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処士策論

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なぜ大河ドラマは滅びるのか 後編

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前回(前編)の続きです。

結局前回は、「花燃ゆ」の論評ブログとしては代表的な2つのブログ、それは武者震之助氏のブログ一坂太郎氏のブログの事なのですが、この2つのブログの話で終了してしまいまして、春日太一氏の「なぜ時代劇は滅びるのか 」の話まで進めませんでした。

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)
(2014/09/16)
春日太一

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先日この本を読んだのですが、これは良い本でした。
この私のブログに来られていて、大河に多少なりとも興味をお持ちの方でしたら、もう既に読んでしまっている、という方もおられるかも知れません。

「若い割りに」と言っては著者の春日氏に失礼かも知れませんが、と言うよりもむしろ「若いからこそ」、このように熱く語る事が出来るのだと思います。なんにしてもこの著者の年齢で、このように時代劇に対する深い見識を持っている事に驚嘆します。

そして春日氏の語っている内容についても、私はほぼ全面的に同意します。

もちろん私は「時代劇制作」の現場の事など、春日氏と違って全く知りません。
また私は、「時代劇」に関する理解度はそれほど高くありません。「大河ドラマ」とは違って。

ただしそういう私であっても、春日氏の「時代劇」に対する熱い想いは大いに理解する事が出来ます。

ちなみに「時代劇」の定義と、「大河ドラマ」の定義は、似て非なるものです。
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「昔の時代を舞台とした」という時代背景の部分では両者共通しますが、「史実(伝統的な通説)を無視してはいけない」という縛りがあるのが「大河ドラマ」で、「ファンタジー要素」をある程度盛り込んでも構わない、というのが「時代劇」です。
ごく簡単に言ってしまえば。
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春日氏は、時代劇の制作現場を見てきた経験から、「時代劇研究家」を生業とするようになったようです。
私自身は、幕末・明治の歴史に興味を持ち、様々な歴史ドラマを見るようになり、結果として「大河オタク」となったのであって、春日氏とはやや土俵が異なります。

春日氏は「時代劇」研究の専門家で、私は「大河ドラマ」専門のオタクです。

そうはいっても春日氏も、この「なぜ時代劇は滅びるのか 」の一番最後の章で、
大河ドラマよ、お前もか!
という春日氏なりの「大河ドラマ論」を書いています。

ちなみに各章の見出しをそれぞれ紹介しますと、
第一章 時代劇の凋落
第二章 時代劇は「つまらない」?
第三章 役者がいない!
第四章 監督もいなくなった・・・・
第五章 そして誰もいなくなった
第六章 大河ドラマよ、お前もか!

となります。

ただし、この第六章の「大河ドラマよ、お前もか!」の論評は、ご自身が2012年に「オール読物」に掲載した「NHK大河ドラマ50年」の文章を基にしており、それ以外の章(一~五章)については、また別の所で掲載していた文章を基に加筆・再編集しているので、「大河ドラマよ、お前もか!」の章は、他の章とはやや毛色の違った論評のように見受けられます。
(ハッキリ言ってしまえば、春日氏の熱い「時代劇論」と比較すると、「大河ドラマ論」はオーソドックスな内容に感じられます。分量も約30ページと少ないですし)


春日氏の「大河ドラマ論」をざっとかいつまんで解説すると、以下の通りです。
まず「第六章 大河ドラマよ、お前もか!」内の各見出しを全て並べてみます。

失墜した「国民的番組枠」
『利家とまつ』の「革命」
ほのぼのとした戦国時代
リアリズムの喪失
たくまし過ぎる女たち
二人の篤姫
歴史的有名人との無理な邂逅
手を汚さない主人公
綺麗ごとのオンパレード
大河の朝ドラ化
人気目当てのオリジナルキャラクター
焦点なきドラマ


