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処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3

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前回、前々回の続きです。

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)

前回の記事で多少言及しましたが、吉田松陰という人物は戦前、と言うか特に戦中、「忠君愛国」の理想的人間像として戦意高揚に利用された面がありました。
(※私自身は、その事を別段否定的に捉えている訳でもありませんが)

また更に、良くも悪くも、我々「いわゆる保守」と呼ばれる人間も含めて、吉田松陰の「教育者」としてのイメージを優先する余り、彼の「忠君愛国」といった側面をやや軽視しがちなのではなかろうか?といった事も前回の記事で少しだけ触れました。



なぜ私がこういった事についてこだわっているのか?と言いますと、実は私自身、今回吉田松陰関連の本を読み漁る動機の一つとして、その事があったからです。

ちなみにもう一つの別の動機というのは、「花燃ゆ」における吉田松陰の描写が(老中・間部詮勝を要撃する計画に関連して)「危険なテロリスト(無差別殺人者)」といった描写になっていて、それが「中東のISIS」及び、それに感化された川崎の中学生殺人事件「さして違いは無い」みたいなイメージを視聴者に与えている、などといった論評を幾つか目にした事によるものです。
(※実は更にもう一つ動機がありまして、それはネット上で喧伝されていた「吉田松陰による吉田稔麿(栄太郎)イジメ」の実情を知る為、といった動機です)

以上のような事がありまして、私は「吉田松陰という人物」について改めて考えてみようと思ったのです。

もちろん吉田松陰は、私にとって「好きな歴史上の人物の一人」ではあったのですが、私の幕末趣味の中心が「幕末外交」であるだけに、これまで吉田松陰という人物の事を深く掘り下げて研究した事はありませんでした。


で、吉田松陰について、ふと考えてみて、まず最初に思いついたのが、
『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
というイメージだったのです。

実はこの事は、今回改めて思い至った考え方だったのです。

唐突ですが、ここで前回に引き続き、マンガ「風雲児たち」から一部を抜粋致します。
風雲児たち 幕末編 19 (SPコミックス)
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以下、「風雲児たち」(幕末編)19巻 92~94Pより一部を抜粋
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『吉田松陰は、三島由紀夫であり、特攻隊である』
などという考え方は、特に「いわゆる保守」と言われている業界においては、おそらく別段珍しい考え方ではないと思います。

特に古くからこの業界の事を知っている人であれば、尚更の事でしょう。
まあ私は元々ノンポリの人間でした。そして今でも「いわゆる保守」業界の本などはあまり多くは読んでおりませんので、今になってようやく、そういった考え方に思い至った訳です。

「教育者」「至誠の人」「直情径行の人」といったイメージが優先される余り、本来吉田松陰像の中心にあった「忠君愛国の為に殉死した」という側面を見落としがちになる人は、案外私だけではないと思います。
戦後、吉田松陰を取り扱うメディアの姿勢が大きく変化した事については、前回の記事で指摘した通りで、その事も多少影響していると思いますが。


さて、そんな訳で「吉田松陰、三島由紀夫、特攻隊」といった事に関係する情報や書籍をネットで検索してみたものの、これがまた非常に少ない。

で、検索結果の筆頭に浮上してきたのが、前々回の記事でも少し触れました、この宮崎氏の本だったのです。
吉田松陰が復活する!吉田松陰が復活する!
(2014/10/27)
宮崎正弘

商品詳細を見る

(以下、amazonの商品説明欄よりコピペ)
わずか30年の短い人生にあって日本中を旅し、兵学者として国家百年の大計を考えた吉田松陰。
萩で主宰した松下村塾は維新の志士を輩出した。アメリカとロシアを最大の敵とみなした松陰は海外情報の収集と諜報戦の重要性を訴えた。
松陰の思想は後世の日本人に絶大な影響を与え、その憂国の精神は大東亜戦争で散華した特攻隊に継承され、三島由紀夫につながった
松陰の思想は時代を超えて何度でもよみがえる。
中国の軍事力という新たな脅威を前に吉田松陰の復活がこれから始まる!
(以上、コピペ終了)
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この宮崎氏の本以外では、こういった事について詳しく言及している本やサイトなど、私は見つける事が出来ませんでした。
(※実はそれ程時間を掛けて調べた訳でもありませんので、よく探せば、もっと出てくるのかも知れませんが)

ちなみにこの宮崎氏の本の内容に関しては、絶賛する程でもありませんが、内容はそこそこまとまっていると思います。
ただし例によって、こういった「いわゆる保守」業界特有の臭いがやや強めですので(まあ読み手の需要の問題もあるので、ある程度仕方がない面もありますが)、現代の政治・外交問題等、吉田松陰の歴史とは直接関係が無い事についてもいろいろと取り上げており、そういった脇道の話にやや紙面を費やしているように感じられます。

三島由紀夫に関する論評も、本当に終盤の部分だけで、紙面もあまり割かれてはいません。


私自身は、三島由紀夫の事はそれほど詳しくありません。
著作も(「豊饒の海」などを含めて)数冊読んだ程度です。

「歴史REAL WEB」一坂太郎ブログ 第14回 さらば青春(4月5日放送)
この一坂太郎のブログで、

(以下、一部抜粋引用。フォントの色を変えているのは私の編集)
 高校生のころの僕が憧れたある作家(故人)は、政治的な国の要人暗殺を肯定はしないが、それが起こるのは、民主主義がうまく行われているからだという意味の言葉を残している。民主主義は、少数派を生む。だから、意見が通らない少数派は、最終手段として暗殺を企てるのだという論調で、僕はひどく納得した覚えがある。しかも、その作家は松陰の熱烈な信奉者であり、成る程と思わせるような最期を遂げていた。今回のドラマは否応なく、そんなことを思い出させる。(以下略)

と書いていましたが、この「ある作家(故人)」が三島由紀夫である事は間違いないでしょう。

宮崎氏の本で指摘されております通り、
先駆けて死んでみせる
これがまさに吉田松陰であり、特攻隊であり、三島由紀夫の最期でありました。

しかしある意味、『松蔭は幸せ者である』とも言えます。

松蔭の場合は、その死をもってして「維新回天」の結果をもたらす事に成功し、その80数年後に大東亜戦争の敗戦で彼に対する評価がかなり揺れ動く事になったにせよ、彼が生前熱望していた通り、永く歴史上に「忠君愛国の志士」としてその名を留めるようになったのですから。

もちろん、それは全て後付けの理屈であって、死んでゆく人間にとっては『その後の結果がどうなるのか?』などという事を想定するのは、全く不可能な事なのです。

その事は、松蔭以外の、特攻隊や三島の死に対して、現代の我々がどのような態度を取っているか?という事に想いをいたせば、すぐに分かる事だと思います。




テロ及びテロリストという事について。

「花燃ゆ」の中で吉田松陰が間部詮勝の要撃を訴えるシーンがありますが、このシーンが、
『さながら、気違いテロリストのように見える』
とネットではよく書かれていました。

吉田松陰=テロリスト

こういった印象操作(ネガキャン)がネット上で大々的に行なわれているように、私には(その当時=二、三週間ぐらい前)感じられました。

しかし一言に「テロリスト」と言っても、「政治家を暗殺する」テロリストと、中東などで頻発しているような「無辜の市民を無差別に殺す」テロリストでは、全然意味合いが異なります。

と言うか、むしろ今回の「吉田松陰=テロリスト」の印象操作(ネガキャン)は、
「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」
といった印象操作(ネガキャン)と同じレベルのものである、と私には感じられました。

無差別テロと戦争の区別もつかんのか?と。

『吉田松陰はテロリストなのだから、こんな大河ドラマは楽しんで見られない』
などといったネット上の論評まで見かけましたが、だったら一昨年の「八重の桜」における山本八重がスナイパーとなって会津城で人を殺しまくっていたのはどうだったんだ?と言う話ですよねえ。
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更に言えば、来年の「真田丸」における真田一族も「戦の名人」「人殺しの名人」な訳で、信長・秀吉・家康の三傑に至っては、もう「放送禁止レベルの殺人者」であるはずなのだが、吉田松陰や幕末の長州を貶したいだけの連中からすれば、「吉田松陰=テロリスト」というレッテルを貼りたいだけなのだから、くだらない理由で騒いでいるだけの事です。


ちなみに、一坂太郎の持論としては、実は「テロ(=要人暗殺)」という行為に対して結構寛容な姿勢を示しています。
(※もちろん、それは歴史上の事件に対して、という事であって、現代の話はまた別なのだろうが、「アイアム・ノット・安倍」の件を嬉々として書いてた様子からは、反体制主義者の本音が透けて見えるような気もしますw)

そういった事についてはこの時のブログ記事で彼は書いていました。そして彼の著作を読んでみても、ほぼ同様の事が書いてありました。

まあ、リベラル反戦平和などというのは幻想であって、「テロ(=要人暗殺)」は国粋主義者(極右)の専売特許ではなくて、雁屋哲のような極左の人間もそれを好む傾向にあるのは、雁屋哲が原作した「男組」のエンディングを見れば、その事がよく分かります。
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実はリベラル反戦平和と言われている連中のほうが、右の人達よりも「よっぽど好戦的である」などという事は、ネットではもはや常識で、「反原発デモ」「沖縄・反基地デモ」における連中の乱暴狼藉ぶりを見れば、子供でも理解できる話です。



え~、話を戻しますと、何と言いましても、吉田松陰の間部詮勝要撃は、
「朝廷=帝(みかど)=孝明天皇」を護るため
計画されたものであって、無辜の市民を狙った無差別テロなどと同列に語られる事自体、異常な事なのです。

まあ、「9.11の航空機による自爆テロを、特攻隊と同一視させる」という事を意図的に喧伝している連中と同じレベルの連中に対しては、そんな正論は「馬の耳に念仏」かも知れませんけどね。


長くなりましたので、もう一回だけ、次回に続きます。
(※一坂太郎の著作に関する論評は、今回の記事でも書く事が出来ませんでした。次回、必ず書きますので、もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません)

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(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その4

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今回がラストの予定です。

(このシリーズの過去記事)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1(2015/04/25)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その2(2015/04/29)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3(2015/05/01)

世間一般における政治の話題としては、安倍首相による米国での演説の話で盛り上がっており、更には、本日が5月3日の「いわゆる憲法記念日」という事もあり、「憲法改正」「9条」の話なども所々では話題となっているようです。

ただし私のブログではそんな話題なんかどこ吹く風。相変わらず、吉田松陰の話を続けておりますが。

まあ安倍首相の演説の話は、「いわゆる保守」界隈では既に至る所で語り尽くされておりますので、私が何か付け加えて言う事もほとんどありません。

ただし、もう一方の5月3日の「いわゆる憲法記念日」に関しましては、ここ数年、私のブログでは毎年この時期に、
「いわゆる憲法記念日」に関するNHKの報道姿勢
という形でブログ記事を書いてきておりますので、ここで少しだけ指摘しておきたいと思います。

私は一年前、このようなブログ記事を書きました。
NHKの番組における左翼・サヨク識者の出演傾向 その4(終)討論番組(2014/05/03)

私が一番言いたい事は、要するに(いつもブログの最後に貼っているテンプレリストの(7)で述べているように)、
NHKは国民に対して、憲法に関する「まともな討論番組」を見せる義務がある
という事です。
(5月1日(金)のニュース7より)
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(5月1日(金)のニュースウォッチ9より)
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(※「国民への説明」をしてない、と批判されるべき存在は、現政権や政治家個人ではなくて、公共放送(公共のメディア)であるNHKのはずですよねえ?)

