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処士策論

「処士」(しょし)とは、仕官していない人、民間の人、在野の人のこと

野田聖子発言と「西郷どん」と安倍総理の「憲法改正」の関係性

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前回述べた「ネタ不足」の状態は相変わらず続いております。

そんな訳で今回取り上げる話題も「小ネタ」の部類に入ると思いますが、私自身が幕末・明治の歴史マニアという事もあり、こういう話をするのが嫌いなタチではありませんので(w)、今回ちょっと取り上げておこうと思います。

先日、以下のようなニュース報道があったようで、一部界隈では多少話題になっていたようです。

野田聖子氏「明治維新、決別しないと」政府姿勢を疑問視
https://www.asahi.com/articles/ASL1H5SRHL1HUTFK00S.html

(以下、引用)
 野田聖子総務相は15日、金沢市での講演で、明治維新から今年で150年となることに触れ、「明治維新をなぞっても次の日本は描けない。私たちはここで決別しないといけない」と述べた。近代化が進んだ明治時代に学ぼうと150年の記念施策を推進する政府の姿勢を疑問視した格好だ。
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 野田氏は、現在の高齢化率は明治維新の頃を大幅に上回っており、社会の姿が全く違うと指摘。「あの時は良かったということで、明治維新をもう一度というわけにはいかない」と語った。また、「明治は一握りの強い人が国を支える」社会だったとする一方で、「人が抱えている不自由を取り除くことが、これからの日本にとって極めて重要。弱者をなくしていく時代をつくっていかなければいけない」と強調した。

 今秋の自民党総裁選については、「出ると言っているので、それ以外の答えはない」とし、立候補する考えを改めて表明した。
(以上、引用終了)

「いわゆる保守系」界隈における野田聖子の不人気ぶりは誰もが承知している話ですから、今更ここで詳しく解説する必要もないでしょう。実際、私も好きではありませんしw

野田聖子の政治的スタンスから考えれば、まあこういった発言をするのもある意味当然かな、と私は思います。




『右や左といった思想・イデオロギーの分け方はもう古い』
政治の事が語られる場において、こういった発言を時々見かけます。

確かに古めかしい「マルクス主義」や「自由主義経済」がどーのこーのと、そういった右や左の分け方というのは、私もあまり意味は無いと思います。

しかし、私自身がここ10年来ずっと感じている事は、他国であればいざ知らず「日本に限定して」という事であれば、イデオロギーの対立構造は非常に明瞭で、私はこれまで「その認定」に関して判断を迷う事はほとんどありませんでした。

要するに日本においては、
サヨク 対 反サヨク
という対立構造が非常にハッキリとしており、その「サヨク的な人」を分類して見極めるのは「さほど難しい事ではない」という事です。

そして私のブログでは過去に何度も書いてきましたように、この「サヨク」というのは旧来のイデオロギーにおける「左翼」とは別物で、日本においては「戦後憲法的なサヨク」という意味合いの物でしかなく、冷戦の対立構造がまだ残っていた昭和の時代であればいざ知らず、私のような団塊ジュニアの人間からすれば、私がここ10年程で見てきた「サヨク」というのは大体この「戦後憲法的なサヨク」という人達ばかりでした。

ですから、この「戦後憲法的なサヨク」の人達からすれば、「憲法改正」などという言語道断な発言をしている安倍総理大臣は、「仇敵」以外の何物でもない訳です。
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『お前は日本を「戦前の日本」に戻せと言うつもりか!』
我々のような人間、特に憲法改正を願うような人間に対して、「彼ら」はよくこういったセリフを投げかけてきます。またこのセリフは「戦前の日本=悪」という事を強調したい場面でも度々発せられる事があります。