この見出しの一覧を見るだけでも、普段から「大河ドラマ論」に興味を持っている人であれば、著者が抱いている大体の主張は想像できると思います。

前回の記事「武将ジャパン」の武者氏の記事を取り上げた際に、
「篤姫」「江」「花燃ゆ」三姉妹のコンビで見る、
といった視点を紹介しました。

一方、春日氏は、まず「利家とまつ」(2002年放送)が大きな転換点になったと述べています。
ちなみにその事については、私もかなり以前に似たような事を指摘しています。
(と言いますか、2chやネット界隈では、そういった話はある意味「常識的な話」として定着しているようにも感じられます)
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そして春日氏は、大河に致命的なダメージを与えたのは2011年の「江」である、と述べています。
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(以下、「なぜ時代劇は滅びるのか 」第六章 大河ドラマよ、お前もか!より抜粋引用)
致命的なダメージを与えたのは、2011年の『江』だ。

『江』は、これまで議論してきた「時代劇を廃れさせた理由」の大きな要因である「人材の不足」の抱える問題が凝縮された作品であった。北大路欣也、草刈正雄ら一部のベテランを除く俳優陣の学芸会じみた低レベルの演技(ここでも岸谷五朗が酷かった)、全てを語る饒舌な脚本、リアリティのない「見えすぎる明るい画面」・・・。
そして何より、目先の人気取りとご都合主義の過ぎる描写・展開に呆れさせられた。
(中略)
史実を忠実に再現することが、必ずしも正解だとは思わない。実際、「名作」と言われるような大河ドラマのほとんどが創作を盛り込んで史実を改変しながら、物語を展開させてきた。だがそれは、創作によって史実よりもさらにドラマや人物に奥行きを与えるための、作家的な必然性に基づいた手法であった。

それに対し、『江』の創作はあまりに安易でご都合主義であった。そのため、史実に陳腐な小手先のデコレーションを施しただけに留まり、そうした場面に出くわす度に、ひたすら鼻白むばかりだった。

が、『江』が特別に酷かっただけなら翌年から視聴率は劇的に回復することもありえた。問題はそうではなかったことだ。実は『江』で見られた「有名人・事件との強引な接点の創作」「ホームドラマの強調」「平和主義」といった傾向はそれまでの十年、連綿と続いたことであった。そうした中で、視聴者の多くは身に付いた生活習慣や、過去の実績による「今度こそは」という期待により付き合ってきただけだ。

だが、『江』の余りの体たらくは、それまで我慢しながらも付き合ってきた視聴者の岩盤を崩してしまったように思える。
(中略。最後の「焦点なきドラマ」のパートまで省略)
焦点なきドラマ

視聴者をバカにしたかのような「分かりやすさ」重視のご都合主義と、人気優先のキャスティングを十年近くに亘って大河ドラマは続けてきた。こうした、ドラマ性を放棄していったかのような姿勢が『江』の傲慢ともいえる惨憺たる出来に繋がり、これまで築き上げてきた視聴者と番組枠との信頼関係の岩盤を崩してしまったのである。(以下略)

上記の「利家とまつ」の事を紹介した過去記事でも、私は春日氏と同じように、
『とどめを刺したのは「江」である』
みたいな事を書いていました。

ただし、その時も書きましたように私は「江」という作品は一瞬たりとも観ていませんので、「それがどれくらい酷かったのか?」具体的には何も知らないのです。

まあ今回の「花燃ゆ」と同じように、「目と耳と脳みそが腐る」のを避けたいので、全然見たいとも思わないんですけどねw「江」の中身なんぞはw
大体が、あの大嫌いな「篤姫」と同じ脚本家が書くという事で(しかも私が重視する幕末物ではなくて、戦国物なので)、事前に脚本が最悪になる事は確信していましたので、一瞬たりとも「江」を見ずに済んだ事は「不幸中の幸い」だったと言えます。

前回の記事で引用した「武将ジャパン」の武者氏といい、また今回の春日氏といい、
「江」が究極の駄作である
という点では完全に一致しており、私自身も、視聴経験は一度も無いとはいえ、2chやネット上の情報を総合的に分析すれば、そんな事は当然折込み済みです。
(※武者氏に関して言えば、今回の「花燃ゆ」は、その「江」をも凌ぐ“怪物”になる可能性も指摘していますが…。特に視聴率の面で)


ただ、不思議な事が二つあります。
一つは、こんな「誰が見ても究極の駄作」である「江」という作品を、それでもなんとか屁理屈を並べたてて擁護しようとする連中が、ネットで検索すると結構いて、「予備知識の無い人間に対して「江」は良作である」と信じ込ませようとしている事です。
まあ「篤姫」ファンと論争した経験がある私からすれば、「さもありなん」といった感じですけどね。田渕脚本を好むような「お花畑」連中には、理性や正論は通用しませんからね。