ハッキリ言いまして、一昨日のニュース7ニュースウォッチ9における「いわゆる憲法記念日」に関するニュース報道を見ても、NHKがそれ以外に「いわゆる憲法記念日」に関連して用意している番組企画を確認しても(一年前も書いたように、今年も「日曜討論」で政治家同士の討論を“アリバイ作り程度に”見せるのみで、それ以外は全く無作為状態というNHKの姿勢を見れば)、
NHKは国民に憲法論議を見せる気は全く無い
という事は明らかです。

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一年前に書いた事と全く同じ内容の記事をもう一回書くのもバカバカしいので(ちなみにNHKによる世論調査の結果も、偶然と言えばあまりにも偶然過ぎる程、昨年と同じ結果であった。一年前も書いたように「アメリカに押しつけられたから」という意見は画面に表示はするものの「アナウンサーが読み上げる事は決してしない」という事も含めて全く同じ)、今年は何も書く事がありませんので、この話題はここまでにしておきます。




では、本題に戻ります。

1回目の記事でも書きましたが、今回、一坂太郎の本を4冊読みました。

吉田稔麿 松陰の志を継いだ男 (角川選書)
吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」 (朝日新書)
司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)
松陰と晋作の志―捨て身の変革者 (ベスト新書)

1回目の記事でも書きました通り、一番下の「松陰と晋作の志―捨て身の変革者」はスタンダードな内容の本で、吉田松陰に対してもそれ程ネガティブな内容でもありませんので、ここではスルーします。

問題は残りの3冊、これらは比較的最近に出された本なのですが、吉田松陰に対してややネガティブな表現もいくつか見受けられます。

確かに「全否定」という程偏っている訳ではないのですけど、吉田松陰に対する従来のイメージをいくらか傷付ける程度にはディスっていると思います。

それでもまあ、「純粋」と言えばこれ以上ないくらい「純粋」な吉田松陰独特のキャラクターもありますので、私個人からしますと大した「ディスりネタ」とも思えないのですが、
「葬式ごっこ」という「レッテル貼りのセリフ」
これが一人歩きする(させる)事によって、ネット上で吉田松陰を貶めるのにかなり悪用されていたように感じられました。

この件がいわゆる「松蔭による吉田稔麿(栄太郎)に対するイジメ(=葬式ごっこ)」というものなのですが、この件については「吉田稔麿 松陰の志を継いだ男」と「司馬遼太郎が描かなかった幕末」の両方で、小見出しにしっかりと「葬式ごっこ」という見出しを使って、一坂太郎は詳しく解説をしています。

とりあえず、ここでは「司馬遼太郎が~」のほうから引用して、内容を紹介致します。

(以下「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」より一部抜粋引用)
(※フォントを赤くしてあるのは私個人の編集によるもの。以降の引用も同様)
 栄太郎は松蔭が自分に長所も短所も似ていると言い、最も可愛がった門下生である。長州藩の下級武士(中間)の子で、松蔭からは秀実(ひでざね)の諱と、無逸(むいつ)の字を贈られた。元治元年(1864年)六月五日、池田屋事変のさい二十四歳の若さで京都において闘死している。
(中略)
 ところが、松蔭にはそうした栄太郎の苦しい事情が理解出来ない。自宅に押しかけて行って、強談判に及んだりする。それでも栄太郎は算盤を抱き、「われまさに俗吏を学ぶべきのみ」と、松蔭をにらみつけるばかりだったと、松蔭は「無逸に与う」の中に記す。
 やがて野山獄に下った松蔭は、栄太郎からの手紙を待つが、来ない。
(中略)
 また、ある者から、近ごろ栄太郎にはまるで魂が抜けていると聞かされた松蔭は、(安政六年)二月十三日、「無逸の心死を哭す」と題した一文を書き、栄太郎に送り付ける。
 松蔭は、人間は心が死ぬほど惨めなものはないなどと非難。さらに門下生たちに松下村塾で香を焚かせ、栄太郎の心を弔わせるというパフォーマンスを行ったと知らせる。これではまるで葬式ごっこ、いじめだ。もちろん栄太郎は、返信しない。
 すると、さすがにまずいと思ったのか、二日後、松蔭は前言を撤回する旨を記し、謝罪の手紙を栄太郎に寄せた。しかし、栄太郎は返信をしない。それどころか、よほど腹に据えかねたのか、かつて松蔭から贈られた諱と字の由来を記した「名字説」と「両秀録跋」を返信してくる。これは、師弟関係を解消したいとの意思表示だ。松蔭は泣きながら、受け取れないと突き返した。
 このように、松蔭には自分の「正義」にのめり込むや、それを他人に一方的に押し付ける傾向がある。純粋と言うべきか、世間知らずと言うべきか、そうした厄介な子供のような一面もひっくるめて、松蔭の魅力が形成されていたはずだ。
 同じ頃、門下生の品川弥二郎は父あての手紙に、「実は先生じらをくり候て」と、少々困ったように記す(拙著『吉田松陰門下生の遺文』平成六年)。「じらをくる」とは、長州弁で子供が駄々をこねるような時に使う。門下生の目に、そのように映っていたのだろう。
 それでも五月二十五日、幕府に呼び出された松蔭が江戸に護送されたさい、隣家の杉垣の穴から見送る栄太郎と、無言で涙の別れをしたと伝えられる(来栖守衛『松陰先生と吉田稔麿』昭和十三年)。この逸話で全てが帳消しになってしまうのは、やはり松蔭が魅力的な人物だったからだとオチをつけておこうか。(以下略)

ちなみに、これとほぼ同じ内容の事が「吉田稔麿 松陰の志を継いだ男」の中でも書かれています。

ただし上記の中でも、後半、多少松蔭に対してフォローを入れているように、一坂太郎は別に吉田松陰を「全否定」している訳ではありません。いや、むしろ全体的に見ればポジティブに書いている、とさえ言えると思います。
(※むしろ、これら3冊の中では「吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」」における久坂玄瑞に対する書き方が一番辛辣な感じがします。ただ、松蔭・龍馬・晋作・稔麿に対しても、負の部分を「全くオブラートに包まず」読者に対してストレートにぶつけてきてますので、そういった手法が一坂太郎の一つの癖とも言えます)


こういった松蔭の行為に対して、私自身は別に忌み嫌うつもりはありません。

一坂太郎自身が「吉田稔麿 松陰の志を継いだ男」の中で、
「そこが人間くさく、やたらと純情な松蔭という男の魅力なのだろう」
と書いているように、この出来事をトータルに理解してさえいれば、それほど大した問題とも思えません。

これが問題になるのは、
「葬式ごっこ」という「レッテル貼りのセリフ」
意図的に悪用している連中がいるから、問題になるのです。

例えば、「武将ジャパン」武者震之助氏のブログで、
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(以下、一部抜粋引用)
ちなみに松陰の弟子が師の過激思想についていけなかったのは、史実です。このころ史実では、松陰は伊之助の実兄にあたる小国剛蔵に「きみの塾からやる気があって命を惜しまない若い少年を3,4人見繕ってくれないかな?」という、少年兵スカウト的なことを頼んでおりますが、流石にそこまではやらないようです。

また、先週は吉田稔麿が松陰と疎遠になりましたが、史実ではそうなった時「僕の知っていた吉田君はもう死んでしまった!」と葬式パフォーマンスをして周囲をあきらさせたりしています。まあ、これも描くわけにはいかないでしょう。(以下略)
--------------------------------------------------------------------
このように書かれていました。

そりゃまあ、「花燃ゆ」で、吉田松陰の人間像が相当ポジティブに描かれているというのなら、負の部分もそれなりに描かれて良いのかも知れませんが、その点、どうなんでしょうか?(私は見てないから知らんけど)
「花燃ゆ」における吉田松陰の描かれ方って。
全体的に見て、好意的に扱われているんでしょうか?

ネットでの各論評を読んでいる限り、この描き方で「葬式パフォーマンス」まで付け加えたら、完全に「吉田松陰をディスる為に番組作ったのかよ!」ってレベルの話だと思うんですけど。

そのエピソードを入れても、吉田松陰の全体的なイメージがそれ程損なわれない、そういった描き方をするのであれば(一坂太郎が言うように、むしろ人間くささが増す、といった描き方であれば)私も入れれば良いと思いますよ。



さて、上記の件だけであれば一坂太郎の「思想」という点について、それ程問題があるようには見えないかも知れません。

では次に、「吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」」の巻末に書かれている「おわりに」から一部を引用してみます。

(以下「吉田松陰――久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」」より一部抜粋引用)
 明治初年、絵入りの「志士」の列伝が次々と出版されており、その中にはたいてい久坂玄瑞も紹介されている。だが、描かれている玄瑞の姿はまちまちだ。
(中略)
 当時は「玄瑞像」が固まっていなかったのだろうが、そうした状況は百数十年を経た今日なお、あまり変わっていないような気がする。虚実はともかく、吉田松陰なら教育者、坂本龍馬ならビジネスマンといった具合に、著名な「幕末の志士」は伝記や小説、映画やテレビドラマなどで、イメージが固定化されてゆく場合が多いのだが、この点「玄瑞像」は大した小説作品もないせいか、不鮮明である。
(中略)
史料編纂作業の過程で、亡き松蔭を祭り上げて自分たちの活動に利用しようとする玄瑞の「策士」というか、「政治家」としての一面が見えてきたのが、特に興味深かった。死者をシンボルとするのは、実に賢明だ。生身の人間は大抵メッキが剥がれるものだが、死者はいくらでも都合よく変身させることができる。
 松蔭を祭り上げた長州藩は暴走の末、「禁門の変」で敗れて「朝敵」となり、壊滅寸前まで追い込まれた。引き続き松蔭を祭り上げた大日本帝国の末路については、あらためて述べるまでもない。
 想像を絶するほど純真な松蔭だからこそ、真反対に位置する者たちが、しきりと利用したがるのだ。もし、将来そんな兆候が見えたとしたら、日本という国が危険な方向に舵を切っているときなのだと思う。


次は「吉田稔麿 松陰の志を継いだ男」の「おわりに」からです。

以下「吉田稔麿 松陰の志を継いだ男」より一部抜粋引用)
 ちょうど百年前の1914年、第一次世界大戦が勃発した年、地球上の陸地の84%が西洋列強の支配を受けていたという。もちろん、日本は支配を受けていない16%の中に入っていた。近代化を目指して突き進んだ日本は、ついに「植民地」にも「属国」にもなることなく、「独立」を護り抜いたのだ。松蔭や稔麿の志が、多くの同志たちに受け継がれた結果であろう。
 もし、稔麿が明治以降も生きていたら何をしただろうかと考えることは無駄ではないだろうが、あまり関心がない。ただ、幕府と長州藩の武力衝突を回避させ、日本が一丸となって外圧に抗したいと懸命に願い、努力した稔麿や妻木田宮のような者がいたという史実は、今後も大切に伝えてゆきたいと思う。成否よりもまず、そうした少数派が存在したことこそが大切なのだ。
 結局「明治維新」は、陰謀と武力によって血なまぐさい政権交代になってしまった。私は「明治維新」そのものを否定はしないが、時に目を被いたくなるような理不尽な方法で歴史が動かされていることを知るたび、なんとも言えない後味の悪さを感じる。ひょっとしたら無益な血を流さずに近代化を進め、独立を護り抜く別の選択肢があったのかもしれない。
 そんなことを考えさせてくれる稔麿の存在は、貴重だ。それは二十一世紀の日本を生きる私たちが、大変な岐路に立たされているからに他ならない。百年後の人々に「あの時、判断を誤ったのではないか」と言われたくはないのである。そんなことを思いつつ、あらためて稔麿の生涯を追ってみた。