しかし、よくよく考えてみれば、これは不思議なセリフですよねえ。

社会、文化、科学技術などを80年前に戻す(=発展する以前の形に戻す)などという事を、誰も望むはずはありません。

戻したいのはそういう部分ではなくて、例えば大きな失敗をしてしまった人間が、失敗以前の状態に未練を残してしまう事は、ごく普通の感情なのではないでしょうか?誰だって望んで失敗をする訳はないのだから、そりゃ『戻れるものなら』『あの失敗さえなければ』と悔恨するのは普通でしょうよ?
(※戦後の日本社会が立ち直って大発展したのは、ある意味この大失敗をバネにしたとも言えるので、失敗は一概に悪いとは断じきれないけれど)

何よりも、負ける前の日本は、まごうことなく「真の独立国家」であったのだから、そりゃ私個人の感覚で言えば普通に『ええ。戦前の日本に戻したいですね。「国家の独立」という点では、特に』と答えるでしょう。
(※ただし歴史家の立場で言えば、それはただの「歴史のIF」、歴史家E.H.カーが言う所の「未練主義」であって、そんな「妄想」を思い描いても無意味だと分かってはいるつもりだが)


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「幕末・明治」を題材にしたNHKの大河ドラマで、
「薩長維新政府」の歴史がまともに取り上げられた事は、1990年(平成2年)の「翔ぶが如く」以降、一つもない
という事は、私は3年前の「あの幕末長州大河」の時にも散々述べましたし、今回の「西郷どん」が始まる直前にも何度か述べています。

ちなみに私の「明治維新」に対する歴史観は、昨年12月に上念司氏の本「経済で読み解く明治維新」を批評した際に、以下のように述べました。
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(以下、一部抜粋して引用)
しかも「アヘン戦争」以降でさえ危機感を持った政治家は一部に過ぎなかった訳で、いわんやそれ以前の政治家が「外圧による危機感」を持つなどというのは「歴史のIF」としても荒唐無稽な話と言える。

そして幕末においては、1860(安政7)年に井伊直弼が死んで以降、幕府には「決断ができる政治家」が一人もいなくなったのだから、いかに幕府官僚が有能といえども所詮は官僚で、この連中が今一度全国を統御できるような力を持つなどという事はあり得ず、経済政策のごときは官僚としてそれなりに正しく打ち出せたとしても、所詮革命は「武力」によってなされる以外になく、その日本自身に向けられている「外圧」ももちろん「武力」であり、それが「富の収奪」の源泉でもあった。そういう時代である。

その「武力」によって革命を成し遂げた武士たちが、明治10年までに中央集権(廃藩置県)体制を作り上げた事までは良かったが、勢い余って自分達の武士の身分まで消滅させてしまったのだから、皮肉な話ではあるけれど。

その一方で、長州征伐で長州一藩さえも処分できなかった、「決断ができる政治家」が一人もいなかった幕府が、「中央集権化、武士の消滅」などという「痛みを伴う決断ができた」とはとても思えない、というのが私の持論である。
(※まあ、この結局「幕府じゃ無理」という結論自体は、私と上念氏にあまり差異はないようだが)
(以下略)
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更に出来れば、そのもう一つ前の回に書いた「司馬遼太郎の会津紀行」の分も併せて読んで頂くと、私の「明治維新」観がよくお分かり頂けます。




学校の歴史教科書がどのような教え方をしているのか、私はよく知りません。そして私は高校生の時には「世界史マニア」でしたから、日本史の歴史教育については中学レベルでストップしていました。しかし社会人になって以降(と言うか、特にここ10数年の話ですが)「幕末・明治」関連のマンガ・小説・専門書を何百冊と読んでいます。

少し勉強してみれば誰でもすぐに分かると思うのですが、
「明治」という時代は、不平等条約の改正および「国家の独立」の為に富国強兵を目指した時代である
というのは至極明瞭な話で、別にタブーでもなんでもない話です。

ただ、こういった歴史認識が学校の授業、あるいは新聞・テレビといったマスメディアで普通に語られているのか?と言うと、どうも私にはそのようには見えないんですよね。
(※そういえば6年前に司馬遼太郎の「坂の上の雲」について書いた時にも、そんな話をした事があった)
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私の個人的な意見として言わせてもらいますと、今の日本の状況は「幕末・明治初期の日本の状況と大して変わらない状況である」と思っています。