もう一つは、こんな「誰が見ても究極の駄作」である「江」という大失敗を一度経験しておきながら、全く反省する事もなく、今回再び「花燃ゆ」という「江」の姉妹作のような代物を堂々と出してきたNHKの神経が、実に不思議です。
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まあ今回の「花燃ゆ」に関して言えば、私もここ一ヶ月の記事で書いてますように
『様々なイデオロギー的な事情から、そもそも番組を成功させるつもりも毛頭無いのだから、わざと失敗作を作っているのだろう
という裏事情もある訳でして、
「失敗作こそが成功作」なのでしょう。NHK的には。今回だけは。
しかも楽ですからね、わざと失敗作を作るのは。手を抜けば良いだけの事ですから。


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さて、春日氏は様々な角度から分析をする事により、『「時代劇」は滅びる』といった自身の危機感を露わにして、「時代劇」制作者に対して檄を飛ばしている(著者は前書きの中で「これは、檄文である」と述べている)。
また「大河ドラマ」に対しても(「時代劇」ほど切実ではないにしても)ほぼ同様の形の主張を展開している。

しかし当然の事ながら、大手出版社から発行されている書籍であり、ネットとは違ってあまり突っ込んだ意見を述べる事は出来ないので、私からすればこれでもかなりマイルドな内容になっていると思う(実際の所、著者自身はかなりの覚悟で書いたのだろう、とは思うけど)。

「大河ドラマ」はなぜ滅びるのか?

私なら、もっと突っ込んだ意見を述べる事が出来る。

まず、これは最も根源的な話でもあるのだが、「時代劇」「大河ドラマ」だけが滅びるのではなくて、私は
その媒体となるテレビ自体が滅びる
と思っている。

春日氏は「時代劇」や「大河ドラマ」の業界における「人材の不足」を度々指摘しているが、「人材の不足」はその業界だけに限った話ではなくて、テレビ局が放送している全番組において言える話であり、今後もテレビ局が全社的に劣化していくのは不可避な事なのだから、「時代劇」「大河ドラマ」が今後復活する事など絶対にあり得ない、というのは当然の帰結である。


次に各論に移る。
具体的な各項目を挙げると以下の通りとなる。

1.大河のメイン顧客として「歴史嫌い、又は歴史に疎い人間を呼び込もう」という発想自体が、そもそも間違い

2.「役者がいない」というレベルを通り越して、最早大河は芸人の名前を売り出す為のPV(プロモーションビデオ)でしかない

3.自主規制という縛りに名を借りた怠慢と、面白い歴史ドラマを作るという意欲の欠如により脚本が崩壊

4. NHKの特殊なイデオロギーが原因で、日本の歴史はどんどん骨抜きにされる



では、以下にその内容を詳しく解説しよう。
1.大河のメイン顧客として「歴史嫌い、又は歴史に疎い人間を呼び込もう」という発想自体が、そもそも間違い

ここ十数年は、春日氏も言うように「大河ドラマの朝ドラ化」が著しい。
「大河ドラマの朝ドラ化」は、要するに「大河ドラマ」も「朝ドラ」も、NHKは暗に『主な顧客は女性のみで良い』と容認している、という事だ。
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テレビ自体をあまり見なくなった成人男性、特に従来の大河の顧客であった壮年以上の男性をメイン顧客とした所で、視聴率など決して伸びはしない。そんな連中を相手にするよりは、比較的テレビの言う事を素直に受け容れる「女・子供」などをターゲットにした方が視聴率を伸ばしやすい。大河の視聴率を伸ばす為には、それらのターゲット(女・子供)に好まれるような作品こそが相応しい。

そういった発想を10数年も続けてきて現在の惨状になっている事は、疑いようのない事実である。

しかし本来は、重厚な歴史物語と骨太な人間ドラマが描かれる脚本と、華も実もある役者の演技があってこその「大河ブランド」だったのだ。

目先の視聴率(しかもNHK本体にとってはほとんど意味の無い“視聴率”という数字)や話題作りばかりを意識して、「戦国コスプレ」「幕末学芸会」を繰り返した所で、大河のブランド価値を取り戻す事は一向に出来ない。

大河ドラマの敷居を下げてブランドの安売りをするのは簡単だ。しかも楽だ。
しかし、もうそろそろ大河ドラマの敷居を元に戻して、「大河ブランド」の復興に努めなければ、このまま坂道を転げ落ちるしか他に道はない。

大体、わざわざ「大河ドラマを朝ドラ化」しなくても、「朝ドラ」のような内容のドラマが好きなら、「朝ドラ」をそのまま見れば済む話なんじゃないのか?