最後に「司馬遼太郎が~」の「はじめに」「(本文の)一番最後」「おわりに」から一部を引用します。

(以下「司馬遼太郎が描かなかった~」より一部抜粋引用)
(「はじめに」より)
 かく言う私も中学、高校生の頃、胸躍らせて司馬遼太郎作品を次々と読んだファンの一人だが、二十代になると読まなくなっていた。その後、歴史研究を続けていたが、ある時ひさびさに司馬遼太郎作品に「再会」したところ、なんとも言えぬ違和感に襲われた。一人か二人の特別な英雄が出現し、さっそうと時代を変えてしまうといった、いわゆる「英雄史観」で貫かれていることがその第一。人物を好き嫌いで評している部分が多いのが、その第二。また、歴史が進む上で重要な要素の多くが、意外と物語から除外されていることも気になった。
 視界ゼロの厳しい状況下で、生活格差が拡大し、「この国」の国民はいま、「強い国」「美しい国」「誇りが持てる国」といった口当たりだけが良い「幻」に飛びついてしまう危うさを抱えている。司馬遼太郎作品は、そうした危うさに妙にフィットしてしまう。それは戦車隊の士官として終戦を迎えた、決して幸福といえない戦争体験が小説作品の出発点になったといわれる司馬遼太郎が望んだこととは到底思えない。(以下略)
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(本文の一番最後の部分より)
よく、司馬遼太郎作品の読後感として聞くのが、
「元気が出る」「勇気が湧く」「日本という国に誇りが持てる」
しかしそれはある意味当たり前で、明るく、楽しく、勇ましい「歴史」を選って描いた「物語」だからである。
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(「おわりに」より)
 司馬遼太郎が独自の価値観で歴史の空白を埋め、生み落とした数々の作品はこれからも人々を魅了してやまず、読み継がれてゆくことだろう。作品は今後も映像化され、その舞台になった地は、官も民もお祭り騒ぎに明け暮れるはずだ。地元で語り継がれた「本物の歴史」は掘り下げられることなく忘れ去られ、司馬遼太郎が紡ぎ出した「英雄物語」が逆輸入のすえ、いつのまにか現地に伝わった話であるかのごとく都合良く喧伝されている例を、私は身近でも嫌というほど見てきた。
 「この国」から希望が失われてゆくのに比例して、司馬遼太郎作品がさらに注目されてゆくならば、その読み方、楽しみ方をもうちょっと考えてみませんか、という思いで本書を書き進めた。紙数の都合上、十分果たせなかった点もあるが、それは別の機会としたい。(以下略)

1回目の記事でも書きました通り、こういった記述を見れば、
「一坂太郎は、いわゆるリベラル思想の歴史家である」
というのは明らかです。

何かにつけて幕末の歴史を、現代の日本(及び戦前の日本)と関連付けて解説し、その上で「自分自身の歴史観」を披瀝して、その内容がことごとく
「反安倍自民」及び(戦後9条)平和主義」的な「歴史観」
によって貫かれています。

まあ確かに、本文全体が「そういった歴史観」ばかり主張されている、という訳でもありませんので、殊更一坂太郎の本を非難するつもりはありませんが、彼の根底にそういった思想がある事だけは意識して彼の文章を読んだほうが、本の内容を正しく理解できると思います。



しかし正直な所を言えば、「英雄譚」「勇ましい歴史観」忌み嫌う一坂太郎の歴史観からすれば、今回の「花燃ゆ」という作品は、
一坂太郎にとっては非常に素晴らしい作品
と言えるはずだと思うのだけれど、彼がこれまで書いてきた「花燃ゆ」論評ブログの内容を読む限り、決してそのようには感じられないんですよね。

不思議な話ですねw

視聴者(=国民)が「勇ましい!」「カッコイイ!」と感じるような作品は、彼にとっては「ダメな作品」のはずであり、今回の「花燃ゆ」のように視聴者(=国民)が「全然勇ましいシーンがない」「ヘタレとキチガイばっかり」と感じる作品こそ、彼にとっては「素晴らしい作品」であるはずですよねえ?

視聴者(=国民)がそれを(例えば司馬作品を)「面白い」と思うかどうか?などという事は全く考慮しないで良い、という一坂太郎の考え方であれば、面白くもなんともない今回の「花燃ゆ」という作品も、彼が理想と考える歴史ドラマを具現化してみたら「こういう作品になった」、そんな一つの好例として好意的に捉えるべきなのではないでしょうか?

むしろ一坂太郎は「花燃ゆ」をもっと評価すべきですよね。
『とにかく、司馬作品のような明るさも、楽しさも、勇ましさもない作品ではあるのだから、その事だけでも「花燃ゆ」という作品はもっと評価されるべきで、NHKは今後もこういった作品を作り続けるべきである』と。
そう評価すべきですよね?

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 番外編「司馬遼太郎作品について」

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あまりにもツッコミ所が多すぎる今年のNHK大河「花燃ゆ」につきまして、この私のブログにおいては、「花燃ゆ」の事を取り扱った記事の件数が増えすぎてしまいましたので、従来は歴史、ドラマ、小説、漫画、アニメのカテゴリに入れておりましたが、別個に新しくNHK大河「花燃ゆ」というカテゴリを作成しまして、以前に書いた「花燃ゆ」関連の記事も全て、その新しいカテゴリに移動させる事にしました。

まあ、おそらく、この「花燃ゆ」というゴミ大河について記事を書くのは、今回の区切り(=吉田松陰の退場)をもって当分はお役御免になると思いますので、私としても非常に清々しい気持ちで一杯です。



さて、このシリーズの記事は前回の第4回をもって、一応終了のつもりではいたのですが、最後にもう少しだけ「余談」を続けたいと思います。

(このシリーズの過去記事リンク)
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その1 その2 その3 その4

前回(第4回の記事)の終盤で、一坂太郎の著書司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像 (集英社新書)について触れました。

もちろん一坂太郎は、自分の歴史観に沿わない「司馬遼太郎の歴史観」を否定するような形で、その具体例を事細かくこの本の中で指摘しているのですが、その概要は(前回の記事で使った物をもう一度転載しますが)以下のような内容です。

(以下「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」より一部抜粋引用
 ※フォントを赤くしてあるのは私個人の編集によるもの。以降の引用も同様)
(「はじめに」より)
 かく言う私も中学、高校生の頃、胸躍らせて司馬遼太郎作品を次々と読んだファンの一人だが、二十代になると読まなくなっていた。その後、歴史研究を続けていたが、ある時ひさびさに司馬遼太郎作品に「再会」したところ、なんとも言えぬ違和感に襲われた。一人か二人の特別な英雄が出現し、さっそうと時代を変えてしまうといった、いわゆる「英雄史観」で貫かれていることがその第一。人物を好き嫌いで評している部分が多いのが、その第二。また、歴史が進む上で重要な要素の多くが、意外と物語から除外されていることも気になった。
 視界ゼロの厳しい状況下で、生活格差が拡大し、「この国」の国民はいま、「強い国」「美しい国」「誇りが持てる国」といった口当たりだけが良い「幻」に飛びついてしまう危うさを抱えている。司馬遼太郎作品は、そうした危うさに妙にフィットしてしまう。それは戦車隊の士官として終戦を迎えた、決して幸福といえない戦争体験が小説作品の出発点になったといわれる司馬遼太郎が望んだこととは到底思えない。(以下略)
--------------------------------------------------------------------
(本文の一番最後の部分より)
よく、司馬遼太郎作品の読後感として聞くのが、
「元気が出る」「勇気が湧く」「日本という国に誇りが持てる」
しかしそれはある意味当たり前で、明るく、楽しく、勇ましい「歴史」を選って描いた「物語」だからである。
--------------------------------------------------------------------
(「おわりに」より)
 司馬遼太郎が独自の価値観で歴史の空白を埋め、生み落とした数々の作品はこれからも人々を魅了してやまず、読み継がれてゆくことだろう。作品は今後も映像化され、その舞台になった地は、官も民もお祭り騒ぎに明け暮れるはずだ。地元で語り継がれた「本物の歴史」は掘り下げられることなく忘れ去られ、司馬遼太郎が紡ぎ出した「英雄物語」が逆輸入のすえ、いつのまにか現地に伝わった話であるかのごとく都合良く喧伝されている例を、私は身近でも嫌というほど見てきた。
 「この国」から希望が失われてゆくのに比例して、司馬遼太郎作品がさらに注目されてゆくならば、その読み方、楽しみ方をもうちょっと考えてみませんか、という思いで本書を書き進めた。紙数の都合上、十分果たせなかった点もあるが、それは別の機会としたい。(以下略)

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過去記事でも何度か書きました通り、また先日コメントの返信の際にも書きました通り、私は別に司馬遼太郎のファンではありません。

確かに私は、司馬遼太郎の「幕末」関連の作品については、その昔乱読した経験がありますので、活字作品の作家として限定すれば、おそらく一番読んでいるのは司馬作品だと思います。

ただしそれは、過去記事等でもその理由を書きました通り、「幕末」の歴史の事をもっと知りたいと思った時に、その「足がかり」として司馬氏の「幕末」関連の作品を参考にしただけの事であって、あくまできっかけの一つだったに過ぎません。

更に言いますと、「本来の司馬遼太郎ファン」という事であれば、普通は彼の「戦国」関連の作品なども読んでいると思うのですが、私は彼の「戦国」関連の作品は一つも読んではおりません(※ただし、それらが映像化された作品については、一応それなりに目にしているとは思います)。


ちなみに私はかなり以前に、司馬氏に対して以下のように評価した事があります。
司馬史観とは?(2012/01/09)
坂の上の雲と司馬遼太郎とNHK(2011/12/04)
--------------------------------------------------------------------
(以下、一部抜粋引用)
331 1 2011/01/02(日) 03:45:05 ID:7BRqQ+uT
(途中から)「坂の上の雲」の事については、とりあえず横に置くとしても、司馬遼太郎個人の思想性、政治性については、人それぞれの認識の違いはあると思う。左からは右翼に見え、逆に右からはサヨクに見えたりもする

しかし一言で簡単に言うならば、司馬の思想性、政治性についての部分はともかくとしても、司馬が抱いていた歴史や歴史上の人物へのコダワリというものは、それらに対する最低限度のリスペクト、または愛情を踏まえた上でのコダワリであって、サヨクがよくやる「平気でそれらをないがしろにしてプロパガンダの為に利用する」というのとは、全く次元の違うものである。 (以下略)
--------------------------------------------------------------------
左からは右翼に見え、逆に右からはサヨクに見えたりもする
この「左からは右翼に見え」というのは、既に上記で示してありますように、まさに一坂太郎の主張がそれに該当します。

そしてもう一方の「右からはサヨクに見えたりもする」については、司馬史観とは?(2012/01/09)の時の過去記事で、チャンネル桜や産経関係の「いわゆる保守系」識者による司馬批判に対して、「私なりの反論」を述べました。

そして今回のシリーズの第3回で取り上げました宮崎正弘氏の本でも、「右からはサヨクに見えたりもする」といった形の司馬批判がありましたので、その内容を以下に引用させてもらいます。
吉田松陰が復活する!吉田松陰が復活する!
(2014/10/27)
宮崎正弘