いや、むしろ「国家の独立」という視点のみで見れば、当時は英仏の軍隊が多少横浜に駐屯していたぐらいのもので(外国人居留地の治安警備の為に)、今現在の在日駐留米軍の規模と比較すれば比べ物になりません。

今の日本は独立国家ではないのです。
(※これはこのブログでずっと述べている、私の持論でもある)

「自分の事は自分で決める」「自分の国は自分で守る」
たった今、目の前で起こっている朝鮮半島状況を見れば「これが出来ていない」というのは自明の事でしょう。

たかだか「北朝鮮の脅威」一つさえも、我々日本は、自分達で処理する事も出来ません。責任を全て、他人(米軍)にをお任せしています。

「戦後憲法的なサヨク」の人達は、こういった現実を我々国民に気づかせたくないから「明治の先人たちが「国家の独立」を求めて苦闘した歴史のドラマ」を、なるべく我々国民に見せないようにしているのです。
(※まあ今回の「北朝鮮騒ぎ」があったせいで、図らずも、今の日本の現状に気がついた国民はかなり増えただろう、とは思うが)




『お前は物事を単純に分けて考えすぎだ!』
と言わてしまうのかも知れませんが、この「戦後憲法的なサヨク」の解釈と同様に、私の感覚からすれば今の日本社会では、
「戦前の日本の否定」=「薩長明治新政府の否定」
=「戦後憲法体制の肯定

といった図式は明白で「こういった図式に沿った方向へ国民を誘導したい」とメディア界や教育界が考えるのは、私からすればむしろ「当たり前の事」のように思えます。

もちろん薩長明治新政府にも欠陥は山ほどありましたから、そういった歴史的現実を踏まえた上での「薩長明治新政府批判」であれば、私も耳を傾けるのにやぶさかではないのですが、私が知る限りにおいては、上記のようなイデオロギーを抜きにした「薩長明治新政府批判」というものに、私は近年ほとんどお目にかかった事がありません。
(※アカデミックな世界や専門書は別として。いや、実はここも結構酷かったりするんだけどね)



以上、このような考え方から、私は今回の最初のほうで『野田聖子の政治的スタンスから考えれば、まあこういった発言をするのもある意味当然かな』と述べたのです。


それにしても本当に、日本社会というのは、いや日本の言論界と言うべきなのかも知れませんが、
『分かりやすい人達ばかりなのだなあ』
と、私は半ば諦めぎみに慨嘆しています。




さて、最後にもう一言。

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3年前のあの「幕末長州大河」は、そのリンク先の文末にある「花燃ゆ」批評に関するまとめ(十例)に詳しく書いてあるように、
長州閥による大陸進出と中韓からの批判」
安倍総理と長州の関係」
「NHK会長の籾井氏とセットにして安倍総理を叩くため」

等々、私は当初から『番組内容がデタラメな物になるのは自明の理である』と断じきっていた訳ですが、今回の「西郷どん」に関しては『3年前ほど酷くはならないだろう』という予想を何度か書いてます

その理由として、以下に4つ挙げておきます。
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(1) 彼らサヨクが薩長を嫌っていると言っても、薩摩は長州ほど嫌われてはいないから
(2) 3年前に長州をかなり手ひどくコキおろしてしまったので、その反動から今回は多少控えるだろうと思われるから
(3) 薩摩であれば安倍総理と直接関係は無いから(※但し『安倍政権だから長州と薩摩が大河に選ばれたんだ』というネガキャン報道は絶対出る)
(4) 10年前の「篤姫」のように、女子供向けであれば「薩摩を持ち上げる」事にNHKは抵抗が無いから
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こういった観点から私は今回の「西郷どん」は『3年前ほど酷くはならないだろう』と予想をしている訳ですが、そうは言ってもNHKを含めた「彼らサヨク」が、薩長による明治維新の歴史を真正面から取り上げて、真っ当な歴史ドラマを作るとも思えませんので、私はずっと、
『ヌルい内容の大河ドラマになるんだろうな』
(=「翔ぶが如く」を見た方が歴史描写・人物造形・脚本全て満足できる)
と述べている訳です。