2.「役者がいない」というレベルを通り越して、最早大河は芸人の名前を売り出す為のPV(プロモーションビデオ)でしかない
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そもそも「大河ドラマ」というものへの愛着やプライドが、NHKの中の人間にもっとあるのであれば、現在のような惨状にはなっていないはすである。

そして、『視聴者にもっと面白いドラマを観てもらおう』『もっと日本の歴史の面白さを知ってもらおう』という「視聴者側の目線を意識した」ドラマ制作の姿勢を持っているのであれば、春日氏も指摘しているような、
視聴者をバカにしたかのような「分かりやすさ」重視のご都合主義と、人気優先のキャスティング
といった現在の有り様にはならなかったはずである。

『ほうっておいても、何もしなくても、毎年莫大な受信料は入ってくる』
『毎年大河ドラマを制作するのは、ただのルーティーンワーク
こういった意識がNHKの中の人間に染み付いてしまっているから、大河のキャスティングも、芸能事務所の利権だの、役者の名前を売り出す為の手段だのといった、完全な「供給サイド(制作者側)の理屈」が優先されてしまって、「コスプレ」や「学芸会」の域を出ない代物しか作れなくなってしまっているのである。

皮肉な事に、「江」の時の上野樹里といい、今回の「花燃ゆ」の井上真央といい、以前なら通用していたであろう「大河ドラマの主演」を務める事によって「ハクを付ける」といった思惑が、逆に作品自体のあまりにも酷い出来も手伝って、
(主演となる事が)ほとんどバツゲーム
みたいな状況を生み出している。
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「大河ブランド」も、今やその程度の価値しかない、という事である。



3.自主規制という縛りに名を借りた怠慢と、面白い歴史ドラマを作るという意欲の欠如により脚本が崩壊
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「テレビの衰退」を語る際に、よく言われる事の一つでもある「自主規制による縛り」という物。
それは大河も例外ではなくて、「差別」だの、「女性蔑視」だの、その他様々な形の「言葉狩り」を許容する事によって、脚本の劣化の度合いを深めてきた。

しかしながらこのような状況は、ある意味「ルーティーンワークを好む人々」からすれば、あながち悪い状況でもない。

「面白い作品」を作るという事は、多大な気力と根気を伴う厳しい仕事である。
ただ単に「クレームを受けないような作品」を作るという事であれば、禁止リストに沿った形で、ある一定の決まり事に従って商品を作り上げれば、それで任務は完了である。

これもある種、「供給サイド(制作者側)の理屈」が優先されてしまっている事による弊害と言えるだろう。

「クレームを受けないような作品」を作る事に主眼が置かれている、という事に関しては、次の項目で述べる「イデオロギーの問題」も絡んでくるので、脚本の劣化は、個々の脚本家の才能が枯渇している事もさることながら、「表現の枠」があまりにも狭められているという事も、実際、深刻な問題であると言える。



4. NHKの特殊なイデオロギーが原因で、日本の歴史はどんどん骨抜きにされる

NHKの思想性について解説する」という事であれば、まさに私がここ数年、このブログで主張し続けてきた「持論」と通じるものがある。

簡単に言ってしまえば、
サヨクであるNHKが、本来は骨太だった歴史ドラマの内容を骨抜きにしたい、と考えるのは至極当然の事』
(※ここで言う「サヨク」というのは、このブログでは過去に度々注釈を入れているように、西洋で生まれた「左翼主義」とは異なるもので、言ってみれば「戦後日本的な(平和憲法的な)サヨク」といった程度の代物の事を指す)