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(以下「吉田松陰が復活する!」の163Pあたりから一部抜粋引用)
 日清、日露の戦いは良かったが、あの「太平洋戦争」は愚かだった。乃木将軍は愚将で、殉死は無駄死にだった云々と戦後、言動を変節させた言論人は少なくない。
 このように歴史的評価を百八十度ひっくりかえすことが流行し、「敵前逃亡、対決放棄」の徳川慶喜と勝海舟が日本を救った等々、後世の浅知恵によって数々の暴言を吐いて歴史をこねくり回した代表格は司馬遼太郎である。しかも司馬はいまも広く読まれている。左翼が壊滅せず、朝日新聞がまだしぶとく生き残っていることと同じかもしれない。
 司馬遼太郎は戦後精神史の空白にそっと入り込んで有害な思想をまき散らし、悪影響をいまも若い世代にあたえている。読者が左翼だけでないことが、保守論壇においても司馬批判を複雑なものとしてきた。矢沢栄一などは司馬を褒めちぎっていた。司馬史観の根幹にあるのは自分だけの狭量な思いこみである
 福井雄三『歴史小説の罠-司馬遼太郎、半藤一利、村上春樹』(総和社)のなかで、福井は次のように言う。
 司馬遼太郎の史観なるものは「日本という国家の枠組みの中に視点が限定されてしまっていて、世界史的な座標軸の視座から、客観的に(歴史を)眺める姿勢が欠落しているのだ。小さなコップの中で水が波たち騒ぐように、彼の思考回路は(中略)から回りしている」
 そして次のように付け加える。
「もう一つの特徴は、結果を前提とした、逆立ちした歴史認識の傾向が強い」、それゆえに「昭和の日本イコール悪玉、という図式で固定してしまっているのだろうか」
 こうして司馬の奔放すぎて出鱈目な歴史解釈がまかり通るわけだが、いまの日本の出版界において、まだ売れつづける作家への批判はタブーであり、朝日新聞はともかくとしても、産経新聞や文藝春秋でも司馬批判がなぜかタブーに近い。そればかりか司馬の残滓が幽霊のごとくに亜流を産み、その毒はまだ日本の文壇をおおっている。
 生前すでに司馬への痛罵は多くあった。
 吉川英治は「ペダンチックなわざとらしい『学識』が鼻持ちならない。奇想なロマンでいくならそれでよし。だがこの作者(司馬)の場合、これみよがしの考証・引用が学者じみて邪魔である」
 小島政二郎は「司馬遼太郎が、大きな嘘のうまいことは、吉川英治などはるかに及ばない」
 福田恆存も司馬の胡散臭い歴史観を鋭く揶揄したが、三島由紀夫ともなると、「乱世史観」などあり得ないとして、司馬をまったく相手にしなかった。とどのつまり司馬遼太郎とは悪質な歴史の講釈師である。(以下略)

これで左右両方からの司馬批判の論旨が出揃いました。


先に申し上げておかねばなりませんが、宮崎氏と一坂氏の両者とも、私はその言動に対して、比較的理解を示している部類の人間だと思います。

私は両者の著作を嫌っている訳ではありません。
こういった司馬批判以外の所では、その内容に納得できる部分も幾らかありますので、両者の著作を全否定するつもりはありません。

ただし、これらの司馬批判の内容は「いかにも理不尽な批判である」と思います。

「一坂氏の司馬批判」に対する私の反論は前回の終盤でも少し書きましたが、宮崎・一坂両氏に対して私が一番言いたい事は、
『歴史に対して全く興味も持たない人間に比べれば、それが仮に司馬作品といえども、歴史に関する作品に興味を示すだけ、(その読者は)まだマシではないか?』
という事です。

『司馬作品など読むくらいなら、歴史に興味も持たないでいてくれたほうが、まだマシだ』と主張されるのであれば、私は何も反論はしません。『歴史に無関心な人間がもっと増えても、それはそれで良しとしよう』と言うのであれば。

一坂氏が中学・高校の頃に読んだように、また私も幕末初心者であった頃に読んだように、司馬作品を「入口」として歴史ファンになる人だって大勢いるのだから、それはそれで「良い事」なのではないでしょうか?

司馬作品における「歴史記述の不備」については、その「入口」から入った後に、少しずつ改めていけば良いだけの話であって、「最初から間口を否定する」という事自体、歴史に関わる仕事をしている人間にとっては「自殺行為」以外の何物でもないと思います。

大体、「史実厨」(※2ch用語で恐縮ですが)が主張するような「史実」を、歴史小説や映像化された歴史ドラマに対して、極度に求める事はナンセンスだと思います。

史実を年月日通り記述されるだけの物語を見て、誰が面白いと思うのか?
特に歴史に関して興味の薄い一般人であれば、なおさらの事。

そして、これは「言ってはいけないセリフ」なのかも知れませんが、そこまで「高いレベルの作品」(=歴史記述及び歴史観が完璧で、しかも万人に受ける面白い作品)を要求するのであれば、
自分で書きましょう、そういった作品を。
歴史のプロなのであれば。


私にとって何が一番嫌かと言うと、「巨大な権威(この場合は司馬氏)」に対して、『いやあ、あんなのウソや捏造だらけで、所詮その程度だよ』などと貶めて、その「貶める行為」そのものを売名行為に利用する、そういった行為が一番醜くて嫌なんです。

『良いじゃん。少しくらい(司馬を)利用させてもらったって。有名税だよ』
みたいな感じで。


あと、以前、倉山満に対しても書いた事がありますが、
『プロの歴史家が、作家に対してドヤ顔で批判するとか、大人気なさ過ぎだろ』と。

大体、「史実うんぬん」の話を言うのであれば、「後世の人間」のほうが絶対的に有利な立場にいるのだから(少なくとも史料の解析や新史料の発見という面では)、「後世の人間」が上から目線で「過去の作品」にケチをつけるというのは、「後出しジャンケン」みたいなものですよね。

そういった行為を是とする人間は、自分達も、更に「後世の人間」によって徹底的に叩かれるかも知れない、という事も、覚悟しておくべきでしょう。



私は別に、「歴史記述の不備」を指摘する事を否定している訳ではありません。

問題になるのは、そこに「恣意的な思惑」がある場合なのであって、建設的で前向きな指摘であれば、ドシドシやってもらって構わないと思います。


さて、ここで一つ、幕末の司馬作品を紹介したいと思います。

司馬作品としてはかなりマイナーな部類に入る小説だと思います。もちろん大河で扱われた事も一度もないと思います。
『俄・浪華遊侠伝』
小林佐兵衛Wiki

司馬氏にとっては比較的初期の頃の作品らしいのですが、司馬氏の地元である大阪(大坂)を舞台とした作品です。

私が以前スカパーの「時代劇専門チャンネル」を見ていた頃(今は見ていませんが)、この小説が1970年(昭和45年)にTBSでドラマ化されたものを目にしまして、大変面白かったので、その後原作の小説も読んでみました。
15053f0505d_00002a.jpg
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主人公・明石屋万吉(小林 佐兵衛):林 隆三
小左門(ナレーション):藤村 志保

このTVドラマは「原作・司馬遼太郎、脚本・山田太一」というだけあって、ドラマの内容は非常に面白いのですが(特に前半)、「史実」の面で言うと、一箇所かなり重大なミスを犯しております。

ドラマの第10話(全13話中)で、主人公の万吉が禁門の変に敗れた長州の落ち武者を大坂でかくまう、という話があります。
その長州の落ち武者が誰なのか?と言うと、実は遠藤 謹助なのです。15053f0505d_00003a.jpg
幕末の長州に詳しい人、あるいは「長州ファイブ」の事を知っている人であれば、一瞬で『それは無い』と気がつく事でしょう。

なぜなら長州の遠藤謹助は、この時期(禁門の変=元治元年七月)日本にはいないからです。「長州ファイブ」の一人として英国に滞在中なのですから。

いや、確かに「長州ファイブ」の内の2名は禁門の変の頃に、英国から日本に帰国しています。英国を中心とした四ヶ国艦隊による長州(下関)攻撃を止めさせる為に、急遽日本に帰国しておりますから。
しかし、それは志道聞多(井上馨)と伊藤俊輔(伊藤博文)の二人なんです。

残り3名の内、山尾・野村は明治維新が成ってしばらく経った頃に帰国。
そして、当の遠藤謹助は明治維新の2年前、慶応2年(1866年)には帰国しておりますが、どうしたって禁門の変に参加するのは(タイミング的に)不可能です。

なんで司馬氏は、この場面で遠藤謹助を使おうとしたのか?
ちょっと理解に苦しみます。

確かに、この『俄・浪華遊侠伝』は司馬氏の作品でも比較的初期の頃に書かれた作品のようです。おそらく初期の頃の司馬作品には、こういった時代考証に不確実な部分も多々あったのだろう、と思います。

遠藤謹助は明治になってから「大阪造幣局」と深く関わる事になりますから、大阪(大坂)が舞台であるこの作品に敢えて登場させたのは、そういった所に理由があるのかも?などと深読みしてみたり…。

まあ後の司馬氏の作風からしますと、確かにこれは、あり得ないイージーミスです。


しかしですねえ。
こんな事に気がつく人は、(ネットのある)現在でも、そんなにはいないと思います。
ましてや、TVドラマが放送されていた1970年(昭和45年)頃であれば、ほとんど誰も気がつかなかっただろうと思います。

ですから、この事をもってして、この作品の価値が大きく下落するという事にはならないと、私は思います。
(※しかも「史実」がかなり重要視される大河ドラマとは違って「民放の時代劇枠の番組」という事もありますから)



長州ファイブに関連して「長州vs四ヶ国艦隊」の話が出たついでに、一坂氏の著作「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」の152Pに書かれている「彦島租借の謎」についての話に触れてみたいと思います。

(以下「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像」より一部抜粋引用)
 なお『世に棲む日日』では、三回目の会談の席でクーパーが下関沖に浮かぶ彦島の租借を申し入れ、それを晋作が『古事記』『日本書紀』の講釈を行うことで煙に巻いて、諦めさせるという場面がある。
 「長州藩も四カ国側も、ぼう然としている。晋作はできれば、これを二日間ほどやり、そのあげく日本は一島たりとも割譲できない、というつもりであった」
 とする。このエピソードも古くからの講談調の晋作伝に見られるが、史料的根拠は一切無い。そもそも列強は通航を邪魔されたため下関を砲撃したのであり、領土的野心を抱いて来たわけではない。ともかく晋作の記紀講釈くらいで解決する問題でもない。(以下略)

この話は、昔NHKによって制作された長州大河「花神」でも映像化されており、幸いな事に総集編の中にもこの場面は残っており、今でも我々はその映像を目にする事が出来ます。
【ニコニコ動画】花神 総集編 第3回 崩れゆく長州 7
15053f0505d_00004a.jpg
(※一応、これは違法な投稿動画ですから、本当に観たい人はDVDなりCS放送などで観ましょう)

ちなみに上記のニコ動に投稿されている「花神」の動画では、この場面だけ、やけに視聴者(ニコ動ユーザー)の書き込み回数が多い。

実は、これは倉山満のせいであります。

2年前、倉山満がニコ動のCGSの番組で歴史講座みたいな番組をやっていて、その講座でこの高杉晋作による「古事記」の場面を解説して(おそらく誰かがリンクか何かを貼って、この動画に誘導したものと思われるが)上記の動画に大量にCGSの視聴者が流れ込んできた事によるものです。