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(※21:00、ツイッターへの書き込みより追記)
https://twitter.com/U40rou/status/953941522088472581


https://twitter.com/chidiremen11/status/953887657532080129


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(※いかんなあ。年頭の抱負として『NHK大河「西郷どん」の事には、なるべく首を突っ込まないようにする』と書いてまだ2週間も経ってないのに、やっぱり早くもこの有り様だwみんな野田聖子が悪いんやw)

「NHK解体」に関するまとめ(十例)

(1) 日本の公共放送であるにもかかわらず、「自立国家・日本」が主張すべき意見を封殺し、しかも運営資金のほとんどを日本人が負担しているのに、中国・朝鮮、又は旧GHQ(特に米国の立場を優先するような番組しか制作しない。 リンク1リンク2

(2) 受信料制度に様々な不備があり、甚だ公平性を欠いている。また「国営なのか?非国営なのか?」という点も不明瞭である。「国営放送局の新規創設」「民営化」「スクランブル化及びペイパービュー」などが検討されて然るべきである。 リンク1リンク2リンク3リンク4
(※NHK受信契約訴訟の最高裁判決(平成29年12月6日)に関する記事)
「NHK受信契約訴訟・最高裁判決」から私が考えた事(2017/12/9)

(3) 局の政治的及び思想的スタンスが左側の言論に偏っている。「いわゆる保守系」の言論人はほとんどNHKの番組から排除されている。 リンク1リンク2

(4) 昔はともかく、現在では朝日新聞よりもNHKのほうが害が大きい。朝日は儲からなくなれば方針転換を余儀なくされ、また新聞業界自体が斜陽産業である。一方NHKには潤沢な資金(税金)があり、更には「映像や音声で直接感覚に訴える」という高いプロパガンダ能力もある。 リンク1リンク2

(5) 「弱者・被害者」報道は公共放送として、もちろんあって然るべきだが<言葉狩り><論点ずらし><自己保身><イデオロギー闘争>に利用する為にNHKの場合、それが至上命令となっておりやり過ぎである。 リンク1リンク2

(6) NHKの原発報道は「反原発」一色で、「原発再稼働」側の意見は皆無に等しい。現在多くの国民が患っている「原発アレルギー」は、NHKが3.11以降に垂れ流してきた“音声”と“映像”によって作り上げられた、と言っても過言ではない。 リンク1リンク2リンク3拙ブログの「反原発」関連カテゴリへのリンク

(7) 外部の識者による「討論番組」が異常に少ない。「国民にオープンな討論番組を見せる」という姿勢が甚だ欠如しており公共放送として失格であり、また民主主義(選挙制度)の観点から見ても失格である。 リンク1リンク2

(8) 「表現の自由」を盾に一切の干渉を排除し、リベラル知識人特有の「上から目線(=「国民は愚民」という意識)」も強烈で、公共放送の在り方や番組の内容について「国民にアンケートを採る」という事を一切しようともせず、非常に独善的であるリンク1リンク2

(9) 「JAPANデビュー反日台湾番組」や「佐村河内のヤラセ番組」等、非常に問題のある番組を数多く放送してきたが、責任を全く感じていない。 リンク1リンク2

(10) 一般のマスメディアで取り上げられる事はほとんどないが、NHK職員の不祥事は異常に多い。また公共の受信料で成り立つ放送局としては職員の待遇がお手盛り過ぎるという問題もある。 リンク1リンク2


その他にも、NHKが制作してきた数多くの「媚中番組」「韓国・朝鮮人擁護番組(ヘイト関連含む)」「民進党擁護番組」等の問題、また近年急速に内容が劣化している「NHK大河ドラマ」の問題などもありますが、それらは上記から割愛しました。

【結論】NHKを解体して、国民にとって必要最低限の事を放送する国営放送局を立ち上げ、残りは民営化すべし。(終)

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