その傾向は、春日氏も指摘している「利家とまつ」以降、まさに急ピッチで推し進められてきて、現在に至っている。

「NHKの特殊なイデオロギー」という事について、その具体例を挙げるとするなら、まさに今年の「花燃ゆ」こそがピッタリである。

ただし、今年の「花燃ゆ」における「NHKの特殊なイデオロギー」というのは、近年の「お花畑平和主義への偏向によって日本人の歴史を毀損、または骨抜きにする」といったステレオタイプのサヨク偏向だけでは飽き足らず、そこに更に、
・「薩長による維新体制」の否定(=日本の明治史や近現代史の否定
・司馬遼太郎原作の大河「花神」に象徴される長州的イメージの除去
・長州・山口と安倍総理を絡める事により、その両方にネガキャンを展開する
・安倍総理の政治的(地元誘致、及び籾井会長との)癒着をデッチ上げる為の自作自演
等々、過去に例を見ない程の「NHKの特殊なイデオロギー」ぶりが発揮されているので、今年はちょっと特殊過ぎる例と言えるかも知れない。

また、これらの事については、ここ一ヶ月ぐらいの過去記事で散々書いてきたので、興味のある方はこちらのリンク先をご覧頂きたい。
(以下、ここ一ヶ月ぐらいの間、大河について書いた過去記事)
「篤姫」よりも酷いドラマを作れるとは、NHKは天才だわw(2015/01/19)
大河ドラマの鬱憤を「マンガで晴らす」という御時世(2015/02/03)
倉山満と私の「幕末物のNHK大河ドラマ」に関する論評(2015/02/08)


それにしても、報道番組やドキュメンタリー番組などで「局の政治性」を幾分盛り込んでくるというのなら、まだ話は分かりやすいが、ドラマ番組の中にそれを持ち込んでくるというのが「近年のNHKの異常さ」を示す典型的な一つの事例とも言える。

本来ならば、先程も述べたような、望ましいドラマ制作の姿勢、
>『視聴者にもっと面白いドラマを観てもらおう』『もっと日本の歴史の面白さを知ってもらおう』という「視聴者側の目線を意識した」ドラマ制作の姿勢
この姿勢があるのが当たり前の大河ドラマの番組枠で、自分達(NHK)のイデオロギーを優先させてしまっているという姿勢自体『論外である』のは当然の事だが、一番厄介なのは、それが複合した要因によって現在の惨状になってしまっている、という事である。

・自己保身
・バカげたイデオロギー
・プロのドラマ制作者としての怠慢
・志(こころざし)の欠如


これらの要因が複雑に絡み合って「現在の大河ドラマの惨状」をさらけ出している、というのが実態であって、「大河ドラマ」はなぜ滅びるのか?の冒頭でも述べたように、これら負の要因を凝縮して出来上がった組織の代表的な存在こそが、
まさにテレビ局なのだから、
テレビ局が滅びるのは必然の事であり、別に滅びるのは「時代劇」や「大河ドラマ」に限定された話ではない、
という、私の結論が導き出される訳である。


しかしながら、「滅びるのが必然のはずである「大河ドラマ」に対して、
『大河のブランド向上に努めよ』とか、
『もっと視聴者側の目線を意識したドラマ制作の姿勢を持て』とか、
『お前は何を無意味な事を言ってるんだ?』
と、私に対して不思議に思われる方がいるかも知れない。

まあ、私も人の子ですから。
過去の大河を作った制作者(制作陣)に対するリスペクトは、少なからずある。
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大河ドラマが復活する事など99.9%あり得ないと分かってはいても、その0.1%に望みを託してしまう「未練」があるからこそ、春日氏も述べるように、
視聴者の多くは身に付いた生活習慣や、過去の実績による「今度こそは」という期待により付き合ってきただけだ。
といった未練がましい行動を毎年繰り返してしまうのである。

ただし、今年の「花燃ゆ」は、そういったリピーター達の「未練」を完膚なきまでに打ち砕いてくれる程の破壊力を持っている。

ちなみに幕末の長州藩は、一旦は自藩が崩壊寸前になる程混乱を極めたが、最終的には幕府の側を崩壊させる事に成功した。

しかし、この長州を舞台とした「花燃ゆ」というドラマ番組は、
「NHK大河ドラマの歴史そのもの」を崩壊させる事になるだろう。

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