これまで一坂氏に対して散々文句を言ってきた私ですが、この件に関して言うと、実は一坂氏に結構同情してます

と言いますのも、過去記事でも何度か書いております通り、私は「幕末外交」マニアであり、一番注力して調べていたのはアーネスト・サトウなのです。

実は、アーネスト・サトウはこの場面に通訳として参加しているのです。
(上に貼ってあるピクチャの右上の人物がアーネスト・サトウ役の人です。ニコ動では「似てる!」などというコメントが幾つかありますが、似てない!w)

更に、「司馬遼太郎が~」の149Pでも“晋作と「魔王(悪魔)」のくだり”についての解説があります。
これはサトウの「一外交官の見た明治維新」からの引用で、「宍戸刑馬(晋作)が魔王(悪魔)のように傲然としていた」と書かれているのは、実は最初だけであって、その後は「だんだん態度がやわらぎ、すべての提案を何の反対もなく承認してしまった。それには大いに伊藤の影響があったようだ」と書かれている、と解説してます。

まあ、これは基本です。実際、そのように書かれていますから。
その上で、サトウについて一番詳しく解説している(この時の記事でも書きましたが)萩原延壽先生の「遠い崖」第2巻で、この講話会談の様子を詳しく解説しています。

結論から先に言いますと、一坂氏も言うように、もちろん「晋作が「古事記」を朗読して彦島の租借を防いだ」などというサトウ(というか英国側)の記録は一切ありません。

と言うよりも、「彦島租借」に関する英国側の記録さえ一切ないのです。萩原先生と一坂氏の両者共、根拠となり得るのは「伊藤博文による後年(45年後)の回想談」のみと、その認識も共通しています。ただそれも「彦島租借」の可能性について述べているだけであって、「古事記」の朗読などには伊藤も全く言及していません

「彦島租借」に関する萩原先生の見解は、
『ただし、四ヶ国の側にとって、いわば「不都合なこと」を記録にとどめないことは、ありえない事ではないし、正式な提案としてではなく、非公式な打診、あるいは威嚇として、彦島の「租借」が話題に上ったことも、考えられないことではない』
と、されています。

余談ですが、一坂氏は上記の中で、
「列強は通航を邪魔されたため下関を砲撃したのであり、領土的野心を抱いて来たわけではない」
と書いていますが、この表現内容は、正しくないと思います。

英国公使のオールコックを中心とした横浜の四カ国の代表は、下関遠征に関する覚書の中で、
「重要拠点を占拠し(中略)賠償金を長州藩主から受け取るまで(中略)かかる地点の保障占領を続ける事を考慮するよう、海軍指揮官に要請する」
としており、また「一外交官の~・上巻」の138Pにも書かれているように、オールコックは長州藩を完全に屈服させる事しか念頭になく、「萩を海上から攻撃する」事までクーパー提督に説いていました。

しかし、彦島を保障占領したり、萩を海上から攻撃したりするのは現実的な(戦力的な)問題として、多大な困難を伴うので、クーパー提督はそれをやらなかっただけ、という事のようです。



話を元に戻しますと、確かに司馬氏の「世に棲む日日」における「晋作の講話談判」の場面は、フィクションの度合いが強く、史実に基づかない部分も多いです。

でも、良いではないですか。
その当時はそういった感覚で小説が書かれ、大河ドラマが作られていても、それが決して不自然な事ではなかった訳で、司馬氏も、過去の伝統や伝承の中から面白そうなエピソードをピックアップして書いただけの事なのですから。

もしそれが「史実ではない」という事であれば、後世の人間が、新しい「通説」に即した形の「歴史ドラマ」を作る事によって、少しずつ「国民的な通説」という物を作り上げていけば良いだけの話です。

上から目線、またはドヤ顔をして「史実ではない!」などと作家にケチをつけても仕方がないでしょう?

まあ、プロの歴史家である倉山満「あの場面」煽った事について言えば、正直私も、多少苦言を呈したい気持ちにはなりましたけどw




最後に、もう一つだけ余談を続けます。

実は先に述べました『俄・浪華遊侠伝』の録画データを探している最中に、たまたま同時期にスカパーの「時代劇専門チャンネル」で録画してあった、
「蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦」
のデータを見つけ出したのです。

数年前に録画していたのを忘れてて、今の今まで全く見てなかったんですw

そう言えば、これ、NHKの番組だったんですね。タイトル名だけはどこかで聞いたような気がしていたんですけど。

しかも、これも一応、原作は司馬遼太郎の「世に棲む日日」だったんですね。

15053f0505d_00008sot2.jpg
それにしても最後のスタッフロールを見て、驚きました。
まず時代考証の担当が、この時の記事でも取り上げましたが、田中彰先生だったという事。

なるほど。確かに松蔭と高須久子の場面などは、田中先生が書いたこの本の内容に依拠している感じの内容だった。
松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)松陰と女囚と明治維新 (NHKブックス)
(1991/03)
田中 彰

商品詳細を見る

(※そういえば、この田中先生の本はNHKブックス(日本放送出版協会)から出されてますから、NHKでドラマ化されるのも納得です)


あまりNHKのTVドラマを褒める事は、したくはないのだけれども、放送されたのが2000年という事ですから、この時の過去記事で、
2000年の「葵 徳川三代」まではNHKの大河ドラマは、まだまともだった
と、私の大河ドラマ論で定義付けているように、この「蒼天の夢」もギリギリセーフの番組だったと言うべきか。

いえ。
もちろん、絶賛する程の内容でもありませんでしたよ。

このシリーズの第2回第3回で指摘しております所の、
吉田松陰尊皇観及び尊皇攘夷思想
という部分については(そりゃまあ、時代考証が田中先生では、もっともな話だけど)一切カットしているという事もあり、正直な所、物足りない部分も多々あります。

しかしまあ、そういった(私のような)歴史マニア以外に向けた番組(要するに一般視聴者向け)として解説するのであれば、
「花燃ゆ」よりは、断然まともな長州ドラマ
として評価できると思います。


ついでにもう一つ、スタッフロールを見て驚いたのは、制作統括が「浅野加寿子」だったという事。

まあNHK大河などにほとんど興味もない一般国民からすれば、『誰それ?』というレベルの人かも知れませんが、この時の記事で紹介した「なぜ時代劇は滅びるのか 」(春日太一著)の中でも指摘されていたように、この人は、
2002年の大河「利家とまつ」の製作総指揮をやっていた人
で、2002年から現在まで続く「朝ドラ大河」という悪弊を作り上げた張本人です。

2002年の「利家とまつ」とは脚本、演出、時代考証などが違っていたせいなのか?どうなのか?その辺の事はよく分かりませんが、この「蒼天の夢」の時は、奇跡的に上手くいったのだろう。多分。

以上です。

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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司馬遼太郎、三島由紀夫、ドナルド・キーン

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私のブログでは、ここ最近久しく、政治関連の話題を取り上げていません。

実際、『書きたい』と思うような政治関連の話題が見当たらない、という事情もあります。

安保法制(集団的自衛権)の閣議決定
大阪都構想の住民投票

言っちゃあナンですが、私はあまり食指が動きません。

私の感覚は、基本的に青山繁晴さんの政治スタンスと同様です。
(youtube)2015/05/14 ザ・ボイス 青山繁晴
【ニコニコ動画】【青山繁晴】ザ・ボイス そこまで言うか!H27/05/14【大阪都構想の行方】
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前者の「安保法制(集団的自衛権)の閣議決定」については、所詮「公明党(創価学会)」が連立与党でいる限り、本質的な国防体制の強化など出来るはずもありませんので、そもそも私は当初から期待しておりません。
まあ数年前、民主党政権がボロボロにしてくれた日本の国防体制を「多少なりとも回復する」といった程度のプラス面はあるとは思いますけど。

ついでにもう一つ付け加えるとすれば、先週から国会で「憲法審査会」が開かれていますが、これも「安保法制(集団的自衛権)」同様、私は全く期待しておりません。

いや。本来私はこれら(憲法改正・集団的自衛権)の問題については、過去にこのブログで非常に重要視して持論を述べてきております。

しかしまあ、なにせ自民党の憲法改正推進本部長は船田元ですからね。
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船田元の憲法改正意識がどのようなものであるのか?
私は既に2年前に述べております。
5月3日以降のNHKの憲法関連報道と、6年前の9条討論(2013/05/11)

今の自民党の体制では、憲法改正は船田に、集団的自衛権は公明党に、「改革を骨抜きにされる」事は目に見えているのだから、私は今の所、ほとんど興味を抱いておりません。

まあ、まだまだ時間を要する課題ですから。
じっくりと腰を据えて取り組んでいくしかありません。


そして後者の「大阪都構想の住民投票」について。
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私は東京都民ですから、そもそも大阪の行政に関する知見など、ほとんど持っておりません。

しかしこれも、大雑把に言ってしまえば、「サヨクの橋下」vs「左翼(偽装右翼含む)の反対派」のケンカなんでしょう?
もう何年も前から繰り返している「橋下vs西部グループ」という、いつものパターンの。

どっちが勝っても負けても、私にはあまり興味はありません。

しかし青山さんが仰るには、橋下が負けると「憲法改正」の問題にまで事が及ぶとか。

橋下の助けを借りなければ出来ないような「憲法改正」であれば、結局は船田が掲げている「憲法改正」と大差ありませんので、別にポシャっても良いと思いますよ。今の段階では。

NHKやサヨク識者達がよく言うセリフである
『(憲法改正に関する)国民的な議論が不足している』
正しい意味で、この事をもっと国民に自覚してもらうべきでしょう。
実はその国民的な議論を一番邪魔しているのがNHKなんですけどね。

口先だけで言っているNHKやサヨク識者達とは違って、私はこの事を、このブログで何度も繰り返し述べてきてます

結局この課題は、まだまだ時間が掛かってしまう課題なんですよ。
本当はそんなに悠長に構えていられるような余裕など無いはずなんですけど。




さて、前回に引き続いて、という訳でもないのですが、今回も作家小説家)に関する話をしたいと思います。

実は数ヶ月前、NHK教育(ETV)でこのような番組が放送されていました。

知の巨人たち 第7回 三島由紀夫 「昭和の虚無を駆け抜ける」
https://www.youtube.com/watch?v=-u7TxapTwH415051000s_012.jpg

(以下、NHK公式HPより抜粋して引用)
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/past/
2015年1月24日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年1月31日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第7回 三島由紀夫

戦後の日本を代表する文学者としてノーベル賞候補にもなった三島由紀夫。2015年に生誕90年・没後45年を迎える。三島は、太平洋戦争と戦後復興を経験し、大学紛争に揺れる激動の時代を生きながら、話題作・問題作を次々に発表した。そして昭和45年、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹し命を絶つ。
三島は昭和という時代に何を見たのか。親しく交流したドナルド・キーンさんや美輪明宏さん、三島が結成した“楯の会”会員や、三島と激論をかわした東大全共闘メンバーなど、様々な証言からその思索に迫る。さらに、近年、研究が進む創作ノートからは、遺作『豊饒の海』の幻のラストシーンの構想が明らかになった。三島は、遺作の結末をどのように書き変えたのか。文学者・三島由紀夫が残したメッセージを戦後史の中で考える。
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そもそもNHK教育(ETV)と言いますと、私のようなある程度の年数を経てきているNHKウォッチャーからからすれば、
NHK教育(ETV)=極左番組制作者の隠れ蓑
といった意識が強くあります。

特に、数年前の感覚で言いますと、そういった印象が強いです。
(※特に土日の夜9時以降とか、左翼・サヨク臭の強い番組を繰り返し放送していたものです。最近は全然番組表をチェックしていないのでよく分かりませんが、今もやってるのかも知れません)

