
(※調査期間は2006年1月~2014年4月の放送分)

クローズアップ現代(以下、クロ現と略す)に出演した各識者の出演回数は以下の通り。

内橋克人 9回(経済評論家。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人)
山口義行 9回(経済・ビジネス・金融関連)
宮本太郎 8回(政治学者。日本共産党・宮本顕治の息子)
小出五郎 7回(科学担当。元NHK職員)
李 鍾元 6回(韓国人政治学者)
安部誠治 6回(社会安全学の教授。原発事故、その他の事故関連)
伊藤隆敏 6回(経済学者。インフレターゲット理論。消費税増税派)
柳田邦男 6回(評論家。元NHK職員。福島原発の事故調査・検証委員)
与田 剛 6回(元プロ野球選手)
興梠一郎 5回(現代中国論)
糸井重里 5回(コピーライター)
柴田明夫 5回(農業関連)
小此木政夫 5回(北朝鮮関連)
川渕孝一 5回(医療関連)
田坂広志 5回(社会起業家論)
渡部潤一 5回(天文・科学担当)
木谷 明 5回(司法、冤罪事件関連)

赤字にしてあるのは、個人的にイデオロギー色が強いと感じる識者

あと、めぼしい所を挙げると岡田克也(民主党)、井上ひさしが4回出演。
3回は吉岡忍、江川紹子、山田洋次、田中均、藤原帰一、片山善博、茂木健一郎、立花隆。
2回は宇都宮健児、山口二郎、寺島実郎、藻谷浩介、天野祐吉、湯浅誠、半藤一利など。

ただし基本的な傾向としては、それほどイデオロギー色の強い識者が頻繁に出演するという傾向にある訳ではなくて、日頃よく目にするのは「無色透明の」識者・教授・科学者達などで、「色の付いた」識者が出演するのは「時々」といった頻度です(※むしろ、そのやり方自体が「嫌らしい」とも言えますけど)。第二次安倍政権になってからは特に、「彼ら」の出演回数は減る傾向にあるように思われます。


<内橋克人> Wikiリンク
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「日本の、これから」2006年8月15日放送 「もう一度話そうアジアの中の日本」
出演:麻生太郎、岡崎久彦、所功、田中均、保阪正康、内橋克人、朱建栄
140426_001.jpg
この人物が「左の側」の人間である事に、多くを語る必要はないでしょう。私も別にそれ程この人間が語るセリフに耳を傾けた事はありませんので、実は詳しい所はよく知りません。『まあ、聞くまでも無いだろう』といった感じで流してました。上記の2006年8月15日の「日本の、これから」でしゃべっていた内容を少し聞けば、それで十分、人間性は理解できましたから。

内橋克人が出演していて、今回の調査で対象となった他のNHKの番組は、2006~07年頃に放送されたNスペ「ワーキングプア」「自民党総裁選を問う」の討論番組なども含まれています。


<李鍾元> Wikiリンク
140426_004.jpg
「日本の、これから」2005年8月15日放送 「アジアの中の日本」
出演:櫻井よしこ、朱建栄、李鍾元、寺島実郎、栗山尚一、谷村新司、町村信孝
140426_003.jpg
韓国関連の話題でNHKに出て来る学者として、李鍾元は以前はかなり頻繁に目にしたものです。今で言う所の、民放の番組に度々出て来る金慶珠、この女と同じようなポジションの人間と考えれば間違いありません。

クロ現以外で調査対象となった番組は、プロジェクトJAPANシリーズ 日本と朝鮮半島 第5回「日韓関係はこうして築かれた」です。他に個人的な視聴経験として、BSの韓国関連の番組で見かけた記憶があります。


他の出演回数の多い識者について言いますと、宮本太郎柳田邦男前回も少し触れました。木谷明は、司法関係と言うよりも、左翼・サヨクの大好きな「冤罪事件」担当と言ったほうが良いでしょう。



さて、クロ現につきましては、実は今回一番気になった出演傾向というのは、
民主党議員(大臣)の出演回数の多さ
という点です。

今回のクロ現の調査期間は2006年~2014年の約8年間で、その内民主党政権の期間は約3年間です。逆に自民党政権の期間は約5年間という事になります。

しかし自民党、民主党議員の番組への出演回数は以下の通りとなります。

<自民党>
(2007年)中山恭子 拉致問題担当首相補佐官
(2008年)高村正彦 外務大臣
(2009年)浜田靖一 防衛大臣
(2011年)茂木敏充 自由民主党政務調査会長
(2014年)井上信治 環境副大臣

<民主党>
(2006年)小沢一郎 民主党代表
(2009年)福山哲郎 民主党政策調査会副会長
(2009年)大塚耕平 民主党政策調査会副会長
(2009年)前原誠司 民主党副代表
(2009年)菅 直人 副総理・国家戦略担当大臣
(2009年)赤松広隆 農林水産大臣
(2009年)小沢鋭仁 環境大臣
(2009年)岡田克也 外務大臣
(2009年)岡田克也 外務大臣
(2010年)大塚耕平 内閣府副大臣
(2010年)細野豪志 民主党幹事長代理
(2010年)江田五月 菅陣営合同選対本部長
(2011年)岡田克也 民主党 幹事長
(2011年)岡田克也 民主党 幹事長
(2011年)手塚仁雄 民主党 野田陣営
(2011年)前原誠司 民主党政策調査会長
(2011年)篠原 孝 民主党 衆院議員
(2011年)近藤洋介 民主党 衆院議員
(2012年)玄葉光一郎 外務大臣
(2012年)野田佳彦 内閣総理大臣

私はそれほどクロ現を視聴する人間ではありませんが、確かに民主党政権時代に、たまたま岡田克也がクロ現に出演しているのを見かけた事があります。岡田の発言内容はいつも「言い訳と(自民党への)責任転嫁」のオンパレードだった記憶しかありません。しかもその発言に対して司会の国谷裕子は何か厳しいツッコミを入れる訳でもなく、淡々と番組を進めていた。

民主党政権時代に震災、原発事故があったとは言っても、これはあまりにも民主党に偏りすぎた人選(出演回数)と言えるでしょう。


次回に続きます。


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