しかし、いつの頃から始まったのか?は忘れましたが、この番組の音楽にも使われている渡辺俊幸先生の音楽と共に放送されるNHK教育(ETV)の番組に関しては、不思議と「結構まともな番組」を見かける事も時々あります。

確か以前放送していたのは 「日本人は何を考えてきたのか」のシリーズだったかな?よく憶えておりませんが。

NHK総合で放送される「NHKスペシャル」が、ここ数年劣化の一途をたどっているのと比べて、なぜかNHK教育(ETV)で「結構まともな番組」が(稀にですけど)放送されるという、ある意味「逆転現象」が生じています。
(※音楽家の渡辺俊幸先生については、その父親である渡辺宙明大先生との関連もあり、大昔にアニメオタだった私が語り出すとキリがありませんので、ここでは割愛します)


話を三島由紀夫に戻します。
花燃ゆ、幕末長州、吉田松陰 その3の回でも、少し三島の話をしました。
その時も書きましたが、私はそれほど三島に詳しい訳ではありません。私は彼の小説とエッセイを数冊読んだ程度の知識しかありません。三島に関する専門書なども、ほとんど読んだ事はありません。

そんな私が言うのも妙な話ですが、上記の「知の巨人たち 第7回 三島由紀夫」の番組は、それほど偏った内容にはなっていないと思います。

地上波レベルでは、というか、最近のNHKのレベルからすれば、「かなりマシ」な部類に入る内容なのではないでしょうか?と個人的には思います。



三島に関するNHKの報道と言いますと、実は約一ヶ月半前、ニュースウォッチ9でも放送されていたのです。
こっちの番組内容は、NHK教育(ETV)の「知の巨人たち~」と比べて随分と下劣で低レベルな番組内容だったのですけど。

ニュースウォッチ9(2015年3月31日(火))
ノーベル文学賞 明らかになる“秘話”
http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2015/03/0331.html

(以下、NHK公式HPより抜粋して引用)
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鈴木
「謎に包まれているノーベル賞の選考過程。
その一端がわかってきました。
川端康成が日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのは、1968年。
その5年前、最終選考の一歩手前まで残った作家がいました。
三島由紀夫です。
三島も有力候補の1人だったのです。」

河野
「しかしなぜ、受賞には至らなかったのか。
ノーベル賞の選考資料は50年経過すると、閲覧することができます。
三島が有力な候補となった1963年に、ノーベル文学賞の選考委員会が日本文学の研究者に作家の評価を求めていたことがわかりました。
そのうちの1人、ドナルド・キーンさんに、選考を巡ってどのようなやりとりがあったのか聞きました。」

ノーベル文学賞 明かされる“秘話”

ドナルド・キーンさん。
70年近くにわたって日本の文学を研究し、その魅力を世界に伝えてきました。
1963年。
アメリカの大学教授だったキーンさんの元へ、ある極秘の依頼が舞い込みます。
依頼したのは、ノーベル文学賞の選考委員会。
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日本人初の受賞者に、誰がふさわしいのか評価してほしいというものでした。
キーンさんは依頼を受けた専門家の1人でした。

評価を求められたのは、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、西脇順三郎の4人でした。
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日本文学研究者 ドナルド・キーンさん
「私は三島由紀夫が、最も優れた作家だと思っていた。
三島はあのころ、作家として絶頂期だった。
書くものすべてが興味深く、選考委員会も同じように関心を寄せると考えた。」


当時38歳の三島。
すでに、「仮面の告白」、「潮騒(しおさい)」、そして「金閣寺」と日本の文学史に残る作品を次々と発表していました。
しかし、キーンさんが選考委員会に送った実際の評価は、意外なものでした。
まず最初に推したのは、当時76歳の谷崎潤一郎。
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ドナルド・キーンさんの評価
“谷崎が一番有力であると思う。
今までの実績をすべて考慮すると、やはり彼には価値があると思う。”

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次は、63歳の川端康成。

ドナルド・キーンさんの評価
“谷崎ほどの存在感はないが、川端が受賞したとしても日本の一般市民は受け入れるだろう。”

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3番手に挙げたのが、最年少の三島でした。
実力を評価しながらも、日本の社会に配慮していました。

ドナルド・キーンさんの評価
“現在の日本の文壇では、彼が一番ぬきんでていると思う。
しかし、谷崎や川端が、もし三島に先を越されたら、日本の一般市民は奇妙に感じるだろう。

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三島には、この先にもチャンスがある。”

三島を最も評価しながら、一番に推さなかったのはなぜなのか。

河野
「“三島はまだ若すぎる”と書いたのですか?」

日本文学研究者 ドナルド・キーンさん
「伝えたかったのは『日本人が“彼は若すぎる”と思うのではないか』ということ。

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私は若い人に一切の偏見を持っていない。
しかし、日本人の中には、賞は“生涯を通した実績への評価”として、キャリアの最後に与えるべきだと考える人がいる。」


河野
「つまり、日本社会の年功序列を考慮に入れるべきだと思った?」

日本文学研究者 ドナルド・キーンさん
「文化勲章の受章者の記念写真を見ると、年配の人ばかり。
30歳の人は見られない。
評論家や文学に造けいが深い人の中には、“三島は日本で最も優れた作家だと証明するほど実績をまだ残しておらず、もうしばらく見守る必要がある”と考えている人もいるかもしれないと思った。
私は評価にいくぶん慎重になった。」


この年、日本人の受賞はなりませんでした。
選考委員会は、三島を有力な候補の1人としていましたが、“「三島には将来の可能性がある」という専門家の意見を参考にするべきである”というコメントを残していました。
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2年後の1965年。
キーンさんが一番に評価した谷崎潤一郎が死去。
日本人初のノーベル文学賞は、川端康成が手にしました。
川端の受賞について三島はどう思っていたのか。
三島と親交があった詩人の高橋睦郎(たかはし・むつお)さん。
三島が、年功序列という言葉を挙げたことが印象に残っていると話します。

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詩人 高橋睦郎さん
「(三島さんは)“俺が(ノーベル賞を)もらわず川端がもらったけれども、もし川端ではなく俺がもらっていたら、日本の年功序列はガタガタになった”と言った。
亡くなった後、しばらくたって考えると、それほど三島さんはノーベル賞が欲しかったんだとだんだん納得した。」


川端の受賞から2年後の1970年。
三島は自ら命を絶ちました。
三島は、世界からの評価を誰よりも強く望んでいたとキーンさんは振り返ります。
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日本文学研究者 ドナルド・キーンさん
「三島は手紙で“オリンピックに参加できた選手たちがうらやましい”と書いていた。
“競技を通して、誰もが分かる形で1位、2位、3位が決まる”。
彼はそれ以上は続けなかった。
しかし、私にはわかった。
“世界が認める1位になりたい”。
三島にとってノーベル賞がいかに重要な意味を持つか、私は知っていた。

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三島は自分が優れた作家であるとの裏付けを、誰よりも求めていた。
それがノーベル賞だった。」


キーンさんは最後に、自らが翻訳した三島のサイン入りの本を見せてくれました。
もし今、作家の評価を依頼されたらどうするか。
キーンさんに聞きました。
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日本文学研究者 ドナルド・キーンさん
「前と同じ基準では評価しない。

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もし、三島のような若い才能が現れて、すばらしい作品を立て続けに執筆したら、私はとてもうれしくなるだろう。
そして、年齢のことなど忘れて、確信を得て評価すると思う。」


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ドナルド・キーンさん 初めて語った“秘話”

鈴木
「キーンさんのお話を聞いて、ノーベル賞選考の過程が少し見えた気がしましたね。」

河野
「そうですね。
ノーベル賞の選考委員会は、キーンさん以外にも専門家の評価を求めていましたので、三島が受賞しなかったことに、キーンさんの見解がどこまで影響したのかというのは、はっきりしないところはあるんですね。
また、川端康成がその後受賞をしたという経緯についても、今のところベールに包まれているというのが現状なんですけれども、ただ、あと4年後には選考に関する資料が公開されることになっているんです。
また新たな秘話が明らかになるかもしれません。」(終)

どうですか?酷いもんでしょ。
NHK教育(ETV)の「知の巨人たち~」では、そこそこまともに描かれていた三島の人物像が、このニュースウォッチ9では
「谷崎や川端に嫉妬した三島」「年功序列に絶望した三島」
として散々に描かれています。

ましてや、これを三島に対する予備知識をほとんど持っていない視聴者が見れば、三島が自決した理由さえも「そこから来ているのだろう」と受けとめられかねない番組の作り方になっています。

ちなみにドナルド・キーン氏はNHK教育(ETV)の「知の巨人たち~」にも登場していますが、そこではこんな話は一切していません。

これはアレですか?
先にNHK教育(ETV)で三島をまともに描き過ぎて放送してしまった為に、局に左からのクレームが殺到して、その釈明の為に後日、ニュースウォッチ9で「三島下げ」の番組を放送したって事ですか?




このNHK教育(ETV)の「知の巨人たち~」では、実は司馬遼太郎の番組も作られていました。

知の巨人たち 第4回 司馬遼太郎 「二十二歳の自分への手紙」
https://www.youtube.com/watch?v=iRgG-piMnp0
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(以下、NHK公式HPより抜粋して引用)
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/past/
2014年7月26日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年8月2日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第4回 二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~

戦後、日本人に最も愛された歴史小説家、司馬遼太郎。その作品を、“22歳の自分への手紙”と述懐した司馬は、学徒出陣し、22歳で戦車兵として敗戦を迎えた。
“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”―
8月15日に抱いた関心が原点となり、司馬は、幕末から明治の国民国家の歴史をたどっていく。しかし、ノモンハン事件について多くの聞き取り調査を行いながら、昭和の戦争を書くことなく、この世を去った。
なぜかー。生前のインタビューや半藤一利さんや編集者たちの証言などから探っていく。さらに、古代史研究者の上田正昭さんや在日の友人・姜在彦さんらの証言からは、司馬の、アジア共生への思いが浮かび上がる。
「日本人とは何か」を問い続けた司馬の思索を、戦争体験、アジアの視点からたどる。
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この司馬の番組はイマイチな内容です。
と言いますか、朝鮮ネタを大きく取り上げすぎですね。
まあ確かに、それは司馬本人の意にそれほど反する編集ではないかも知れません。しかしまあ、これが放送されていたのは昨年の夏頃の事ですから、その頃はちょうどNHKも「反ヘイト」(=在特会叩き)プロパガンダに注力していた頃でした。

おそらくそういった事情(都合)に合わせて、番組内容が脚色されていったのでしょう。


一ヶ月程前のコメントにも書きましたが、司馬遼太郎に思想を求めるのは、無理筋というものです。

司馬遼太郎という人物は、「お人好しな日本人」「人畜無害な日本人」、こういった「大衆的日本人」の最大公約数的な価値観を重視するスタンスの人間であって、それはそれで非常に健全なスタンスとは言えますが、そこに穿った思想など入り込む余地はありません。

一方、三島は全く逆ですね。
三島には思想がある。
と言うよりもむしろ、三島の場合は、思想が全てと言っても良いのかも知れない。

しかしまあ、こういった文学的な論評に関しましては、素人の私がこれ以上突っ込んだ論評など出来るはずもありません。また、するつもりもありません。そういった論評は、文学の専門家にお任せしたいと思います。


それにしても、ドナルド・キーン氏は三島と司馬、両方に接点があるというのは不思議な縁と言うべきなのでしょうか。

ドナルド・キーン氏といえば、3年前、第2次安倍政権が誕生する総選挙直前の頃、ニュースウォッチ9に出て『強い日本とか、そういう事を言ったら最低だと思う』というセリフをNHKに利用されていました。

今回の三島に関するニュースウォッチ9の特集についても、ドナルド・キーン氏はまたしてもネガキャンに利用されています。

実際の真意がどこにあるのか全く不明ですが、たまには良いイメージのドナルド・キーン氏を見たいものだ、と思います。

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(以下、毎回このブログに貼られるテンプレートになります)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

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脚本家の無能さを会長に責任転嫁とか片腹痛い。しかも真の狙いは安倍首相

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いやはや、なんとも。
この話題にはもう、あまり関わりたくないというのに、またあのゴミ大河(=「花燃ゆ」)の話をする羽目になってしまいました。

しかもドラマの内容とは全く無関係の所からの燃料投下を受けて、というのが原因でw

過去記事でも述べておりますように、煽りはスルーで」というのがネット世界の常識です。
ですから(過去記事でも散々書いております通り)、
『(当初から)意図的に幕末長州の駄作大河を作って、政治的に利用しよう』
などと考えているNHKの内部の連中が狙っている「煽り」に乗せられたくありませんので、出来ればスルーしていたいのですよ、私は。

私が主張すべき意見は、既に過去記事であらかた言い尽くしてしまっておりますので、個人的には新たに何か付け加える気もありません。


あのゴミ大河(=「花燃ゆ」)が、以前に放送されたゴミ大河「江」と同様、まともな大人が直視できるような代物ではない事は、多少なりとも理性が備わっている大人であれば、誰でも理解できる話だと思います。
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(※もう、この、色彩感覚がマヒしているポスターからして、真っ当な物を作るという意志がカケラもない、というのは明らかですよね)


ですから私は、ドラマの内容は見ておりません。
この時の記事で書きましたように、ネット上の「花燃ゆ」論評サイトを見る事によって、一応どういった内容であったのか?その都度チェックするようにはしておりますけど。

そういった訳で、私の代わりに45分間の苦行に耐えてもらって、その上ダイジェストまで書いてもらっているというのに、その彼らに文句を付けるというのもナンなんですが、さすがに今回は酷すぎますね。
(※いやまあ、この時の訳のわからん籾井会長叩きも酷かったですけど)
BUSHOO!JAPAN 脚本もキツイがアナタが言うかい!?籾井会長が大河批判【花燃ゆ感想マンガ】第20回「松蔭、復活!」
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(※あれれ、なんなんでしょう?今度はコピペが出来ないHPの仕様になったようですので、敢えて転載文章は貼りませんが、要するに脚本家よりも出演者よりも、一番悪いのは「籾井会長」なんだそうですw)

ついでにもう一つ付け加えると、私がウォッチングしている他の「花燃ゆ」論評サイトでも、「籾井会長」について触れていました。
にっぽんの旧聞 「花燃ゆ」第20話感想「江、復活!」

(以下、一部抜粋引用)
さて、「花燃ゆ」が、とうとうNHK会長の逆鱗に触れた、とのニュースがありました。会長は「数字が低すぎる」などとのたまったそうです。この能なしは何言ってるんだ? 主演の井上真央さんが「私の力不足」などと、反省の弁を述べているニュースを聞くにつれ、いたたまれない気持ちになります。 まず、問題とすべきは籾井勝人会長の人品。組織のトップが評論家みたいに視聴率を根拠に、ドラマ批判をすることがおかしい。経営者は、「批判は甘んじて受けます。私の不徳のいたすところ」と語って終わらせるものでしょ。「これが大河ドラマかあ」と口にする「江」レベルに等しい。この経営者は、部下をだれも守る気がありません。(以下略)

(※上記の「NHK会長の逆鱗に触れた」ニュースのリンク
この「にっぽんの旧聞」のブログを書いている人のほうが、BUSHOO!JAPANの武者氏よりも露骨に思想が左寄りですから、本来であればもっと籾井会長をバッシングしても良さそうなものですが、これでも武者氏に比べれば、まだ大人しい内容と言えます。

まあ「にっぽんの旧聞」の人は武者氏と違って「自分の記事をプロパガンダに利用する」という意識がかなり薄いようですので(私と同じように個人的な趣味で書いているような感じですので)、そこを前面に押し出したりはしないのでしょう。



なるほど。確かに籾井会長の「花燃ゆ」に関する発言は、正鵠を射ているとは言えません。

しかし、それはそうでしょう。
大河ドラマの専門家として会長になった訳でもなければ、大河ドラマを立て直す為に会長になった訳でもないのですから。

武者氏は何か勘違いをしているようですね。
籾井氏は、腐りきっているNHKの組織全体を立て直す為に会長になったのですよ?
150520m_0001.png

私は過去記事でハッキリと宣言しています。
『こんな状態(「花燃ゆ」「江」といったゴミ)が続くような大河ドラマであれば、私はむしろ止めてしまえば良いと思っている』と。

こういった私の意見は、武者氏と「にっぽんの旧聞」の人にとっては、絶対的に容認できない意見だと思います。

しかし、むしろ私からすれば、武者氏と「にっぽんの旧聞」の人のそういった(NHKの内部の人間に対して擁護的な)スタンスが異常に見えます。

そこまで散々に「花燃ゆ」や「江」などを叩いておきながら、
『大河は止めてはならない』『俳優の責任ではない』『上層部が悪いだけだ』
などと平気で甘い事を述べていられる、この二人の神経こそ、私には理解不能です。

よほどNHKの内部に知り合いでもいるのか、もしくはドラマ業界に仕事上の付き合いがある人間なのでしょう、このお二人は。


外部の人間である私にはよく分かります。
NHKの内部の人間が何を望んでいるのか?という事が。

『(NHKを改革しようとしている)籾井会長だけは排除して、他は一切そのままに、元のNHKの体制に戻してくれ』
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これでしょ?NHKの中の人間が望んでいる事は?

とりあえず大河ドラマの話に限定をするとしても、籾井会長と大河を絡めて武者氏らは無理矢理ケチをつけていますが、それでは籾井会長が来る以前の、ここ数年のNHK大河が、それほどまともだったと彼らは言うつもりなのだろうか?
「天地人」「江」「軍師官兵衛」。これらの作品がまともだったと言えるのか?

『2001年以降の大河で、まともな作品などほとんどない』というのが私の持論です。ですからNHKの過去の遺産(=2000年以前の大河作品)についてはともかくとして、これから先に作られる大河作品などに、私は何の未練もありません(その事はこの時の記事でも書きました)。

今の私からすれば、ハッキリ言って「たかが大河ドラマ」という感覚です。

武者氏は今回の記事で、大河ドラマを良くする為には、
『籾井会長を辞めさせるか、大河にタッチさせないようにする』
などと書いています。

私から言わせれば、
「たかが大河ドラマ」の事で、籾井会長の足を引っ張られてたまるか!』という所です。

これからNHKの組織全体を改革していかなければならないというのに。

しかも仮に、
「籾井会長が大河ドラマを良くする為に辞任する」(w)
などといった形になったとしても、それで得られるリターンが以前のような「天地人」「江」「軍師官兵衛」レベルの大河とか、アホらしいにも程がありますよね?w




そして更に、です。
この時の過去記事でも書きましたけど、「花燃ゆ」の制作発表が行なわれたのは、籾井会長が就任する前の話です。
会長就任以前に決定していたのに、どうやったら籾井氏が花燃ゆを強制できるのか?(2015/03/23)

その「花燃ゆ」の責任を、なぜ籾井会長が背負わなければならないのか?

話が全く逆ですよね。

私は以前からずっと主張しております。
「花燃ゆ」という作品は、NHKの内部の人間が政治的に利用する為に、敢えて選んだ作品である』と。

何を言いたいのか?というと、要するに、
「NHKの新しい会長が籾井氏に決まりそうだ」となった時に、NHKの内部の人間が籾井氏を陥れる罠を張る為に、敢えて幕末長州の駄作を選んだ
150520m_0001.png
このほうが、時系列的にも、今の社会的な動き(=マスゴミの動き)からしても、全て理屈が通りますよね?

「花燃ゆ」という作品が、いかに政治的な作品であるか?という事は、私は過去記事で散々書いてきた事ですけど。

戦後70年の今年に、長州大河をやる理由は総理には無い。NHKには有るけど(2015/04/01)

(以下、過去記事より抜粋引用)
以前から私は、この「花燃ゆ」という大河ドラマに対して、

(以下、過去記事より抜粋引用)
「NHKの特殊なイデオロギー」という事について、その具体例を挙げるとするなら、まさに今年の「花燃ゆ」こそがピッタリである。

ただし、今年の「花燃ゆ」における「NHKの特殊なイデオロギー」というのは、近年の「お花畑平和主義への偏向によって日本人の歴史を毀損、または骨抜きにする」といったステレオタイプのサヨク偏向だけでは飽き足らず、そこに更に、
・「薩長による維新体制」の否定(=日本の明治史や近現代史の否定
・司馬遼太郎原作の大河「花神」に象徴される長州的イメージの除去
・長州・山口と安倍総理を絡める事により、その両方にネガキャンを展開する
・安倍総理の政治的(地元誘致、及び籾井会長との)癒着をデッチ上げる為の自作自演
等々、過去に例を見ない程の「NHKの特殊なイデオロギー」ぶりが発揮されているので、今年はちょっと特殊過ぎる例と言えるかも知れない。

また、これらの事については、ここ一ヶ月ぐらいの過去記事で散々書いてきたので、興味のある方はこちらのリンク先をご覧頂きたい。
(以下、ここ一ヶ月ぐらいの間、大河について書いた過去記事)
「篤姫」よりも酷いドラマを作れるとは、NHKは天才だわw(2015/01/19)
大河ドラマの鬱憤を「マンガで晴らす」という御時世(2015/02/03)
倉山満と私の「幕末物のNHK大河ドラマ」に関する論評(2015/02/08)

こういった批判を繰り返し書いてきておりますけど、私としたことが、もっと大切なポイントを一つ、すっぽりと抜かしておりました。

それは「今年は戦後70年の節目の年」という事なんです。(以下略)

実は、今回の籾井会長バッシングの件などは、まだカワイイものなのです。

奴ら(=NHKの内部の人間及び武者氏を含めたサヨクマスゴミの連中)からすれば、奴らが一番狙っている獲物というのは、
「安倍首相による「花燃ゆ」に対する苦言
なんですから。
150520ma_0004.jpg

当たり前の話でしょう?そんな事は。
これまでの流れと奴らの動向からすれば。

今年、敢えて幕末長州の大河ドラマをやった一番の理由というのは、ソレに尽きるんですから。

「籾井会長がエサ(罠)に食いついた」などというのは最低限度の獲物なのであって、奴らの最大の獲物「安倍首相の発言」のほうです。


だからこそ、私は安倍首相に申し上げたいのです。
--------------------------------------------------------------------
『安倍さんが尊敬する地元長州の志士達が、NHKやサヨクマスゴミの連中によっておもちゃにされて、さぞかしお辛い事でしょうが、決して奴らの挑発に乗って苦言を述べてはなりません。
仮に何か適切に発言をしたとしても、連中は言葉尻を捉えて、籾井会長同様、ボロクソに叩く事しか考えていないのですから』と。
--------------------------------------------------------------------
150520mas_0003.jpg



さて、最後にもう一言だけ付け加えておきます。

武者氏や「にっぽんの旧聞」の人は口をそろえて、
『NHKの上層部が愚かすぎて、俳優の人達が可哀想だ』
と述べています。

なるほど。確かに、その通りですね。
「NHKの政治的な思惑」によって振り回されている俳優の人達は、本当にお気の毒だと私も思います。

しかし、この「花燃ゆ」の記事を書き始めた当初から私が主張しているように、「NHKの政治的な思惑」によって一番大きな被害を受けているのは、
長州人(山口の人達)であり、日本中の幕末ファンである。


歴史ドラマの需要者の側である国民(視聴者)を差しおいて、供給者の側である俳優を擁護するというのは、いささか優先順位が逆なのではないでしょうか?と、私は思いますね。


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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済

今年もそろそろNHKが政治的主張を始める季節に突入か

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まだ5月だというのに、連日暑い日が続いております。

日本の夏(8月)の風物詩と言えば、『NHKの甲子園中継と、NHKの厭戦・反戦・自虐番組である』と、これはまあNHKウォッチャーである私が毎年使っているフレーズでもありますが、さすがにそれはまだ気が早いといった所でしょうか。


私がウォッチングしている限りでは、最近のNHK報道について、特にこれといった話題はありません。

しかし、ツイッターを見ているとNHKの沖縄報道について、こんな書き込みを目にしました。
https://twitter.com/smith796000/status/603837680292474880

NHKウォッチャーである私的に言えば、季節ごとのNHKの洗脳・プロパガンダ番組として、6月は「沖縄戦にまつわる厭戦・反戦・自虐番組」、8月は「原爆・終戦(敗戦)の日にまつわる厭戦・反戦・自虐番組」、これらは毎年必ず行なわれる「お約束」として認識しております(※近年は、3月11日近くになると必ず放送される「福島、原発、放射能(脳)番組」といった新たな自虐番組も「お約束」に追加されるようになりましたけど)。

こういった事については、先月書いた記事でも少し触れました。
どうした?ニュース7。何があったんだ?NHK(2015/04/11)

(以下、一番最後の部分より抜粋引用)
上記のNHKの報道姿勢が今年の8月まで続くのであれば、私も自身の姿勢を改めるかもね。

まずはさしあたって、5月3日の「憲法論議」に関する報道、あとは6月の「沖縄戦」に関する報道などが一つの目安になりますかね。(安倍総理の訪米報道も、それに含まれるかな?)

しかしまあ、NHKの「(自称)討論番組」である「日本新生」の公式HPを見る限り(ブログの末尾にあるテンプレ内の(7)で言う所の)、
NHKが討論番組を忌避する傾向
が改まっているとは到底思えず、やはり今回のパラオ報道は異例中の異例だったのでしょう。多分。

5月3日の「憲法論議」に関する報道が、やはり例年通り「全くやる気のない報道姿勢だった」事についてはこの時の記事で指摘済みですので、今回改めて繰り返す事は致しません。

「憲法論議」だけに限らず、(ブログの末尾にあるテンプレ内の(7)で言う所の)
NHKが討論番組を忌避する傾向
も全く改まっておらず、「日本新生」の公式HPはその時から全く更新されていない有り様です。

150528ns_001.jpg
(以下、NHK公式HPより抜粋)
「NHKスペシャル シリーズ日本新生」は、新年度、新しい番組にリニューアルする予定です。

引き続き、日本の未来を見据え、政治や経済、社会のあり方をどうすればよいか、
専門家や市民を交え、討論していく予定です。

詳細が決まりましたら、このページでお知らせいたします。(終)
と言うか、『新年度、新しい番組にリニューアルする予定です』などと告知しておきながら、今年の1月10日に放送されたのを最後に、それ以来NHKは全く「討論番組」を放送していません。

この時点で、公共放送として完全に失格です。

沖縄問題も、先の大戦も、憲法改正も、集団的自衛権も、全部そうです。

『お前ら(=NHK)偏った主張内容なんかどうでもいいから、識者の意見、または国民の声を客観的に取り上げた番組(=討論番組)を放送しろ』
と、ただこれだけの事を求めているに過ぎないのに、それさえもできない。
『本当に公共放送としての自覚があるのか?』としか言い様がない。



話を沖縄の件に戻します。

上念氏が述べていた「あさイチ」の番組というのは、これの事ですかね。
アッキーがゆく!もっと沖縄を知りたい 前編(5月27日(水))
アッキーがゆく!もっと沖縄を知りたい 後編(5月28日(木))

(以下、NHK公式HPより抜粋引用)
連日、ニュースで取りざたされる沖縄。
でも、そもそも沖縄の人たちって、一体どんな思いで日々暮らしているの?
そんな素朴な疑問に応えようと、今回はアッキーこと、篠山輝信さんが沖縄を訪ねました。

くしくも沖縄は、篠山さんの母の故郷。
那覇を起点に国道58号線を北上し、宜野湾(ぎのわん)、北谷、読谷、そして名護市辺野古へと、観光目的ではあまり目にすることのない場所を訪れながら、現地の人々との出会いを通じて、等身大の沖縄の姿を伝えます。
(27日に前編、28日に後編をお伝えします)(以下略)

いつも書いておりますように、私のNHKウォッチングのメインは、夜のニュース7ニュースウォッチ9です。

ですから、基本的に朝のニュース番組や報道番組は守備範囲外ですので、詳しくは把握しておりません。

「あさイチ」という番組自体も、普段はほとんど目にする機会がありません。しかしまあ、たまに目にする機会があったりしますと、
『(主婦向けとはいえ)えらいレベルが低い番組、と言うか、ハッキリ言ってしまえば「えらい下劣な番組」を放送しているものだなあ』
と呆れる気持ちになる事が多かったような気がします。

所詮はそういった番組枠なのですから、珍しく社会問題を取り上げたとしても、「NHKの主張に沿った一方的な番組」になるのは当然の結果と言えるでしょう。


さて、それはそうと、今年NHKが用意してきた、とっておきの「沖縄戦」番組は、多分これでしょう。
いや。と言うか、これで間違いないでしょう。

NHKスペシャル 沖縄戦 全記録(仮)
2015年6月14日(日) 午後9時00分~9時58分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0614/index.html

(以下、NHK公式サイトより一部抜粋引用)
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70年経った今も続々と見つかる物言わぬ遺骨。太平洋戦争中、地上戦としては最大の民間人犠牲者を数えた「沖縄戦」。なぜ、9万人超もの住民の命が奪われるに至ったのかー。 NHKは、これまで明らかになっていなかった沖縄戦の全体像を、新たに発掘した軍関係の資料や戦死者の記録などに基づき専門家と分析。どこでどれだけの犠牲が出たのか、沖縄戦の記録を詳細にデータ化し、全貌を明らかにした。そこから見えてきたのは、日米両軍の「軍事的決断」がもたらした、あまりにも重い結果である。
日本軍は沖縄戦を、本土進攻までの“時間稼ぎ”と考えていた。しかし戦争も末期、兵力不足は深刻で、女性や子どもまでも戦場に動員。軍民が“一体”となった状態で持久戦を行った結果、住民の犠牲が激増していた。一方、沖縄戦を短期間で決着させようとしていたアメリカ軍。住民の犠牲を極力避ける方針を掲げていたにもかかわらず、実際に戦闘が始まると、ゲリラ的戦いを繰り広げる日本軍に手を焼き、攻撃は無差別に。地形が変わるほどの砲弾の雨を降らせ、日本兵と住民が混在する洞窟を焼き尽くすなど、戦いは凄惨なものになっていった。
番組では米軍が撮影した膨大な未公開フィルムと1000本にのぼる住民たちの生々しい証言テープ、「映像と音声」で沖縄戦を再構築しながら、日米の兵士たちを狂気へと追い込み、南の島を悲劇の戦場に変えた“軍民一体”の地上戦の実態に迫る。
150528ns_003.jpg

まあ、毎年の事ですからね。6月恒例の。
特に感想はありません。

今年は新しい県知事が張り切っているようですから(チャイナ様に褒めてもらう気マンマンのようですから)、NHKも少しは力を入れてくる可能性はありますけどね。



あと、沖縄以外の話としては、一ヶ月前の記事でも書きましたように、今週末の土日二日間、NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像」の放送があります。

NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めて
第1回 "高度成長" 何が奇跡だったのか

2015年5月30日(土) 午後9時00分~9時49分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0530/index.html

NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めて
第2回 "バブル"と"失われた20年" 何が起きていたのか

2015年5月31日(日) 午後9時00分~10時25分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0531/index.html
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ちなみに、NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像」の番組は、6月に入ると三夜連続で放送される予定があるみたいです。

NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 世界の中で
第1回 信頼回復への道 (仮)

2015年6月19日(金) 午後10時00分~10時49分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0619/index.html

NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 世界の中で
第2回 冷戦の渦中で(仮)

2015年6月20日(土) 午後9時00分~9時49分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0620/index.html

NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 世界の中で
第3回 日米同盟と国際貢献(仮)

2015年6月21日(日) 午後9時00分~9時49分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0621/index.html

先に放送される経済関係のNスペがくだらない、どうでもいいような内容になる事は「言わずもがな」ですが(近年のNスペにおける経済関係の番組で、まともな内容のものを見た記憶がない)、問題なのは後に放送される外交関係のNスペのほうでしょう。

その第1回の番組で、村山富市にインタビューをしている場面があるようですが、その上で、この外交関係のNスペは以下のような番組になるようです。

(以下、NHK公式サイトより抜粋して引用。赤字にしてあるのは私の編集)
1951年サンフランシスコ講和会議で国際社会に復帰した日本。戦争で被害を与えた国々との信頼回復はどのように実現したのか。
アジア外交を積極的に進めた岸信介首相は、インドネシアではスカルノ大統領とのトップ会談で賠償協定に調印。役務賠償によってインフラを整備し、日本経済はアジア市場に進出をはじめる。日韓会談は13年の歳月を要したが、岸とパク・チョンヒ大統領が会談、1965年の日韓基本条約は経済協力という形で決着。これによって韓国はハンガン(漢江)の奇跡と呼ばれる経済成長の足がかりを得た。日本はこの条約で請求権の問題は解決済みとした。
80年代に入り、アジア諸国で民主化が進むと、個人補償を求める声が高まったが、日本は、河野談話、村山談話や「アジア女性基金」によって謝罪と償いを行った。特にオランダでは、平和友好交流事業が受け入れられていく。また、インドネシアではODA等を通じて緊密な経済関係を築いていった。
信頼回復への道を最新の資料と証言で明らかにする。(終)
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この段階でもう、あやしい雰囲気がぷんぷんと漂ってきております。


だからさあ…。
『お前ら(=NHK)偏った主張内容なんかどうでもいいから、識者の意見、または国民の声を客観的に取り上げた番組(=討論番組)を放送しろ』
つってんだろーが!

くだらないNスペばっかり放送してないで、まともな討論番組の一つも放送してみろっつーの!



しかしまあ、今年の7月、8月に、NHKが放送する洗脳・プロパガンダ番組は一体どうなるんでしょうねえ?
6月の時点でさえ、既にこの有り様ですよ。

戦後70年の節目、という理由付けもありますから、一年前から予想していた通りかなり力を入れてやってきそうな気もしますが、その時の記事でも紹介しましたように、6月のある時期におそらくNHK総局長会見資料で、今年放送される「夏の厭戦・反戦・自虐番組」の具体的な内容が発表されると思いますので、とりあえずその発表を待ちたいと思います。

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「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには「映像や音声で感覚に直接訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが、<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合は、それが至上命令となっており、やり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが数年に渡って垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民主党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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